信じるか信じないかはあなた次第
(漫画)緊急事態宣言中のパチプロの日常を漫画にしてみた(マンガで分かる)
株式会社マルハン
京都府京都市(京都本社)と東京都千代田区(東京本社)に本社を持つ、パチンコホール「マルハン」を中心にボウリング場、アミューズメント、映画館も運営する総合エンターテイメント企業である。
概要
韓昌祐が1972年に設立し(創業は1957年)、2015年12月30日現在、徳島県、島根県、沖縄県を除く全国317店舗を展開するパチンコホール最大手企業で、創業者一族の同族企業でもある。
2009年3月期に売上高が2兆円を突破し、業界2位のダイナム(2009年3月期・約9,706億円)を倍以上上回った。
企業ブランドメッセージは、「人生にヨロコビを」。
株式公開(上場)を目指し東京証券取引所と協議をした過去があるが、別のパチンコホール企業がジャスダックに上場申請した際に、「パチンコホールの営業形態には完全に合法とは言い切れない側面があり、厳密な意味で投資家の保護を保証できない」という理由で上場申請を却下された事例があることから、日本国内での株式公開は今のところ極めて厳しいとされている。
各種レジャー産業にとどまらず金融業への進出もはかっており、2008年5月22日にはカンボジアでマルハンジャパン銀行(現・サタパナ銀行)を開業している。
同行はカンボジアで初めて日本企業の出資により開業する商業銀行である。また、同行はカンボジア国内でシェア2位を獲得している。
韓 昌祐(ハン・チャンウ1931年2月15日)
日本の実業家。
大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者で代表取締役会長。
財団法人韓哲文化財団理事長。
来歴
朝鮮・慶尚南道泗川郡(現・泗川市)三千浦で小作農をする家庭に生まれる。
別名・西原昌佑。
1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて密航船に乗り込み、同年10月22日に山口県下関市から日本へ密入国、
すぐに日本の戦後の混乱に紛れて特別永住者資格を取得した。
その後、朝鮮奨学会の支援を得て法政大学経済学部に進学、卒業後の1952年、就職先のなかった韓は、京都府中郡峰山町(現・京丹後市)において「千波 峰山店」の屋号でパチンコ台20台を抱えるパチンコ店を展開していた義兄のところへ身を寄せ、その後義兄からパチンコ店事業を受け継いで「ぱちんこ峰山カジノ店」に屋号を変更。
1957年にはパチンコ事業で稼いだ資金を元手に喫茶店「るーちぇ」の経営に着手した(マルハンの創業)。
1967年には当時日本で流行していたボウリングに目をつけ、「豊岡フレンドボウル」名義でボウリング場事業を始めたが、「ボウルアピア」を静岡市で開業した1972年の時点で、行きすぎた拡張戦略のために60億円の借金を抱えることとなった。同年「西原産業株式会社(現・株式会社マルハン)」も設立しており、巨額の借金を抱えた韓は返済のために本業のパチンコ事業に本腰を入れ、必死な事業活動を展開したことで、1986年3月にボウリング場事業の借金を完済した。
1995年には「マルハンコーポレーション」に社名変更して本社を京都市に移転。
1995年にはマルハンパチンコタワーを開店。
東京進出も果たし、マルハンを最大手のパチンコ店へと成長させるまでに至った。
1999年には日本国政府より勲三等瑞宝章を叙勲した。
2016年には日本国政府より紺綬褒章を授与された。