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【日本で脱獄?】脱獄したらどのような生活になるのか漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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【日本で脱獄?】脱獄したらどのような生活になるのか漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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日本で実際に起こった脱獄事件3選!4度脱獄に成功したケースも

日本は、脱獄が少ない国として世界的にも有名です。監視カメラの設置台数を増やすなど、監視システムの強化に努める刑務所もあるようですが、今年に入ってからも脱獄事件は発生しています。

 

この記事では、過去に日本で起きた脱獄事件を3つピックアップしてご紹介します。

 

日本の脱獄事件3選

脱獄をすると、単純逃走罪が成立し、法定刑は1年以下の懲役です(刑法第97条)。

また、逃亡中に拘禁場や拘束器具を損壊したり、暴行・脅迫をはたらいたりした場合は、加重逃走罪が成立します。法定刑は3ヶ月以上5年未満の懲役です(刑法第98条)。

 

白鳥由栄脱獄事件

日本の脱獄事件としては、おそらくこれが代表的なものの1つでしょう。

1933年に青森県にて、強盗殺人をはたらいたとして男性が逮捕。この男性は、1935年に収監されてから1961年に仮釈放されるまで、4度脱獄しています。

 

針金を使って合鍵を自作したり、みそ汁で手錠を錆びさせたり、トンネルを掘ったりなど、さまざまな手法を用いており、当時難攻不落といわれた網走刑務所からも脱獄しています。

脱獄する理由としては、『刑務所での待遇が悪かった』『勾留生活に飽きた』などがあったようですが、真偽のほどは定かではありません。

 

ちなみに、北海道網走にある野外歴史博物館『博物館網走監獄』では、マネキンを用いて彼が脱獄する様子を再現しています。

 

名古屋少年匕首殺害事件

この脱獄事件は、脱獄したのち、そのまま逃亡に成功した珍しいケースです。

1945年に愛知県にて、少年3名に対して強盗殺人をはたらいたとして、在日韓国人の男性が逮捕。犯行に匕首(ひしゅ:つばのない、短い刀)が使われたことから、通称『名古屋少年匕首殺害事件』と呼ばれています。

 

逮捕後、一度は名古屋拘置所に拘置されたものの、脱獄して消息不明に。犯行から50年以上経っていることや、おそらくすでに韓国へ逃亡しており、日本へ戻ってくる可能性は低いことなどを理由に、2001年に裁判が打ち切られています。

 

松山刑務所脱走事件

この事件については、まだ記憶に新しいという方も多いかもしれません。

 

2013年に、窃盗や建造物侵入などの容疑で男性が逮捕。2017年より愛媛県の松山刑務所に収監されましたが、2018年4月に脱獄し、約22日間逃亡を続けました。

 

捜索にあたっては広島・愛媛両県警から、およそ1万5,000人の捜査員が投入され、大規模な捜索活動が行われました。テレビや新聞などでも連日に渡って取り上げられ、移送の際は生中継で放送する局もありました。

 

まとめ

日本の脱獄事件は比較的少ないものの、一切発生していないというわけではありません。今年に入ってからも、世間を騒がすような脱獄事件も起きています。まだまだ監視体制を改善していく余地があるといえるでしょう。

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日本は脱獄事件が何故少ないか

「刑務所」 の言葉から何を思い浮かべますか。 

「脱獄」 を連想する方も多いのではないでしょうか。 

 

フランスの文豪デュマの作品、モンテクリスト伯ことエドモン ダンテスがマルセイユ沖孤島の城砦地下牢から脱出した話。 

 

脱走不可能といわれた米国のアルカトラズ監獄からの脱獄映画 「アルカトラズからの脱出」。 

脱獄を4回重ねた無期懲役囚を描いた吉村昭のノンフィクション 「破獄」。 

 

いずれも自由を求めて脱獄に執念を燃やした男の物語が最大の山場です。 

犯罪を憎み、犯罪者を恐れる市民でも、何故か脱獄犯に対しては賛嘆の気持ちを禁じ得ません。

ところが日本は、世界でも稀に見る脱獄事件の最も少ない国です。 

受刑者の逃走件数は、昭和57年以来、年間3件以下で、平成9年から12年までの4年間は、受刑者が1日平均4万人以上もいましたが、皆無でした。 

 

昭和44年に日本で始めてできた開放的施設の市原刑務所(収容定員約460人)では、その気になればいつでも逃走ができますが、現在まで逃走者は1人しかなく、その1人も10日後に父親に付き添われて戻ってきました。 

 

こういう状態ですから、数十年勤めた刑務官でも一度も逃走事件を経験せずに定年を迎えた人も多いでしょう。

逃走事件がないことに越したことはありませんが、では、日本に脱獄が少ない理由は何かと改めて問われると、その実証的研究といったものはなく、説明し難いのです。 

 

衣食住面の配慮、逃走防止に細かく神経を使う刑務官、警備上の配置も考え受刑者を分類する職員などの存在を抜きにしては考えられませんが、その人たちの警戒心は現場経験から生まれたものと言うしかありません。 

 

それが何かと尋ねても、精々、刑務官たちや受刑者たちからは個人的、断片的な意見が聞ける程度です。 

そこで、この諸説紛々の波に乗って脱獄事件の少ない理由を私なりに考えることにします。

   

まず、この問題の背景となる日本人文化との関係ではどうでしょうか。 

よく言われるように、日本は多民族国家でなく、異なる民族の人でも外国籍の人でも、日本での生活が長く、風俗習慣に同化した人が多く、お互いに相手の心理、考え方、価値観が全く相容れられないほどの違和感を抱くことはありません。 

 

周囲の人々と日本語で話し合えば互いの気持ちが大体分かりますし、話さなくても仕草から相手の心が分かり、それに応えられるといった、いわゆる以心伝心の一大文化集団の中で生活しています。

   

そこで相手が受刑者であっても、あるいは、相手が刑務官であっても、双方が話し合えば分かるという思い込みで接しても裏切られることのあまりない対人関係ができますと、例えば、死刑、無期刑判決を受けた直後、家族の病気、所内の対人関係のもつれなどから異常なストレス状態にでもない限り、あえて脱獄し、追跡される危険を冒すよりも、現在おかれている拘禁生活に順応する方をほとんどの被収容者は選びます。

   

これは、被収容者の側から見ると、自由が制限され、絶えず監視される生活とは言っても、衣食住の面で外の社会と比べ極端に悪いとは言えず、また、刑務官から不信、軽蔑の目で見られ命令される不快さはあっても、自分のしてきたことを思えば、耐えられないほど虐待を受けている訳でもないと諦めがつくからでしょう。 

この反省して諦めるという心も日本文化かもしれません。

   

他方、刑務官の側は、被収容者に対しては毅然とした態度で公平に扱うこと、保安原則を厳守することを徹底的に叩き込まれ、職員が一体感を持って当たり、被収容者の気持ちをおもんぱかり、相談事に親身になって乗ってやる態度を見せるならば、彼らの気持ちを和らげ、これがひいては施設の保安にも自分の身の安全にも役立つことを実務経験から学び、その正しさ信じています。 

この被収容者と刑務官との両者の物の考え方や心理が被収容者に所内生活へ順応する道へと向かわせるのではないかと思います。

   

しかし、近年の来日外国人急増の時代になりますと、これまでの日本人文化論からの説明だけではいかない事態が起こることがありますから、いつまでもこれが妥当する説明とは言えません。

   

例えば、平成8年に東京拘置所で起きたイラン被告人7人の集団脱走事件です。 

この事件は、イラン人たちが単独室で毎日熱心にイスラム教の礼拝をしているのを見て、一人で礼拝するよりも皆と一緒に行った方がよかろうと施設側が思い、またイラン人たちもそれを歓迎したことが始まりでした。 

 

そこで、7人を雑居室に収容したところ、逃走を謀議し、鉄格子を切断するために糸ノコを外部から巧妙に入手したのです。 

つまり、多くの日本人あるいは日本文化に同化した外国人ならば、拘置所側から好意を受ければ、義理を感じ、好意を仇で返すことはしまい、という拘置所側の思い込みの隙を突かれた事件だったのです。

   

また、脱獄の少ない理由をただ日本人文化から解釈するだけでは、実証性がとぼしく、例外のケースも多そうですので、これを補強するものが必要です。 

そこで受刑者たちの声からその理由を探ることにします。

以下は、出所直前の受刑者に 「職員に対して、一番、有難いと思ったのは、どんなことでしたか」 「職員を恨んだこと、辛い思いをしたのはどんなことでしたか」 と尋ね、書いてもらったものです。 

 

第一の質問の回答では、
 「冬の懲罰房にいた時、知らない職員から 『寒いだろう。風邪を引くなよ』 などと短い言葉をかけられたときです。」
 「父親の死亡通知を受けたとき、工場担当が仲間全員の前で一分間の黙祷の号令をかけてくれたときです。」
 「一寸したケガをした時、私には言わなかったのですが、職員がわざわざ医務所まで行って、薬をもらって来てくれたことです。」
 「冬季に、湿りがちな布団を好天候の時を見計らって、時々、乾燥してくれたことです。」
 「私は行状が悪く、満期出所になりましたが、『君は二度と妻や子供達に苦労を掛けず、再び刑務所に来る事なく、社会で元気にやってくれ』 との一言です。」

第二の質問の答えでは、
 「非常ベルで職員が飛び込んでくるのはいいが、多数のどさくさにまぎれて相手構わず、蹴飛ばしたり殴りかかったりする若い職員がいることです。」
 「われわれは卑下に値する人間かもしれないが、それを露骨に表し、突き放そうとする職員がいる。」
 「若い職員で、街中のチンピラと差して変わりない態度で、収容者を挑発し、矯正教育と錯覚しているのがいる。 これは、我々にとっても、職員にとっても非常に危険であると思う。」
 「入浴時、皆が一日の仕事が終わって風呂でホッとしている時、その場の職員がまるでわれわれを動物扱いする時、これが受刑者の一番頭を悩ます問題と思う。」
 「全部とは言いませんが、組関係者やヤクザっ気のある者に、特に目を掛けているとしか思えない職員がいる。」

これらの生の声に接しますと、これが脱獄の多寡に直結するとは言えませんが、職員の一寸した言葉、態度、行動が刑務所内の空気に影響して、所内での適応、不適応を招くきっかけになるだろうと実感される回答です。 

 

こう思う私自身、刑務所を渡り歩いている間、2回逃走事件に会いましたが、これについては、別の機会に譲ります。

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