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【イトマン事件?】銀行で起こったおぞましい未解決事件【住友銀行名古屋支店長事件】@アシタノワダイ
住友銀行名古屋支店長射殺事件
1994年(平成6年)9月14日早朝、住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長が何者かに射殺された事件。
2009年(平成21年)9月14日午前0時に時効となった。
現場
事件現場となったのは名古屋市千種区のマンション10階であった。
遺体は自室前のエレベーターホールの壁に右肩をもたれ、右足を折り、左足は投げ出して座るような格好で、血まみれになっていた。
銃弾が被害者の右目上から左後頭部を貫通していた。
ほかの外傷はなく、自宅ドアが開き、新聞が放り出されていたが、室内に接客したり、荒らされたような様子はなかった。
マンションの扉は全て内側からしか開かず、正面玄関は完全オートロックであった。
犯行当日も朝6時半ごろに新聞が配達されてから、誰も出入りした形跡はなかった。
被害者は支店長?
住友グループ関係者によると、被害者は磯田一郎の追い落としに奔走していたという。
支店長として、磯田が推進したパチンコ業者や水商売との取引が多い梅田北口支店や、平和相互銀行がらみの不正融資案件を多数抱えた京都・四条支店、山口組系フロント企業の口座が圧倒的に多い大阪駅前支店、闇金融業者などが多く利用する船場支店を歴任。
最後に支店長を務めた名古屋支店は、イトマン関連案件を除いても多数の不良債権を抱えていた。
事件で使用された短銃を所持していた男
1994年11月13日に短銃を所持した上で住友銀行大阪本店に訪れて融資を引き出そうとした無職の男(当時73歳)が銃刀法違反で現行犯逮捕された。
男は17年前の1977年9月に愛知医大関係者ら2人を監禁して現金約2億8000万円を奪う愛知医大三億円強奪事件を起こして懲役13年判決を受けた前科があり、2年前の1992年に出所していた。
男が当初は自分が実行犯と供述し、所持していた短銃は射殺事件の線条痕と一致したが、「男の供述からは犯行時間に間に合わない」「マンション玄関はオートロックで、鍵が無い場合は住人にインターホンで連絡して中から開けてもらないといけない」などの矛盾点が多く、射殺事件にどのように関与したか不明なことから立件を断念。
男は後に自分が実行犯であることを否定し、「事件について知っているが言えない」と口を閉ざすようになった。
男は短銃所持の銃刀法違反の他に、1994年11月に住友銀行頭取宅に脅迫状を郵送した脅迫罪や同年同月に短銃を所持して住友銀行大阪本店で融資目的で現金を脅し取ろうとした恐喝未遂罪でも起訴され、懲役7年判決が言い渡され確定した。
また、男に短銃を貸した暴力団幹部が銃刀法違反で逮捕・起訴されて懲役5年の実刑判決が確定したが、射殺事件に関する供述は得られなかった。
その後、男は別件で1993年4月に名古屋市の歯科医院で院長にエアガンを突き付けて現金を奪おうとした事件を起こしたとして強盗未遂罪で起訴されて懲役3年の実刑判決が、1993年2月にJRA理事長襲撃事件を起こしたとして強盗傷害罪で起訴されて懲役4年の実刑判決が言い渡された。
男は岐阜刑務所で服役し2009年6月に刑期満了で出所予定であったが、同年1月に病死した
イトマン事件
大阪市にあった日本の総合商社・伊藤萬株式会社をめぐって発生した、商法上の特別背任事件である。
日本における戦後最大の経済事件とされる。
1990年5月の日本経済新聞の報道で、伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2000億円に及んだことが明らかになったことをきっかけに、許は、河村に、美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定するとの話を持ちかけた。
これを受けて、伊藤萬は許永中の絡む三つの会社から、許永中の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受けた。
さらに磯田の娘も不明朗な絵画取引に加わったとされる。
これらの美術品は鑑定評価書の偽造などが行われ、市価の2~3倍以上という法外な価格であったが、河村や伊藤はこれを認識しながら買い受け、これによって伊藤萬は多額の損害を受けた。
異常な取引が続いた背景には河村が磯田の後ろ盾でワンマン体制を取っており、誰も河村を止めることができなかった事情があった。
そのほか、伊藤や許は、伊藤萬に対して、地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入させた。
その結果、伊藤萬本体から360億円、全体では3000億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して暴力団関係者など闇社会に消えていった。
中には伊藤萬の経営に対し批判的記事を書いた新潮社や日本経済新聞社へのマスコミ工作と称して流出した資金もあった(実際にマスコミ工作が行われたのかは裁判でも明らかになっていない)。
1991年元日、朝日新聞が「西武百貨店→関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、絵画取引の不正疑惑をスクープした。
1991年7月23日、大阪地方検察庁特別捜査部は特別背任の疑いで上記伊藤・許・河村を含む6人の被疑者を逮捕し、その後起訴した。
2005年10月7日、最高裁の上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年、河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。
しかし、これらの巨額資金の行方は今もって謎に包まれている。