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- 【水800円で炎上・顔面崩壊】川越シェフが消えた理由と現在を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ
- 川越達也シェフ「水800円」で炎上→地味生活、舌禍の背景にあった意外な生い立ち
- 川越 達也(かわごえ たつや)
【水800円で炎上・顔面崩壊】川越シェフが消えた理由と現在を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ
川越達也シェフ「水800円」で炎上→地味生活、舌禍の背景にあった意外な生い立ち
『食べログ』の「水だけで800円も」に反論
イケメンなスマイルでメディアに引っ張りダコだった“川越シェフ”こと川越達也(47)。その人気に翳(かげ)りが差したのはグルメレビューサイト『食べログ』をめぐる発言がきっかけだった。
’13年5月『サイゾー』のウェブインタビューで「くだらない」「何をわかって書いてるの?」と批判したのだ。
「僕の店も“水だけで800円も取られた”と非難されることがある。でも、当たり前だよ! いい水出してるんだもん。1000円や1500円取るお店だってありますよ。そういうお店に行ったことがないから“800円取られた”という感覚になるんです」
さらに「年収300万円、400万円の人は“お水にお金がかかるような高級店”には行ったことがないはず」とも。
絶対音感ならぬ“絶対味覚”を持つと豪語する川越にとっては、これも正論だったのだろう。
また、当時はそれくらい言っても許されそうな空気でもあった。「ジャンルにこだわらないイタリアン」が売りの『タツヤ・カワゴエ』は予約のとれない店として繁盛していたし、副業として、コンビニおにぎりやキムチ、牛丼、パチンコの景品までプロデュース。川越シェフ名義で『お米のおはなし』というCDも出すほど、彼自身がブランド化していたからだ。
それゆえ、週刊誌でこんな反論もした。「レストランという娯楽の中で、少しでも現実を忘れてほしい」「水がいつも飲んでいる水道水ではさめてしまう」などなど。ただ、スマイルを忘れた川越シェフにさめたのは、世間のほうだった。店には無言電話や嫌がらせのメールが殺到。落ち込み、悩んだ彼はメディアから消えてしまう。
炎上後は地味な暮らしぶりに
4年後、別の週刊誌ではこんな近況を語った。
「家庭のことと子育てもありますし、できることなら世の中の人から僕の存在は忘れてもらいたいくらいです」
実は’16年に再々婚。その後、2児の父となった。『タツヤ・カワゴエ』は閉店して、地元・宮崎の農家とコラボ事業を立ち上げたりしたが、以前よりは地味な暮らしぶりだ。
それにしても、彼はなぜ『食べログ』の件でスマイルを忘れるほど怒ったのか。そのインタビューでは“水”の話ばかりがクローズアップされたが、意外な生い立ちも明かしていた。貧乏で、家族仲が悪く、親戚に障害者が何人もいたため、
「一発当てるために早く自分の武器を見つけて磨かなければいけない」「川越家で何かあったら、俺が助けてあげられる人間になっていよう」
という上昇志向や責任感を強く持って、生きてきたという。そんな秘められた熱さが、成功につながったものの、舌禍も招いてしまったのだろう。
昨年、バラエティー番組の取材に手紙で応じた際、現在は長野在住で、都内に新たな店を準備中だとしていた。
あれから7年、そろそろあの発言も“水”に流してもらえるころ合いかもしれない。
(文/宝泉薫)
川越 達也(かわごえ たつや)
1973年3月7日
日本の料理人、タレント。株式会社タツヤ・カワゴエ代表取締役。
経歴
宮崎県東諸県郡国富町出身。血液型O型。
宮崎県立本庄高等学校を経て、大阪あべの辻調理師専門学校へ入学。
同校ではフランス料理を専攻する。
卒業後、大阪・北新地のフランス料理店で働くが、バブル崩壊の影響で勤めて2年程で閉店することになり、その店主の紹介で神戸の料理店へ転職。
そこで阪神・淡路大震災に遭い、店と住居が被災したことで1か月後上京し、東京のウィークリーマンションに住み喫茶店・飲食店でアルバイト経験を重ねた。
飲食店経験としては、大阪でお好み焼き店をやっていた時期があったり、日本料理店などで修行を重ねていた。
その最後となったイタリア料理店では通常の料理提供以外にも隣接するカラオケボックスでも注文を受け料理を提供していたことで客層は幅広かったこともあり、ここで評価されればチャンスがあると川越は考え、修行を重ね腕を磨いていった。
そして、客の一人としてカラオケボックスに来店したシェフから料理を高く評価された事で、1997年7月にそのシェフが携わるレストランの新店舗に料理長として抜擢され、その後2店舗で料理長を歴任した。
1998年9月3日放送の『TVチャンピオン イタリアンシェフ日本一決定戦』(テレビ東京系列)に出演したが、予選のパスタ対決で4人中最下位(50点満点中34点、他は41点・46点・44点)となり最初に脱落。大敗したものの「10年後楽しみにしてて下さい」というコメントを残した。
2000年に独立し創作イタリアン「ティアラ・K・リストランテ」を開店。
開店当初は予約や客が入らず、店を維持するために営業終了後に深夜のアルバイトを行ったり、近所のパチンコ店に通ったり、借金が膨れ上がった時期もあった。
2006年、「TATSUYA KAWAGOE」に改称し代官山へ移転、オーナーシェフを務める。
かつては2か月先まで予約が一杯であるとされたが、同店は川越によって時期は明らかにされていないが無期限休業する方針が示されており、理由として「40代に向け自分をもっと成長させたい」との説明が行われている。
ソロモン流放映後、本人のブログで「僕が伝えたい事はゼロでした。勘違いしないでくださいね。
僕、店は辞めませんよ。」と閉店は否定している。
料理人としての活動の他、フードコーディネーター、料理講師としても活動している。また、知人である料理人の吉岡英尋(日本料理「なすび亭」)、枡谷周一郎(イタリア料理「オステリア ルッカ」)、笠原将弘(日本料理「賛否両論」)と共にコラボレーショングループ「CESSA(セッサ)」を結成し、和食店を立ち上げたり、若手料理人数十名とチャリティーディナー会を開催するなどグループを中心とした活動を積極的に展開していた。
この活動が更に進展し、弟分4人で立ち上げた「タクマ」組を応援する意味も込めて、既存の「セッサ」組と合わせ『セッサ・タクマ』という8人組のシェフ集団に発展させて、活動の幅を増やす展開を行っている。
2012年4月25日に「お米のおはなし/カレーライス学校」でCDデビュー(「川越シェフ」名義)。同年11月19日に、EXILEのKEIJIとのコラボレーション商品「男が絶対よろこぶ 男(DAN)シチュー」「君と食べたい 女(JO)シチュー」を発売。
2016年11月21日、自身のブログに於いてかねてより交際していた一般女性と本年に入ってから入籍(再々婚)し、第一子となる女児が誕生したことを明らかにした。
2017年3月現在では経営する店は全て休業・閉店状態であり、メディアへの露出なども断って世間から忘れられることを望むと週刊文春の取材に答えた。
2019年8月9日放送の『爆報!THEフライデー』(TBS系)の中で、長野に移住していることを公表した。なお、東京・中目黒で新しい店舗の出店準備をしていることも明らかにした。
評価・評判
「ジャンルにとらわれず、常に新しい素材やレシピに挑戦する独自のスタイル」や「ジャンルにとらわれない、斬新でオリジナルな料理」が評価され、食品・外食業界でキムチ・パスタ・ファーストフード・コンビニ商品・パチンコ端玉景品など複数の監修商品が発売されている。
川越のこういった活動や対応に対して批判的な意見も存在する。
料理ライターを名乗る友里征耶も、「私は1度、店を訪れましたが、料理はデパ地下の総菜レベル。きちんとした店で修業していないのだから無理もありません。
多分、ご本人もそれを理解しているからこそ、味ではなく雰囲気で見せているのだと思います。テレビ受けがいいのは、しゃべれる料理人は珍しいからでしょう。芸人とトークできる“プロ”の料理人はいませんから」と推測している。
幅広い活動に対し「手を広げ過ぎではないか」という料理界関係者の意見も多い。
また、川越がメディア側を軽んじる対応をしたことから、関係者から不満が述べられていた。
2013年5月19日付で配信された雑誌「サイゾー」のウエブサイトで「食べログ」のような評価サイトをどう思うかと質問され、
「くだらないです」
「年収300万円、400万円の人が高級店に行って批判を書き込むこともあるが、 そういう人たちには高級店の企業努力や歴史がわからない」
と発言。以前に自分の店で水を注文した客の書き込みで
「水だけで800円も取られた」と非難されたことに対しては、
「当たり前だよ!いい水出してるんだもん。1000円や1500円取るお店だってありますよ。
そういうお店に行ったことがないから『800円取られた』という感覚になるんですよ」と語った。
絶対音感ならぬ『絶対味覚』を持つと自称している