アシタノワダイ削除動画@ホンネとタテマエ

アシタノワダイを解説・まとめ・考察する

【奇習】日本で実在した闇が深い奇習を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシワダの避難所

f:id:neko7773:20211107095026j:plain

信じるか信じないかはあなた次第

www.youtube.com

【閲覧注意】日本の田舎・地方・集落の怖い風習12選【タブー】

昔の日本の田舎・地方・集落では、現代社会では考えられないような怖い風習・奇習が行われてきました。

それらの風習ははるか昔に消滅してしまったものもありますが、中にはつい数十年前まで行われていたような恐ろしい風習も存在しています。

この記事では、現在ではタブーとなっている田舎や地方の不思議で恐ろしい風習・奇習を12選ご紹介していきます。

日本の田舎・地方・集落の怖い風習・しきたり12選

地方の怖い風習

今回ご紹介する地方の怖い風習は、以下の12選です。

1. 夜這い

まず初めにご紹介する日本の怖い風習は「夜這い」です。

夜這いとは、夜中に男性が女性のもとを訪れる行為で、日本各地で広く行われていた性に関する風習です。

古くは万葉集にも「夜這い」に関する記述があり、現代では高度経済成長期の直前まで地方の農村・漁村などの集落で行われていたという記録があります。

夜這いの驚くべき内容としては、恋人だけでなく見知らぬ相手の家にも訪れていたという点です。

現代ではなかなか考えられない風習ですが、地方では集落の人口維持のために必要な風習だったのかもしれませんね。

2. 村八分

誰もが一度は「村八分にされる」といったような言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?

「村八分」とは、集落や村などにある掟や規則を破ったものなどに課せられる制裁の一種で、過去の日本では普通に行われていた風習です。

また、現代でも村八分が起きた事件はいくつかあり、静岡県上野村村八分事件や新潟関川村村八分事件などが有名な村八分の事例となっています。

いずれにせよ、閉鎖された集落や村などでは、現代社会でも普通に行われてる風習なのかもしれませんね…。

3. おっとい嫁じょ

地方の怖い風習には、「おっとい嫁じょ」という衝撃的すぎる風習があったとされています。

「おっとい嫁じょ」は別名「誘拐婚」とも言われており、結婚を申し込んだ女性に拒否されても無理やり強姦して傷物にし、強制的に結婚させるという恐ろしい風習です。

この風習が明るみになったのは、1959年に鹿児島県串良町で発生した「ある暴行事件」でした。

この暴行事件は、ある青年が20歳の女性にプロポーズを試みたものの見事に振られてしまったため、地元で行われていたという「おっとい嫁じょ」を利用して、女性と無理やり結婚しようとしたという事件です。

この青年は裁判でも、「おっとい嫁じょ」という慣習・風習があることを理由に無罪を主張しますが、最終的には実刑3年の有罪判決を言い渡されます。

現在「おっとい嫁じょ」の風習は完全になくなっていますが、鹿児島県の一部では第二次世界大戦前までこの風習が行われていたという説もあるようです。

4. おじろく・おばさ

おじろく おばさ

長野県神原村(現天龍村大字神原)では、「おじろく・おばさ」という驚くべき特殊な風習が行われていました。

神原村は耕地面積が狭いこともあり、村人の人口を抑制する必要があったとされています。そのために行われていた風習が「おじろく・おばさ制度」でした。

この「おじろく・おばさ制度」は、長男のみが家を継いで社会生活を送り、その後に生まれた次男や女性は「長男のために生涯無報酬で働き続ける」というものです。

おじろく おばさ

おじろく(男)・おばさ(女)は、村祭りへの参加や近所の人たちとの交流もなく、もちろん生涯結婚することも許されません。家庭内の地位も非常に低く、戸籍には「厄介」と記載されていたという説もあります。

そういった家庭環境も関係してか、おじろく・おばさは基本的に人嫌いで無気力な性格だったと言われています。

神原村では、16〜17世紀頃からこのような特殊すぎる風習・しきたりが行われていたようですね…。

5. 与那国島・クブラバリ

沖縄県与那国島では、村の人減らしの方法として「久部良割(クブラバリ)」という風習が行われていました。

「クブラバリ」とは、与那国島の久部良地区にある3〜5mの岩の裂け目に妊婦を集め、裂け目を1人ずつ飛び越えさせるというものでした…。

ほとんどの妊婦が飛び越えることができなかったと言われており、転落死あるいは流産してしまったと言われています。

また、与那国島では「クブラバリ」でも人口が減らなかったため、「人桝田(トゥングダ)」と呼ばれる田んぼに入れなかった男子を村公認で虐殺していたという記録も残っているようですね…。

6. 丑の刻参り

頭にロウソクを立てた白い装束の女が、神社で藁人形を釘で打ち込む。

こういった姿や映像を一度はテレビで見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

この風習は「丑の刻参り」と呼ばれており、丑の刻(午前1時〜3時)に神社で憎い相手を呪うという日本ならではの恐ろしい風習です。

人に見られると効力がなくなるとも言われており、古くは様々な人たちがこの「丑の刻参り」をひっそりと行っていたと言われています。

お笑い番組などで「丑の刻参り」をパロディにしているのも多いので馴染みがある方もいるかと思いますが、冷静に考えると恐ろしすぎる風習ですよね…笑。

7. 石合戦

石合戦引用:Wikipedia

戦国時代の日本で、合戦を模した遊びとして定着していたという「石合戦」

二手に分かれた集団がお互いに石を投げ合って相手を倒すという少し変わった風習となっており、日本各地で定着していたと言われています。

しかし、合戦を模した遊びとは言え、非常に危険であることからけが人はおろか、最悪死者が出る場合もあったとのことです。

その危険性から当時の幕府が禁止令を出すほどでしたが、村同士の水利や土地などの利権問題の際には、秘密裏に「石合戦」が行われていたという説もあるようですね。

8. 骨噛み

骨噛み

その名前からある程度内容を推測できる風習が「骨噛み」です。

「骨噛み」は、葬儀の際に「死者の魂を後世に受け継ぐことを目的として、残された遺族や知人が死者の遺骨を口に入れて噛む」という奇妙な風習です。

この「骨噛み」は日本各地で行われていたとされており、特に九州地方では「骨噛み」の言い伝えがたくさん残されているとのことです。

また、噛む骨の部位にも重要な意味があるとされており、「喉仏」は一番親しかった友人や知人などが優先的に噛んでいたとされています。

9. 即身仏

「即身仏」は、飢饉や疫病から民衆を救うために、仏教の修行僧が厳しい修行を経てミイラになるという風習です。

江戸時代などでは一部の修行僧を中心に行われていた風習でしたが、日本が近代化する明治時代以降、法律にて「即身仏」が禁止となりました。

即身仏になるためには、「木食」と言われる肉を避け、木の実や草のみを食べて体内の脂肪を削ぎ落とすといった厳しい修行を乗り越える必要があります。

馴染みのない私たちからすれば怖い風習にも思えますが、仏教の修行僧にとっては民衆を救うための非常に尊い風習だと言えるでしょう。

10. 人柱

「人柱」とは、城や堤防、橋などの建造物を災害から守ることを目的として、地中や水中に生きたままの人間を埋めたりする恐ろしい風習です。

神への祈りのために「人柱」は日本全国で行われ、特に江戸城などをはじめとしたお城から数々の人柱の骨が発見されています。

また、人柱が立ったとされる人物が神として祀られている神社も、日本でいくつか見つけることもできます。

11. 人形婚

人形婚

「人形婚」は別名「冥婚」「死後婚」とも呼ばれ、亡くなった子に「せめてあの世では結婚してほしい」という親の思いのもと、人形と結婚させるという風習・奇習です。

青森県には、死後婚をした人形を納めるお寺があり、第二次世界大戦で亡くなった息子たちの結婚相手となった人形が数多く納められています。

「この世では結婚できなかったけど、せめてあの世ではお嫁さんをもらってほしい」という親の思いから始まった悲しい風習なのかもしれませんね…。

12. 火起請(ひぎしょう)

火起請 ひぎしょう

最後にご紹介する、日本の恐ろしい風習は「火起請(ひぎしょう)」です。

「火起請」とは、戦国時代から江戸時代にかけて行われていた風習で、村同士で争いごとが起きたときの裁判の一種として行われていました。

「火起請」の内容としては、各村が代表者を1名ずつ選び、その選ばれたものが「赤くなるまで熱した鉄の棒を素手で神棚まで運び、その完遂の度合いによって村の主張の成否が判断される」というもの。

もちろん熱した鉄の棒を持った代表者は大火傷を負い、場合によっては障害が残ってしまうことも珍しくなかったそうです。

聞いただけでも恐ろしい風習ですが、このような風習が日本で行われていたというのが信じられないくらいですね…。

reichenbach54.com

山形県東部に残る「死後婚」の風習 ムカサリ絵馬に込める思い

 

ひっそりと森の中で建つ小松沢観音に残るムカサリ絵馬=山形県村山市(柏崎幸三撮影)

 

山形県東部の村山地方から最上地方にかけて江戸時代から残る風習がある。結婚せずに亡くなった子供のために親などが、子供の結婚式を絵馬にして奉納する風習「ムカサリ絵馬」だ。最上三十三観音といわれる観音堂に奉納される場合が多く、ムカサリ絵馬からは「来世で幸せになってほしい」と願う親たちの気持ちが伝わってくる。(柏崎幸三)

観音信仰と瞑婚

 ムカサリ絵馬が奉納される観音堂は、上山市から鮭川村まで、最上三十三観音の地域と重なる。東アジアでいまもみられる死者の婚礼「瞑婚(めいこん)」に由来するものといわれ、青森県津軽地方では人形で供養されるが、山形県ではムカサリ絵馬として奉納されてきた。

 最上三十三観音札所別当会の佐竹義弘会長(78)は「この地域には昔から観音信仰があり、観音堂のある最上三十三観音にのみムカサリ絵馬は奉納されてきた」と話す。なかでも多いのは村山地方で、天童市の若松寺(じゃくしょうじ)(若松(わかまつ)観音)、村山市の小松沢観音、東根市の黒鳥観音などだ。

 江戸末期の文久年間のものも含め1500体近くのムカサリ絵馬が奉納されている若松寺。同寺の氏家榮脩住職(82)は「仏教では、結婚は前世からの因縁で先祖の慈悲によるものと考えられており、その結婚が欠けてしまうと人生を全うしたとはいえなくなってしまう。死後の世界で結婚させ、人生を全うさせてあげるためにムカサリ絵馬を奉納してきた。輪廻(りんね)転生につながると考えているからだ」と説明する。

 若松寺の本坊内は彩色豊かに描かれたムカサリ絵馬が掛けられ、穏やかな雰囲気に包まれている。童顔の男の子やかわいい女の子の顔ながら、立派な婚礼衣装で着飾った新郎新婦姿。いずれも俗名や戒名、奉納者の名前が書かれている。なかには、親族が集まり披露宴を描いた絵まであり、若くして亡くなった子供への親の愛情がくみ取れる。

同寺の鈴木純照教務(71)は「あの世で一人でいるのはあまりにも可哀そうだと思う親たちが、ムカサリ絵馬を奉納しているんです」と話す。

ムカサリ絵馬師

 明治期のムカサリ絵馬が数多く残る黒鳥観音には絵の苦手な奉納者に代わって描く、ムカサリ絵馬師といわれる人がいる。

 「私自身は霊能師ではありませんが、描かされて絵を描いている」と話すのは、黒鳥観音別当の槙寿広さん(63)。

 槙さんはこれまで、奉納者に会うことなくムカサリ絵馬を描いてきた。「私は亡くなった子供の写真なども見ません。描こうという気持ちになってから描くのですが、不思議なほど似ているといわれます」と話す。

 もう一人のムカサリ絵馬師、高橋知佳子さん(47)は、小さいころから死者の霊が見えたという。修行を経てムカサリ絵馬師になった。

 「亡くなった子供の相手となる人は生きている人を描いてはいけないという原則がある。実在する人を描いて連れていかれてしまった(亡くなった)人がいたと聞いているからだ」といい、結婚相手には架空の人を描くことにしている。

 高橋さんは、若松寺の紹介でムカサリ絵馬の依頼を受け、今年8月にも1点奉納した。遺族から写真をもらい、頭の中で亡くなった子供の魂に語りかけ、ボールペンやアクリル絵の具を使い、ケント紙などに描いていく。

高橋さんは「亡くなられた方の供養にもなるムカサリ絵馬を描き、魂のお手伝いをしていきたい」という。奉納者と故人だけでなく、自身もムカサリ絵馬を描くことで魂が救われると信じている。

 

www.sankei.com

奇習! 息子の新妻と無理やりSEX、“検分”と称して妊娠させるオッサンたち…! 九州北部に実在した「花嫁の味見」の伝統

【日本奇習紀行シリーズ】 九州北部

奇習! 息子の新妻と無理やりSEX、検分と称して妊娠させるオッサンたち…! 九州北部に実在した「花嫁の味見」の伝統の画像1画像は「Thinkstock」より引用

 たとえ、普段はその心の奥底に秘めていたとしても、いつの時代も男たちの欲望というのは、実に“えげつない”もので、そうした“えげつない想い”というのは、時として、理不尽極まりない悪習を生み出すものだ。


「なにせ、このあたりじゃ、よそから嫁いできた息子の嫁を“味見”する習慣があるもんだからね。そのせいで、ひと頃は嫁の来手がなかったぐらいだよ(苦笑)。」


 その昔、九州北部のとある地域に存在していたという、“花嫁の味見”に関する奇妙な風習についてそう語るのは、当地で生まれ育ち、その後、関東地方に移住して今に至るという、大友義道さん(仮名・80)。大友さんの話によると、少なくとも今を遡ること約半世紀前の1960年代半ばまでは、当地において、新郎の父による“新婦の味見”が、当たり前のように行われていたのだという。


「昔はね、“自分のかわいい息子の相手に不具合があったら困る”だなんて嘯いてさ、このあたりじゃ、嫁いできたばかりの息子の嫁をね、夜な夜なフラリと訪ねてね、あれやこれやとやっていいことになっていてさ。まあ、自分のカミさんよりもはるかに若い歳のさ、ウブな新妻をだよ、自分の思い通りにしていいだなんていう権利がね、あったとしたならば、だ。だいたいのおっさんたちは、それを喜んでやるでしょうよ(笑)」


 大友さんによると、当地においては、結婚から1カ月の間に“限定”する形で、自身の息子たちの元に嫁いできた花嫁を、“検分”と称して、自由に犯す権利が、どの家の主人にも与えられてきたのだという。そのため、当地の男性たちの多くは、自身の結婚後、愛妻が身ごもるたびに、まだ見ぬ我が子が「自分の子供であって欲しい」と祈るような気持ちで過ごし、同時に、その行く末を案じる形で、「男の子であって欲しい」と本気で願うほどなのだそうだ。

「まあ、普通に考えれば、親子ほど歳の離れた関係ではあるけども、だよ。やっぱり男っていうのは、いつでも若い女の裸を見たいものだし、願わくば抱きたいと思う生き物なわけ(笑)。だからね、ここいらじゃ“そういう行為”がさ、“習慣”として生まれたわけだけれでもね、まあ、当の若い女たちからすりゃあ、タマったもんじゃないわな」


 実際、こうした忌まわしき行為が、「習慣」として定着しきっていたことで、当地においては、結婚後すぐにできた子供については、それこそ、「誰が父親なのかわからない状態」(大友さん)であることも、少なからず存在していたのだという。


「……うーん、そういうね、“父親が誰か?” だなんていうことはさ、この際、どうでもいいわけ。だって、息子が親だろうと、父親が親だろうと、先祖代々続いてきた血は引き継がれるんだから(苦笑)」


 いわゆる“初夜権”にまつわる逸話についても言えることだが、そもそも結婚したばかりの女性が、夫以外の男性と性交渉を行うこと自体、深刻な問題であるし、その結果、妊娠したともなれば、現代ならば離婚に直結しかねない夫婦の危機。おそらくそれは当時もさほど変わらなかったと思われるが、そうした致命的なデメリットがあっても、なぜか当地におけるこの風習は、長きに渡って続けられていたという。やはりいつの時代も、我が身を律する高邁な精神と比べ、人々が抱きがちな劣情というのは、大きな力を秘めているものなのかもしれない。
 

文・取材=戸叶和男

tocana.jp