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- 【鬼畜すぎて死刑】少女一人を56して死刑になった男の話を漫画にしてみた【奈良小1女○○害事件 小林薫死刑囚】
- 小林薫死刑囚の生い立ちや家族!奈良小1女児殺害事件の内容や被害者遺族の現在も総まとめ
- 小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」とは
- 小林薫の恵まれなかった生い立ちと過去の犯罪歴
- 小林薫の家族は弟だけだった…
- 小林薫「奈良小1女児殺害事件」被害者遺族の悲しみ
- 小林薫の最期は?~死刑執行を望むも最期に「生」への執着を見せる
- 小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」について総まとめすると…
【鬼畜すぎて死刑】少女一人を56して死刑になった男の話を漫画にしてみた【奈良小1女○○害事件 小林薫死刑囚】
小林薫死刑囚の生い立ちや家族!奈良小1女児殺害事件の内容や被害者遺族の現在も総まとめ
2004年11月17日に起きた奈良小1女児殺害事件の犯人・小林薫は小児性愛者で事件当時は大きく話題になりました。
今回は小林薫死刑囚の生い立ちや家族の存在、そして被害者である有山楓ちゃんの遺族の現在など情報を詳しくまとめました。
小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」とは
小林薫、2004年11月に小1女子児童を誘拐殺害
奈良小1女児殺害事件は、2004年11月17日、奈良県奈良市で帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐され、その後殺害・遺棄された誘拐殺人事件です。
ことの発端は11月17日の夜でした。犯人小林薫が被害者の携帯電話を使って「娘はもらった」と母親にメールし、そのメールには被害者の画像も添付されていました。
この携帯電話はGPS機能付のものでしたが、小林薫は使用後、携帯電話の電源を切っているか、その機能をオフに設定しています。
司法解剖の結果、水死と判明し、肺にたまっていた水が汚れていなかったことから水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて、水死させたと判断されました。
また、殺害時に被害者を裸にして殺害後に服を着せたと見られています。手足にはすり傷があり、この擦り傷は殺害後に意図的につけたものと判明しました。歯も殺害後に数本抜かれていました。
そして12月14日未明、犯人と思われる人物から両親や親族の携帯に、「次は妹を狙う」と被害者の女児が持っていた携帯電話からメールが送られた。このメールにも被害者の画像が添付されていたのです。
12月30日、奈良県警察本部は毎日新聞販売店店員だった男小林薫の自宅を家宅捜索し、女児の携帯電話とランドセル、ジャンパーなどを発見し、誘拐を認めたため逮捕、その後2005年1月19日に殺人と死体遺棄容疑で再逮捕されました。
逮捕のきっかけは、女児の携帯電話から小林薫の携帯電話にメール発信がされていたことで、その通信記録から小林薫が割り出されました。
小林薫の自宅からは幼児ポルノのビデオ80~100本や雑誌それに盗んだものと見られる女児の下着や衣類が約80枚、およびダッチワイフが押収されており、小児性愛者であることが判明します。
また、女児が小林薫の車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが、実際には行きずりの犯行で、小林薫は女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かったと供述しているそうです。
更に小林薫には過去に幼児への強制わいせつの前科があり、性犯罪者を登録、監視する米国のミーガン法などにならった前歴者への監視を強めることの必要が議論されることとなりました。
裁判の死刑判決にガッツポーズをみせた小林薫
2005年4月18日、奈良地方裁判所で初公判が開かれ「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤として世間に名を残したい」という小林薫の述べた供述を検察官は朗読しました。
奈良地裁は2006年9月26日、小林薫に求刑通り死刑判決を言い渡すと、小林薫はガッツポーズも見せ、判決後に弁護人に対し「死刑は覚悟していた」と述べています。
弁護側は、判決を不服として大阪高等裁判所に控訴したが、10月10日に小林薫自らが控訴を取り下げ死刑が確定しました。
判決後2006年10月30日、遺族に弁護人を通じ、自分の行為は「人として最低な行為」であったが、「公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と書かれた文章を手渡そうとしたが、公判の様子からして本心からの謝罪だとは思われずに遺族に拒否されてしまいます。
被害者小1女児・有山楓ちゃんの死因は水死
被害者の死因に関して検察側は「水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて水死させた」とし、小林薫自身も逮捕後に主張を否定しませんでした。
それは「もう死刑で早く死んでしまおう」という意向によるものだったと後に雑誌に手記を寄せています。
しかし小林薫本人によると真実は、「悪戯をするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」というものでした。
小林薫の恵まれなかった生い立ちと過去の犯罪歴
このような事件を起こす犯人は生い立ちに何か原因がある場合がありますが、小林薫に関してもあまり良い幼少期を送ったとは言えません。
小林薫、父親からの暴力を受けていた子供時代
小林薫は大阪市住吉区の燃料店を経営する両親の長男として生まれ、幼少時から父親に暴力を振るわれていました。
さらに、暴力を制止していた母親は10歳の時に難産のために亡くなってしまうのです。
また、この時に生まれた弟に脳性まひが残ったため、家族は弟に付きっきりになり、小林薫は孤独な状況になってしまいました。
また、左目の視力が低いことなどから、中学時代には不良グループからいじめを受けており、そのいじめは中学になって急にではなく幼稚園の頃からいじめを受けていたそうです。
小林薫、高2で最初の犯罪に手を染める
そしてその後から小林薫は犯罪に手を染め始めます。小林薫は府内の私立高校入学しますが、2年時の夏、クラブの合宿で鳥取県に行った時、宿泊していた旅館近くのマンション踊り場で見かけた小学3年くらいの女児2人にいたずらをしています。
1987年3月に高校を卒業し、大阪市の飲食店に就職したが、長続きせず退職してし、新聞配達の仕事をしますが、中には新聞契約をねつ造するなど、勤務態度の悪さから解雇されたこと、現金を持ち逃げしたこともあったそうです。
小林薫、5歳幼女の殺人未遂容疑で懲役3年の過去
1989年12月小林薫が20歳の時、5歳の女の子2人に服を脱がせてわいせつ行為をし、懲役2年、執行猶予4年、猶予期間中の保護観察処分となります。
さらに、1991年10月には、団地で5歳の女の子にわいせつ行為をしようとして、幼女の首を絞めたとして、殺人未遂容疑で逮捕されているのです。
この事件では懲役3年の実刑判決となり、刑務所生活を送るものの、本人は反省などはせず、傍目には真面目に過ごし、仮釈放を得ることだけを考えていたそうです。
そして1995年11月9日仮出獄し、1996年7月23日には仮釈放期間が満了、その後は2004年初めから大阪市東住吉区の毎日新聞湯里販売所に勤務していたが、4月に集金した新聞代を持ち逃げ、またこの店に勤務していた間、朝刊を配達する未明の時間帯に民家の物干しなどから女の子の体操着や下着類を物色し、盗んでいたそうです。
同年9月26日、北葛城郡内で当時6歳の小学1年生女児に声をかけ、体を触るなどわいせつな行為をし、強制わいせつ罪で起訴、その後にこの事件を起こしてしまうのでした。
小林薫の家族は弟だけだった…
上記の小林薫の生い立ちを見てもわかるように、小林薫の家族は父と弟だけですが、父親は後に病気でなくなってしまっているので、実質家族は弟だけです。
インタビューで弟は「だからといって、犯罪を犯してもいいわけないだろう!?」と実の兄に対する怒りのコメントしている場面もありました。
弟の情報に関しては基本的に出回っていませんが、同姓同名の俳優で「小林薫」さんがいて、俳優の小林薫さんが小林稔侍さんが兄弟だという噂があり、「小林薫 兄弟」などで検索するとその話題がヒットしてしまいます。
しかし、俳優の小林薫さんと小林稔侍さんも兄弟でなければ、この犯人の小林薫とも全く関係がないので、間違ってしまわないように気をつけてください。
小林薫「奈良小1女児殺害事件」被害者遺族の悲しみ
被害者小1女児・有山楓ちゃんの父親が手記を発表
この事件はやはり被害者となった家族には多くの苦しみを残しました。当時小学生1年生だった女の子、家族としてもまだまだ人生がこれからという時期だったことでしょう。
その悲しみは簡単に消えることはありません。
今年で楓が被害にあったあの日から10年が経(た)ちました。10年は長くも感じますが変わることのない悲しみや苦しみはあの日のままです。
引用:「悲しみや苦しみ あの日のまま」 奈良・小1女児殺害から10年 有山楓ちゃんの父が手記(1/2ページ) – 産経WEST
このコメントを残したのが2014年のことです。2018年現在ではそこから4年経っているわけですが、それでもまだ傷は癒えていないでしょう。更に被害者の女児には姉妹がいたそうですが、妹もたまに夢を見てしまうそうです。
あの明るい笑顔や仲の良かった姉妹、事件がなければ今はどんな毎日を送っていたのだろうと考えてしまいます。家族を守れなかった後悔はこれからも消えることは決してないと思います。普通に過ごす毎日がどんなに幸せか、何気ない会話がどれだけ楽しいか、奪われた命が私たちにとってどれだけ大きく大切であったかを痛感する毎日です。楓が生きていれば今は高校2年生です。楓の妹も時々高校生の楓と遊んだ夢をみます。
引用:「悲しみや苦しみ あの日のまま」 奈良・小1女児殺害から10年 有山楓ちゃんの父が手記(1/2ページ) – 産経WEST
そして更に2016年にもコメントを残しています。
事件から12年が経(た)ちました。あの日の後悔・無念・悲しみの記憶は消えることなく、今でも頭の中を駆け巡ってきます。楽しかったことを思い出すにも必ず身元確認の時の表情が出てきます。そして通夜・葬儀の記憶が呼び戻されてきます。喪失感は、時間が解決してくれません。
引用:「後悔、無念、悲しみの記憶は消えることない」奈良・小1女児殺害から12年、有山楓ちゃんの父が手記(1/2ページ) – 産経WEST
2014年から2年経過した後でも、ずっと被害者女児のことを思い出し、時間での解決は難しそうです。ただ、一つの支えとして犯罪被害者・被害者遺族への支援も拡充されていることを挙げています。
奈良市で平成16年に小学校1年の有山楓(かえで)ちゃん=当時(7)=が誘拐、殺害された事件から13年を迎え、同市と市教委が主催する「子ども安全の日の集い」が18日、奈良市役所で開かれ、参加者らが子供たちが安全に暮らせる社会の実現について考えた。
更にこの事件をきっかけにこのように事件に関して対策を考えるような会も開かれるようになりました。
被害者家族の無念を晴らすことは難しいかもしれませんが、こうした活動が励みになっていることを願います。
小林薫の最期は?~死刑執行を望むも最期に「生」への執着を見せる
小林薫、2013年2月21日死刑執行
犯人である小林薫は死刑となり、2013年2月21日、大阪拘置所で死刑が執行されました。裁判では投げやりな態度で死刑を急いでいたように見える小林薫ですが、ところどころ生に執着する姿も見せていたようです。
また、ある情報では最期の言葉として「ふ、ふ、風呂とちゃうんか?・・・」という言葉を残してると言われています。
これがどういう意図なのかは不明ですが、同じように水死させられると思ったのか、もしくは風呂だと思って呼び出されたと思ったのかどちらかでしょう。
この言葉がもしも真実であるならばどもっているあたりからも死への恐怖心を感じます。このことから、小林薫も最期の最期で死に対しての恐怖心が出てしまったのでしょう。
小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」について総まとめすると…
・小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」は、2004年11月17日に奈良県奈良市で帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐され、その後殺害・遺棄された誘拐殺人事件である。
・小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」の被害者は、当時小学1年生だった有山楓ちゃんで、死因は水死である。
・小林薫の生い立ちは壮絶で、幼少期より父親より暴力を振るわれ、母親は弟の出産時に亡くなっている。
・小林薫の家族は父親が亡くなっているため脳性まひの弟が1人だけである。
・小林薫は死刑執行を望んでいたものの、最期は「生」への執着を見せていたといわれる。
・小林薫は2013年2月21日、大阪拘置所で死刑が執行され死亡した。小林薫の生い立ちなどから小林薫を擁護するように思えるコメントなどもありますが、小林薫の弟がいうように、だからと言って人を殺していいわけではありません。
もちろん亡くなってしまった被害者女児の無念が一番大きいと思いますが、残された遺族もやり切れない想いでいっぱいでしょう。
遺族の気持ちが晴れること、そして、このような事件がなくなることを切に願います。