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【修羅の国、福岡】日本唯一の特定危険指定暴○団体 工藤会について漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

【修羅の国、福岡】日本唯一の特定危険指定暴○団体 工藤会について漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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《工藤会トップに死刑判決》手榴弾でクラブ襲撃、12人重軽傷…「逆らう者は許さない」暴力団が北九州を“修羅の街”にするまで

 8月24日、全国唯一の特定危険指定暴力団である「工藤会」トップの野村悟被告(74)、ナンバー2の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告(65)の判決公判が福岡地裁101号法廷であった。市民襲撃の4つの事件で殺人などの罪に問われており、野村被告には死刑、田上被告には無期懲役が言い渡された。指定暴力団のトップに極刑の判決がくだるのは、全国で初めてだ。

かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれ、工藤会が牛耳った福岡県北九州市。しかし、福岡県警による相次ぐトップ検挙により、屋台骨はぐらつき始めた。現場を指揮した元刑事が、工藤会壊滅を本気で志すきっかけとなったという「倶楽部ぼおるど襲撃事件」の全貌を明らかにしたのが「県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実」(文春新書)だ。

手榴弾によるクラブ襲撃事件

 平成15年8月18日、月曜日の午後9時過ぎ、ちょうど私が帰宅したところだった。小倉北署担当の捜査員から電話が入った。

「倶楽部ぼおるどに爆発物が投げ込まれました。犯人は(工藤會系)中島組のKです。Kは現場で取り押さえられましたが意識不明です」

「はじめに」で触れたクラブ襲撃事件である。実行犯の工藤會系組員が投げ込んだ手榴弾によって、その店で働いていた女性たち12人が重軽傷を負った。投げ込まれた手榴弾のそばにいた数人は顔面、両手両足に火傷を負い、中には、爆風で足首付近が裂けたり、飛び散ったガラス片などで酷い傷を負った女性もいた。工藤會とは何の関係もない女性たちだった。この事件は全国でも大きく報じられ、工藤會の凶悪性は北九州市民以外にも知られることとなる。

手榴弾を投げ込まれた店内の様子(福岡県警撮影)

 

私が到着すると、すでに負傷者は救急隊が病院に搬送し、店の関係者らは小倉北署で事情聴取中だった。私は応急的に現場を検分した。手榴弾の破片が飛び散り、付近を破壊しているはずだが、そのような痕跡はない。だが、ソファがひっくり返り、爆発現場の壁板が割れていた(※写真参照。矢印の先が爆発地点)。壁板を隔ててトイレがあったが、小便器が粉々になっていた。店内のガラス窓は上から壁紙が張られており、壁にしか見えないようになっていたが、爆発現場付近の窓は全て内側から外にガラスが砕け散っていた。つまり強烈な爆風が生じたのは間違いない。

使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」

 事件当時、店の右奥のソファにホステスの女性20名ほどが待機していた。犯人の組員が投げた手榴弾は一番奥にいた女性の頭に当たって、入口側に跳ね返り、トイレとの境の床で爆発したのだった。手榴弾が爆発した場所には浅い窪みができ、床や壁には煤がついていた。その後、ソファの下から手榴弾のピンなどが発見された。使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」だった。

 手榴弾というと通常パイナップル型を思い浮かべると思う。これは「破片型手榴弾」と呼ばれるが、パイナップルのように周りに切れ目があり、爆発の際にはこの外壁部分が大小の破片となって飛び散り、その破片で敵を殺傷するのがこの型である。平地で使用すると、手榴弾を投げたほうにも破片が飛んでくる。

 一方、この事件で使われた攻撃型手榴弾というのは、TNT(トリニトロトルエン)という強力な爆薬の爆風で近くにいる敵を殺傷するものである。手榴弾の外壁は樹脂などでできている。直近数メートルの敵を殺傷し、破片型のように投げた人間に破片が飛んでくることはない。攻撃に適しているので、攻撃型と呼ばれている。

Kはなぜ「ぼおるど」を襲撃したのだろうか

 後日、鑑定の結果、爆薬が不完全爆発したことが判明した。壁や床の煤はそのために生じたものだった。もし完全爆発なら、何名かの女性は確実に亡くなっていただろう。開店後1時間程度だったので、店には数組の客と、20人ほどのホステス、他に店長や数名の男性従業員がいた。結果的に12人の女性従業員が重軽傷を負った。

 事件を起こしたのは、現在の工藤會本流である田中組系の中島組組員K(当時33)だった。Kは紺色の作業着上下、ズック、手袋を着用し、黒色フルフェイスのヘルメットを被っていた。ぼおるどの入口付近には防犯カメラが設置されており、Kが店内に入るところと、爆発が起こった後、逃走を図り逮捕されるところがしっかりと映っていた。

 Kは走って逃げたが、店内にいた店の男性従業員ら数名が追跡し、店近くの路上で取り押さえた。Kはフルフェイスのヘルメットを被っていたため、この時に取り押さえることができなければ、工藤會の犯行であることすら特定できなかったかもしれない。

Kは男性従業員に殴りかかるなど激しく抵抗した。そばにいた通行人も応援し、数人がかりで押さえつけ、ようやく逮捕することができた。Kを取り押さえた従業員2名もKから激しく殴られ負傷した。

 従業員らがKを取り押さえた直後、救急隊とパトカーの警察官がほぼ同時に到着した。そのときKは意識を失っていた。そのため、被害にあった女性従業員らとともに救急病院に搬送された。搬送後、Kの死亡が確認された。たまたま病院に急行した捜査員がKを知っており、犯人が工藤會田中組系中島組組員であることが判明したのだ。

 

Kはなぜ、ぼおるどを襲撃したのだろうか。

 事件の少し前まで、Kは工藤會野村悟会長(当時)本家の部屋住みをしており、ぼおるどとの個人的関係はなかった。死人に口なしで、Kを取り調べて工藤會上層部の関与を明らかにする道は断たれてしまった。しかし、仮にKを取り調べても、上層部の関与は一切自供しなかっただろう。ただし前述のように、前年には、ぼおるどで同じ中島組組員による威力業務妨害事件が起きている。

爆発現場の写真を報道機関に公開

 Kは、小倉北区で小売業を営む両親の次男として生まれ、兄は父と共同で店を経営、妹は看護師という普通の家庭に育った。Kの恋人からも事情を聞いたが、事件直前も特に変わったところはなかったようだった。

 Kの死因に関しては、さまざまな憶測を呼んだ。

 工藤會と親交のある人物などが「Kは自ら舌を噛み切って自決した」「あれは爆弾ではない。閃光弾(光るだけで殺傷能力のないもの)だ」などと主張した。「閃光弾」の根拠となったのは、一部の新聞に掲載された、事件直後の店内の写真である。その写真には傷一つないグランドピアノが写っている。テーブルやソファも整然と並んでいる。だがそれは前述したように、手榴弾がピアノなどから離れた店内奥で不完全爆発したためだったのだ。反論の意味で、異例のことだが、爆発現場の写真を報道機関に公開した。それが先ほどの写真である。

「舌を噛んで自決した」という声もあったが、舌を噛んでも簡単には死なない。噛み切った舌の断片がのどに詰まれば、それが原因で窒息死することはあり得る。しかし、Kの舌はちゃんとあった。そもそもKがその場で自殺する理由が考えられない。

Kの人権を主張する人々も

 Kの死因は「圧迫死」だった。圧死ともいうが、群衆事故などで時々発生している。胸部を重たいもので押さえつけられたり、群衆の中で身動きが取れなくなったりすると、呼吸ができなくなり死に至るのだ。

 警察官が到着したとき、数名が折り重なるようにしてKを押さえつけていた。Kは逃げようと激しく抵抗するし、爆発物を投げ込んだ犯人である。逮捕にあたった従業員らは当然Kを逃がさないよう一生懸命押さえ込む。従業員らはKの腕や足だけではなく、時には首も押さえている。ただそれは死因になるものではない。

 解剖の結果、Kの舌骨にも異常はなかった。舌骨は喉仏の上側にあり、絞殺や縊死の場合、折れることがある。Kの場合は絞殺でも扼殺でもない。何よりも一部始終が防犯カメラに映っていた。

手榴弾を投げ込まれた店内の様子(福岡県警撮影)

 

それに対して、Kの人権を主張する人々もいた。事件の翌年には作家の宮崎学氏や著名な評論家などが参加し、北九州市小倉北区で「人権を考える」と称する大会が開催され、弁護士らが記者会見を行い、Kの両親らが逮捕者である店の従業員や福岡県に対し損害賠償請求訴訟を起こしたと発表した。Kの遺族は、その前年には逮捕者である従業員や現場警察官を殺人罪で告訴していた。

 この「人権」とは襲撃実行犯のKのことで、被害にあった女性たちの人権は含まれていない。Kの遺族の告訴については、福岡地検が捜査の結果、「嫌疑なし」で不起訴とした。また、損害賠償の請求は原告側が取り下げている。

「逆らう者は許さない」という工藤會

 一方、ぼおるどへの脅迫は続いた。事件後、倶楽部ぼおるどはガードマンを雇って営業を再開したが、実弾入りの脅迫状が送られるなどして、事件の翌月には休業、ついには廃業してしまった。「逆らう者は許さない」という工藤會の目的は達成されたのだ。

 事件以降、福岡県警は工藤會に対する一斉摘発を続けた。平成15年は7回の一斉摘発を行い、工藤會組員90人、準構成員等102人を検挙した。平成16年は暴力団員200人、準構成員等292人を検挙している。

 工藤會組員は平成15年末で約580人、翌年末が約590人だったから、2年間だけで二人に一人を検挙していた勘定になる。もちろん、罰金となったり、処分保留で起訴猶予となるものもあった。それでも、工藤會組員のうち、実質3分の1程度が勾留、服役で社会不在となっていた。しかし、これだけの取締りが行われたにも拘わらず、工藤會組員は減少するどころか年々増加し、平成20年末には、県内で約730人と、そのピークを迎えた。取締り中心の暴力団対策には限界があったのだ。

 工藤會はその後も市民や事業者に対する襲撃事件を繰り返していくことになる。

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《死刑判決》局部の増大手術と周辺の脱毛治療を行った看護師に…工藤会トップ・野村悟の残虐非道な“脅し”の手口

建築1%、土木2%、解体5%

 工藤會は建設業者から、どれだけのみかじめ料を取っていたのか。

 十社会と呼ばれた工藤會・田上理事長の関係企業にも、情報班は何度も足を運んだ。当時は20~30社程度に膨れ上がっていた。

 元請けの一部ゼネコンも、その存在を認識した上で、工藤會関係企業が二次、三次の下請けに入るのを黙認していた。工藤會関係企業を下請けに入れれば、工藤會はもちろん、地元とのトラブルも発生しないからだ。

 一次の業者は、下請け工事の作業を水増しするなどして、工藤會へのみかじめ料をあらかじめ組み込んでおく。結果的に、公共工事であれば税金を払う市民が、民間工事であれば発注者が、その分を多く負担させられることになる。

 当時、工藤會へのみかじめ料は、建築工事が1%、土木が1.5から2%、解体工事が5%と言われていた。解体工事が高いのは、解体の際に出る鉄骨などを売ればその分の利益が出るからだ。

現地本部には、贈収賄など知能犯事件を扱う捜査第二課特捜班も配置され、二課の特捜と四課の資金源担当特捜班とが競うように、これら工藤會関係企業を摘発していった。談合、建設業法、廃棄物処理法など、使える法律は何でも活用した。二課の特捜は、さらに捜査を進めて、これら企業と公務員の癒着も解明し、国交省職員や地元議員らが絡む複数の贈収賄事件の検挙にも繋がっていった。

「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」

 現地本部の資金源対策が軌道に乗るにつれ、工藤會と関係の深い業者からは次のような言葉が聞こえるようになった。

「工藤會は命を取るが、警察は会社を潰す」

 県警は決して真面目な業者を目の敵にしていた訳ではない。

 これら工藤會関係の建設業者は、北九州地区の大型工事を工藤會と自分たちの都合の良いようにねじ曲げていた。これらの企業は、多くの大型工事の下請けを次々に受注し、真面目にコツコツ仕事をしている大多数の業者は、それらの工事から弾き出されていた。

 一方で、警察に摘発された後、それを機に工藤會との関係を断とうとする業者もでてくるようになった。

ゼネコンの発注者までが狙われた

 工藤會にとって、みかじめ料が無くなることは死活問題だ。

 平成18年、大手ゼネコンが暴力団への資金断絶を打ち出すと、これをきっかけに連続銃撃事件が起こる。

 7月に小倉北区で大手建設会社の九州支店に対する銃撃事件が起こると、翌平成19年2月までに、建設業者や工事現場に8件の銃撃事件と2件の放火事件が発生した。そのうちの一つはゼネコンに発注した福岡県の有力企業・西部ガスの本社への銃撃だった。暴力団への資金断絶を表明したゼネコンの顧客である発注者までが狙われたのだった。

 背景はこうだ。工藤會関係企業に対する取締りを強化した結果、地元建設業者の中には、みかじめ料を明確に断るものもでてきた。これまでなら、その関係先に銃弾を撃ち込めば屈服していたものが、銃撃されても従わないものが出てくるようになった。

 そのために、それら業者の元請け、更には発注者を狙うようになっていったのだ。

 

その後も元請け企業への攻撃はエスカレートし、スーパーゼネコンの一つ、清水建設が狙われた。

 平成19年3月、これらの事件が一件も検挙できない中、現地本部への残留を強く希望していた私は、福岡空港警察署署長に異動となった。

トヨタへの手榴弾投てき事件の衝撃

 同年11月、トヨタ自動車九州小倉工場内にある清水建設の現場事務所が放火された。その2週間後に、八幡西区でやはり清水建設の現場事務所に銃弾が撃ち込まれた。さらに2週間後、福岡市東区で清水建設関連の会社事務所への発砲事件が発生した。

 いっぽうで12月には八幡西区で不動産業者の自宅への発砲事件が発生し、同日、小倉北区で建設会社社長が何者かに刺され、翌年1月に亡くなった。

 日本のトップ企業のトヨタも標的となった。

 平成20年9月15日、トヨタ自動車九州苅田工場へ手榴弾が投げ込まれ、地面に約10センチの穴を開けた。現在まで検挙に至っていないが、原因は当時この工場の工事を請け負っていた清水建設に対する嫌がらせと思われる。清水建設が暴力団の違法・不当な要求を撥ね付けると宣言してから、前述のように暴力団と思われる者から度々銃撃等の被害を受けていたからである。

 日本のトップ企業に対する事件は、中央経済界にも衝撃を与え、北九州市に進出を計画していた大手企業数社が断念したと聞いている。暴力団による“テロ”は福岡経済にも計り知れないダメージを与えたのだ。

 このトヨタ自動車九州の事件後、工藤會を含めた暴力団対策の抜本的見直しが行われた。

同年11月、暴力団対策を検討するためプロジェクトチームが結成され、春から鑑識課長を務めていた私は、わずか8か月でその職を解かれ、刑事部参事官という肩書でプロジェクトを担当した。その後、県民、事業者、行政が一体となって暴力団排除を進めるため、暴力団排除条例を検討するプロジェクトチームが別途立ち上がり、日本初となる条例の施行に結びつく。

 平成21年3月、捜査第四課内に北九州地区暴力団特別捜査室が設置され、私は参事官という肩書に加え、この特別捜査室を担当することになった。北九州地区の暴力団といえば工藤會をおいてほかにない。実質的な「工藤會対策課」の誕生である。

全国初の暴力団排除条例施行

 平成22年1月、県警の刑事部から組織犯罪対策部門が独立し、「暴力団対策部」が設立された。

また、暴力団捜査を担当していた捜査第四課が、主に工藤會を担当する北九州地区暴力団犯罪捜査課と、それ以外を担当する暴力団犯罪捜査課とに分かれた。県警が工藤會対策を最重要視した結果だ。

 私は、北九州地区暴力団犯罪捜査課(北暴課)の課長を命ぜられた。

 同年4月1日、全国で初めて福岡県において、暴力団排除条例(暴排条例)が施行された。

 暴排条例は、工藤會や道仁会など県内暴力団が、県民等に多大な脅威を与えている福岡県の現状を背景に、暴力団排除の基本理念を定め、福岡県や福岡県警による暴力団排除の基本的施策を規定している。

 基本理念として、その第三条で「暴力団が社会に悪影響を与える存在であることを認識し」「暴力団の利用、暴力団への協力及び暴力団との交際をしないことを基本」とすることが定められた。暴力団対策法よりも更に踏みこんで、暴力団は社会にとって「悪」だと明確に規定したのだ。そのうえで県民や事業者が暴力団員等に利益を供与したり、暴力団の威力を利用すること、暴力団員等が利益を受けることを禁止した。

平成3年以降の「暴力団」「準構成員等」の推移

 警察に対しては、市民等に対し必要な保護措置を講ずることを規定している。

 また、中学生、高校生等に対し、暴力団への加入や暴力団による犯罪の被害を防止するための教育等の措置、具体的には、現在、福岡県内で行われている暴力団排除教室の基本となる条文も設けられた。

 そして施行後は、幼稚園、学校等から200メートル以内の場所に暴力団事務所を新たに設置することが禁止された。

元暴力犯刑事への襲撃

 暴排条例の施行後、私は暴力団対策部の副部長となり、平成25年3月に久留米警察署長として異動するまでの4年間、引き続き工藤會対策を担当した。

 この4年の間、北九州市を中心に暴力団によると見られる襲撃事件が30件ほど発生し、それはすべて一般市民や企業を狙ったものだった。

 その中の一件に、元暴力犯刑事への襲撃があった。平成24年4月、元県警警部H氏が工藤會組員から銃撃され重傷を負ったのだ。H氏は暴力団捜査の大先輩であるとともに、退職前には北暴課の班長として、私を補佐してくれた。H氏は長年、工藤會対策に従事し、工藤會の主要幹部らを多く知っていた。トップである総裁・野村悟とも対等に話ができる数少ない捜査員だった。

「退職後は気をつけろ」という脅し

 工藤會は、平成10年には「警察との接触禁止」「接触すると破門、絶縁する」と傘下暴力団員に指示徹底した。ただ、現役だったH氏は、以後も工藤會側を代表する最高幹部の一人と非公式に接触を続けていた。平成15年2月、私が捜査第四課の北九州地区担当管理官となる1か月前、工藤會側は、そのH氏と最高幹部との非公式な窓口をも閉鎖した。だが、その後も、工藤會本部や総裁自宅の捜索などで、H氏が野村総裁、田上会長らと顔を合わせた際には挨拶程度の会話は交わしていた。

 H氏は、定年となるまで、その実力を買われて北暴課で情報収集等を担当していた。

 その中で、工藤會を破門・九州所払い処分、すなわち工藤會を追われ、九州から追放された元幹部と、福岡県外で接触して情報収集を行ったことがあった。一対一の会話だから、H氏の発言には、工藤會による数々の凶悪事件を念頭に、トップである野村らに対して批判的なものもあった。

ところが、破門になっていたその元幹部は、H氏との会話をこっそりICレコーダーに録音していたのだ。しかも、自分を破門にした野村らにご注進に及んだのである。

 工藤會トップとして北九州に君臨しているつもりの野村には、その発言が許しがたいものだったのだろう。また、工藤會取締りを続ける、福岡県警に対しても大きな牽制になると踏んだと考えられる。つまり「退職後は気をつけろ」という脅しである。

 

2019年、工藤會本部の取り壊しが開始した ©共同通信社

 H氏襲撃の実行犯は、工藤會田中組幹部・中田好信(当時37)だった。中田の撃った2発の弾丸がH元班長の太もも付近を貫き、瀕死の重傷を与えた。

一方的な怒りによる襲撃

 この事件の翌年発生した看護師殺人未遂事件も、野村がそのプライドを傷つけられたと感じたことから起こった。野村は、看護師が勤務する診療所で自らの局部の増大手術と周辺の脱毛治療を受けた。その手術結果に不満を持った野村は、自分に対し、普通の患者と同じ態度で接した看護師に一方的に怒りを募らせた。そして、直接には何の動機もない工藤會幹部・大石薫らに卑劣な襲撃を行わせたのだ。

 H氏に対する殺人未遂事件と、元漁協組合長の孫にあたる歯科医師に対する殺人未遂事件、この2件の実行犯である中田好信被告の控訴審判決が平成30年7月4日に下された。中田被告は看護師殺人未遂事件では実行犯・大石薫被告の送迎役を務めていた。

 福岡高裁は、中田に懲役30年を言い渡した1審の福岡地裁判決を支持し、控訴を棄却した。1審、2審ともこれらの事件に対する工藤會総裁・野村悟による指揮命令を認定している。

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