そもそも「押し紙」とは

「押し紙」とは新聞本社から各販売店に「押し」つける形で売る「新」聞のこと。最近では「お願い(部数)」と呼ぶことも多いらしい。

新聞本社側は新聞のほとんどを販売店経由で新聞を売るので、販売店に売った部数がほぼそのまま「販売部数」になる。新聞本社の立場としては一部でも多く売りたいが、販売店としては「売れそうな部数、配る世帯をはるかに超えた量を買っても売れ残るだけ」として、必要数+α(予備)のみを購入するのが望ましい。

しかしこの取引では新聞本社の方が立場は上。「これだけ引き取らないと、今後お付き合いは出来ない。新聞は卸さない」と暗にほのめかされたら、販売店側も引き受けざるを得ない。もちろん明言すると法的な問題も発生するので、上記にある通り「お願い」するような形を取る。それに新聞本社も一定数を引き受けたら「販売奨励金」を提供する場合もある。

販売店側も新聞の実売が多ければ多いほど、自分達が直接収入を得られる「チラシ代(地元の商店街などから依頼される、新聞の折り込みチラシの料金)」も多くなる。だから新聞購読者を増やそうと必死になる。

「新聞本社から新聞を引き受けても、書籍のように売れ残りは返品すれば良いのではないか」との意見もあろう。しかし新聞は独占禁止法上の「新聞特殊指定」対象で、返品は不可能。そして値引きもできないので、販売店の金銭周りの問題は厳しいものがある。

刷った紙数≒購入者に届く紙数なら問題は無い

それではまずモデルケースとして、無理な量の「押し紙」が無く、新聞本社からは販売店の要望、つまり販売店がカバーしているお客世帯分(と直接販売分、予備分)だけ提供された場合を想定してみる。1万世帯の読者を抱えると公称する新聞本社の発行部数を1万部、新聞本紙の広告枠の掲載料を1部につき10円、新聞にはさむチラシの折り込み権利料を1部につき1円と仮定する。

↑ 新聞本社・販売店・読者・広告主達の関係(モデルケース)
↑ 新聞本社・販売店・読者・広告主達の関係(モデルケース)

新聞の販売に関しては、新聞本社は広告主と販売店から、販売店は読者と地元商店、そして新聞本社からの販売奨励金が収入源となる。広告主は新聞本社の「1万部売れているので、1万世帯に周知できます」の言葉を信じて「1万世帯に自分の広告を読んでもらえる」と満足。地元商店も販売店の「1万世帯に配ってます。本社も1万部売っていると公知しています」の言葉を信用して「うちのチラシが1万世帯に配られる」と、告知効果に期待する。

注意すべき点は、新聞本社は(ほとんど)直接読者からの売り上げを計上していないこと。読者と新聞本社の間にある販売店からの売り上げ、そして広告主からの広告料を収入としている。

少々構造は複雑だが、大規模な物品の流通では、むしろこのスタイルが定番。新聞本社も広告主も地元商店も販売店も、そしてチラシや広告も含めて色々情報を得られる読者も皆ハッピー。何の問題もいらない、はず。

新聞の部数が減ると……

ところが新聞の需要減退と共に発行部数が減り始めているのは、周知の通り。しかもこの部数は、新聞本社の発行部数であり、販売店が読者世帯などに販売する販売数とは異なる。新聞本社側も販売店≒読者の需要に応じて実発行部数を上下しているはずだが、新聞本社側の「売りたい」部数と販売店側が「売れる(見込みのある)」部数との間には小さからぬへだたりが生じてくる。これが「押し紙」となる。

過去の「押し紙裁判」の事例を見ると、平均で新聞本社発表の発行部数の3割ほどは押し紙状態だと言われている。そこで次の事例では、読者が1万世帯から7千世帯に減ってしまった場合を想定する。

↑ 新聞本社・販売店・読者・広告主達の関係(押し紙状態)
↑ 新聞本社・販売店・読者・広告主達の関係(押し紙状態)

販売店は7000部あれば十分。しかし新聞本社は1万部送りつけてくる。新聞本社にしてみれば、広告料金は「発行部数は1万部」とした方が「7千部」よりもはるかに高いものとなるので、1万部を「お願い」したくなるのも当然。それに新聞本社にとっては、販売店に売った時点で販売数になることに違いは無く、新聞そのものの売上も上がる。

困るのは販売店。7千部はこれまで通り読者世帯に配るが、残りの3千部もの「押し紙」をどうするか。本来の予備保管分や販促用以外は、販売店ごとに多種多様な「手法」が用いられるとのことだが、事例が多数に及ぶので「今件記事では不明」としておく。

むしろ問題なのはそろばん勘定。新聞本社の財政は(押し紙をしなければならないほど)切迫しており、販売店への販売奨励金は切り詰められている。そして新聞そのものは7千世帯にしか売れないので、新聞販売代金も7千世帯分しか入らない。さらにチラシ利用料金について「7千世帯にしか配ってない」実態を地元商店などの広告主に正直に語ると、

{{{:・チラシ利用料金が7千世帯分に減る

・「1万世帯だから契約した。しかし7千世帯なら効果は薄い」と契約破棄の可能性が生じる

・「新聞本社では1万部と言っていたが?」と公知数字の齟齬が発覚する}}}

などの問題が生じてしまう。仕方なく(!?)「1万世帯に配ってます…」と販売数に変わりは無いことを主張せざるを得なくなる。

押し紙のどこが問題なのか

上記のやり取りのうち、新聞本社と販売店間に限定すれば、商取引上の条件闘争的な話に留まる。公正取引上の問題はあるものの、ここまで大きな話題にはならない。問題なのは「新聞の広告主(対新聞本社)」も「チラシを利用する広告主(対販売店)」も、「1万世帯に配られている」を信じて、その対価を支払っていることにある。

新聞本社は「1万部刷って、販売店に1万部卸した。1万世帯に配られていると想定するのが当たり前」と主張する。販売店側は心境としては「お客は7千世帯しかいない」だが、それを口にすると新聞本社から「営業努力が足りない。他の販売店に切り替えてもいいのだが?」と言われてしまいかねない(厳密にはこれも各種法令に抵触しうるのだが)。そこで新聞本社側の主張を認め、押し紙分を受け取り対価を支払っている。もっとも販売店も、チラシを利用する広告主には「押し紙分も含めた」料金を請求してるので、被害者の立場のみ、というわけでは無い。

無論、広告主やチラシ利用の地元商店からすれば、「そのような内情など知ったことではない。話と実態が違うとはどういうことだ」と荒ぶることは容易に想像できるし、その態度は当然の話。例えるなら、庭の草刈りのアルバイトを子供に任せて1000円払ったところ、庭の7割程度しか草を刈らずに残りは放置していたようなもの。子供にそのことを問い詰めると「弟に全部やるように任せた。問題ない」と言われれば……という次第である。

元々販売店では予備紙として、配る世帯の数%分は余分な新聞を確保するのが常識。これは新聞に限った話では無い。配送ミスや配達時のトラブルへの対応、個人の来店による購入ケース、さらには販促用として結構な量が必要になる(無論これらも販売店にとっては、新聞本社から購入した有料の新聞には違いない)。あまり知られていない話だが、各販売店では各種トラブルやアフターケアのために、数週間単位でバックナンバーを保存している。

↑ 時折ポストに投函される販促用のお試し版。勧誘チラシ入りの場合が多い
↑ 時折ポストに投函される販促用のお試し版。勧誘チラシ入りの場合が多い

それら必要な量の予備紙分なら、販売店も新聞本社も、「発行部数=読者数」としても仕方ない。いわゆる誤差の範囲。しかし実状とされている数割にも達する「押し紙」は、歩留まりとしては悪過ぎる。

「押し紙」が事実であることが判明した場合、新聞掲載の広告主やチラシを入れている地元商店の人はどのような心情を抱くだろうか。