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【名古屋妊婦事件】妊婦のお腹を裂き殺して赤ちゃんを取り出した最悪の事件@アシタノワダイ

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【名古屋妊婦事件】妊婦のお腹を裂き殺して赤ちゃんを取り出した最悪の事件@アシタノワダイ

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名古屋妊婦切り裂き殺人事件

 

1988年(昭和63年)3月18日午後に愛知県名古屋市中川区富田町(現:名古屋市中川区供米田)のアパートで発生した未解決の猟奇殺人事件。

 

その異常とされる猟奇性で注目され、地元紙『中日新聞』(中日新聞社)が「史上稀に見る猟奇的な凶悪事件」と表現した本事件は愛知県警察が約4万人の捜査員を投入して懸命の捜査を行ったが、有力な手がかりは得られず被疑者逮捕に至らないまま、事件発生から丸15年となった2003年(平成15年)3月18日に公訴時効を迎え未解決事件となった。

 

事件発生

事件現場:愛知県名古屋市中川区富田町大字供米田三郎右衛門441番地1号(現:名古屋市中川区供米田三丁目804番地)のアパート一室

 

事件発生現場は2階建てで計4室のアパート(事件3年前の1985年完成)で、近鉄名古屋線・戸田駅から北東約500メートルに位置するマンション・アパートが目立つ新興住宅街に位置していたが、周囲には田畑も点在しており夜間は人通りが少ない場所だった。

 

事件当時、現場アパートには1階の2部屋に2世帯が住んでおり、2階のうち3DK(6畳2間+4畳半)の1部屋に被害者夫婦が住んでいたが、被害者夫婦の隣は空き部屋になっていた。

 

事件現場アパートに在住していた被害者女性(事件当時27歳の主婦、臨月の妊婦)は事件当時、夫(事件当時31歳の会社員男性)[新聞 1]とともに第一子誕生を心待ちにする日々を送っており、「平凡だが希望に満ちた若い夫婦の生活」を送っていた。

 

事件当日の朝、被害者女性は普段通り会社に出勤する夫を送り出した。

女性は事件5日前の同年3月13日に男児を出産予定だったが出産が遅れていたため、当時の夫は妻の体調を気遣って会社から仕事の合間に電話をかけるようになっていた。

 

同日12時過ぎ、夫が会社から妻に電話した際は特に異常はなかったが、退社する直前の18時50分ごろに再び電話をかけた際には誰も電話に出なかった。

夫は「自分が帰宅するころには妻も家にいるだろう」と考えながらそのまま帰宅し、19時40分ごろに自宅に到着したところ、普段は施錠してあるはずの玄関ドアが施錠されておらず、部屋の電灯が消灯していることに気付いた。

 

男性はこの状態を不審に感じつつもそのまま寝室に向かってスーツから着替えたが、奥の居間から赤ん坊の泣き声が聞こえたため「子供が生まれたのか」と思いつつ居間の照明を付けたところ、後述のように妻が変わり果てた無惨な姿で横たわり、その足元で生まれたばかりの赤ん坊がか細く泣いていた。

 

その上、ダイニングキッチンにあるはずの電話がなかったために男性は慌てて部屋を出て1階の住民から電話を借り、19時43分に名古屋市消防局消防指令センターへ「救急車をすぐ回してほしい」と119番通報した。

 

この時に電話を貸した住民は、1999年に町田喜美江から取材を受けた際「男性は『電話が引きちぎられて赤ん坊が出ているから電話を貸してほしい』と血相を変えて頼み込んできた。自分は『ああ、赤ちゃんが生まれたのか』と思っただけで、まさか奥さんが殺されているとは思わなかった」と証言した。

 

中川消防署富田出張所配属の救急隊員3人は男性からの「子供が生まれている」という通報の内容を受け、隊員のうち1人が臍帯(へその緒)を切断するために鉗子・鋏を持って男性宅に駆け付けた。

 

救急隊員が現場に到着したところ、男性の妻である臨月の妊婦女性(事件当時27歳)が3DKの南側6畳の居間で首を電気コタツのコードで絞められて腹部を切り裂かれ、後ろ手に縛られて血塗れの状態で頭を南にして仰向けに倒れていた。

 

女性の発見当時の服装は青いマタニティウェア・セーター・ピンクのジャンパーと黒のパンティストッキングで、腹部の傷はみぞおちから下へ鋭利な刃物で縦一文字に約38センチメートル切られ、後述のように子宮内にいた胎児を取り出された上、その腹の中には電話の受話器・ミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていた。

 

電話受話器は小型のプッシュホン式で、普段は被害者宅のリビングに設置されていたが、現場検証ではコードが鋭利な刃物で切断されており、血塗れで居間寄りの台所の床の上にあった。

 

現場検証の時点で取り出されていた理由は「発見者らが女性を病院に搬送する際に腹部から取り出したためだろう」と推測された。

 

キーホルダーは被害者女性の夫が自家用車のキーホルダーとして使用していたが、事件当日は夫が車を使っていなかったため室内にあった。

 

現場一室は血の海で、男性・男性の実父(男児の父方の祖父)はそれぞれこの時の状況について「妻(義娘)は『普通の人には想像できないような恐ろしい状態』で息絶えていた」と表現した。

 

また同日、現場に急行した愛知県警察機動捜査隊の警察官は「あんな現場は今までに見たことがない」と言い合いながら現場から戻ってきた。

 

女性の横には男の胎児が臍帯の付いた状態で膝・臀部を刺されて下腹部を切り付けられた状態で、血の海の中で産声を上げていた。

 

赤ん坊の負っていた切り傷について、新聞各紙は以下のように報道した。

 

『読売新聞』(読売新聞社)1988年3月19日東京夕刊は「左脚の膝裏・左大腿部裏・股間の計3か所。犯人が母親の腹を切った時に負ったもの」と報道した。

 

『中日新聞』同日夕刊は「左脚膝裏・左臀部・下腹部など計4か所」と報道した。

 

『毎日新聞』(毎日新聞社)1988年4月3日東京朝刊は「左脚・臀部・股間の3か所に切り傷」と報道した。

 

 

なお事件当初の警察発表およびこれに準じた『朝日新聞』(朝日新聞社)報道では「救急隊員が現場に到着した際、赤ん坊は臍帯が母体と繋がったままだったので、救急隊員が臍帯を切断した」と報道されたが、実際には臍帯は発見された時点で既に切断されていた。

 

2人は中川区内の名古屋掖済会病院に運ばれたが、女性は間もなく病院で死亡した。

 

赤ん坊は出産予定日を超過して胎内で成長していた上、発見時点で既に自力呼吸が可能な状態ではあったが、救急隊員に収容された時点で前述のように「母親が腹を裂かれた際に一緒にできたと思われる刃物の傷」を負っていた上に泣き声が弱々しく外傷による貧血・外界の寒さによる低体温症の症状が現れており、病院搬送時は体温が約30度まで低下していた上に重度の貧血状態で生命の危機も危ぶまれていた。

 

しかし発見が早かったことに加えて、父方の祖父(男性の実父)の輸血・搬送先の病院医師団が「保育器で体を温める」的確な事後処置を行いながら懸命に手術を敢行した結果、赤ん坊は全治10日間の怪我を負ったものの、1時間に及ぶ手術により奇跡的に一命を取り留めて生命の危機を脱した。

 

赤ん坊の出生時の体重は2,930グラムで、奇跡的な救命に関して名古屋大学医学部教授・友田豊(産婦人科学)は『朝日新聞』の取材に対し「母親は臍帯による血液の繋がりが切れてから死亡したのだろう。赤ん坊の生存は早期発見など様々な好条件が偶然重なったことによる珍しい例だと思う」と話した。

 

名古屋妊婦切り裂き殺人事件 - Wikipedia

 

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