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【国の威信にかけて】オリンピックでとんでもない不正行為を犯したアスリートの話を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

 

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 【国の威信にかけて】オリンピックでとんでもない不正行為を犯したアスリートの話を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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かつて不正行為で摘発されたオリンピック代表選手10人

リオ五輪は大きな盛り上がりを見せたが、エンタメ系サイト<The Richest>は、過去に不正行為で摘発された不名誉なオリンピック選手たちを紹介している。

10 Olympic Athletes Caught CHEATING at the Games

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【ドラ・ラチエン】
ドイツの元陸上選手ドラ・ラチエンは、1936年にベルリン大会の女子走高跳で4位に入賞し、ヨーロッパ陸上競技選手権大会で世界新記録を出して金メダルを獲得。しかし、なんとラチエンは男性だったことが判明。生殖器が奇形で小さかったため女児とされて誕生し、幼少期から女性として生きてきたというのだ。ラチエンは不正行為で逮捕され、男性としてハインリッヒ・ラチエンと改名することに。もちろん女子選手として競技に出場することは禁止され、それまでの記録は無効になった。現代であれば何らかの処置がとられたかもしれないが……。

 

【マデリン・デ・へサス】
プエルトリコの陸上選手マデリン・デ・へサスは、1984年のロス五輪でハムストリングを負傷。会場に応援に来ていた双子の姉妹のマーガレットもアスリートだったため、急遽こっそり入れ替わることに。しかし、ヘッドコーチが不正行為に気づき、代表チームは決勝から辞退することになってしまった。……どこのマンガの話だよ!

【ベン・ジョンソン】
カナダの陸上選手ベン・ジョンソンは1988年、ソウル五輪の男子100メートルで世界新記録を樹立し金メダルを獲得。しかし、競技後のドーピング検査でステロイドの使用が認められ、金メダルは剥奪されてしまった。ジョンソンは1992年にも再びドーピングが発覚し、公式の陸上競技大会から永久追放されることに。

【バドミントンの複数ペア】
2012年、ロンドン五輪のバドミントン女子ダブルスでは、中国、韓国、インドネシアの代表ペア計4組が無気力試合を行って失格処分を受けた。次の対戦相手を操作するためにわざと負けたことになるが、これは中国の計画に韓国やインドネシアが参加したとも言われている、闇の深い問題だ。

【キャメロン・ファンデルバーグ】
南アフリカ共和国の水泳選手キャメロン・ファンデルバーグは、ロンドン五輪の100メートル平泳ぎで世界記録を樹立して金メダルを獲得。しかし、本来であれば1回だけのはずのドルフィンキックを3回行っていたことを後に認めた。

【ロシアの選手】
2014年、ソチ冬季五輪でロシアが組織的なドーピングを行ったことが問題に。<リオ五輪>開催直前に、ロシアの選手271人が厳しい条件付きで参加することが決まったのは記憶に新しい。

他にも、1968年・グルノーブル冬季五輪のルージュでコースに細工した東ドイツ代表チーム、1976年・モントリオール五輪のフェンシングで剣に細工したロシアのボリス・オニシュチェンコ、さらにドーピング検査における不正行為では、1996年のアトランタ五輪に出場したアイルランドの水泳選手ミッシェル・スミスや、2000年のシドニー五輪に出場した米陸上選手マリオン・ジョーンズが挙げられている。

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10人の選手が試みた奇妙な不正行為「ガチで?!」

人々は何千年もの間、スポーツをいろんな形で楽しんできました。競技をするのも、観戦するのもどちらも楽しいものです。

けれどスポーツの歴史を振り返ってみると、中には努力せずに栄光への近道をしようとする者も多くいました。もしくは、栄光を手にしたいがために、人々を欺く何らかの方法を見つけようとした選手もいます。

これまでに多くの不正行為が確認されており、そのほとんどは暴かれてしまいますが、時にはより精巧なものもあります。長年にわたり、人々に衝撃を与えた奇妙な不正行為とは⁈

 

10:中絶ドーピング

 

中絶ドーピングの疑い

中絶ドーピングは、東ドイツのスポーツ関係者が女性アスリートをオリンピックに向けて準備させるために使われた、響きだけでもショッキングな方法です。

 

中絶ドーピングに関する噂が最初に浮上して以来、大きな論争が起こりました。一部の人たちはただの言い伝えだと言い、ある人々は非常に理に適ったテクニックだと言う人もいました。

その頃、東ドイツの女性スポーツ選手のほとんどは今では考えられない扱いを受けていました。女性選手のコーチたちはアスリートの健康に及ぼすリスクなど眼中になく、勝利を得るためにはあらゆる方法を使用していたのです。選手の許可なくステロイドは与えられ、さらに恐ろしい方法がこの中絶ドーピング。今日まで、実際に中絶ドーピングがスポーツ選手の実績を向上させるために使用されたかは不明ですが、1988年のオリンピックで一般的に知られることになりました。

妊娠によるホルモン上昇や身体作用の変化は、実際に女性運動選手にとって良い身体能力の変化を及ぼすということが理論化されたのです。オリンピックの中絶ドーピングについて語った唯一の人物は、ベルギーのアレクサンドル・デ・メロデ大統領で、彼は元国際オリンピック委員会の元委員長。彼は人工的に授精されていた東ヨーロッパの女性選手を知っていると主張し、より良いスポーツ実績を得るために選手を人工的に授精させ、数ヶ月後に妊娠を終わらせるという方法を取っていたと語りました。

1970年代から1980年代の間にステロイドが妊娠にいくつかの問題を引き起こした後、中絶ドーピングが噂されるようになりました。アナボリックステロイドは女性の運動選手に与えられ、男性的な筋肉の特徴を与え、解剖学的な混乱を引き起こしました。赤ちゃんは重度の障害を持って生まれ、一部の選手は与えられたステロイドのために流産することも。中絶ドーピングに関する噂が真実であろうとなかろうと、勝利を手にするために人々がどこまで恐ろしい考えに及ぶのかを知るのは衝撃的なことです。

 

9:ボリス・オニシェンコのマジック・エぺ

ボリス・オニシェンコ

 

ソビエト連邦は東ドイツのように、金を得るためには手段を選ばないことでよく知られていました。ボリス・オニシェンコの場合、彼らが採用した方法は非常にハイテクでした。1972年、オニシェンコは3度の五輪メダリストであり、優勝したソビエト五輪代表チームの選手でもあり、世界で最も著名なアスリートの一人でした。国家の有名人だったオニシェンコですが、1976年のスキャンダルによってすべてが変わります。
 

38歳のとき、オニシェンコは1976年のモントリオールオリンピックでより年のいった、優れた選手でした。彼はマジシャンのように次々とライバルたちを倒していきます。しかし、オニシェンコと対戦した英国の五輪チームたちが疑惑を持ち始めます。オニシェンコが彼らにエペ(フェンシング用の剣)を触れることなく電子スコアーが得点していったのです。この現象が何度か起こった後、英国チームは何かおかしいと抗議。

それにより、オニシェンコが使用していたエぺを専門家が調べたところ、エぺのハンドル部分に巧妙な細工が施されているのが分かりました。ハンドルの内部には複雑な電気配線が見つかり、このシステムは圧力が加えられたときに機能するようになっており、実際には対戦相手にヒット(接触)していなくとも電気回路で反応するようになっていたのです。

当局者はオニシェンコが不正行為をして英国チームに勝利したと判断し、競技からも追放され、それまで獲得したメダルも剥奪されました。

 

8:スペインパラリンピックスキャンダル

 

スペインパラリンピックスキャンダル

2000年、スペインはパラリンピックの知的障害バスケットボール競技で金メダルを獲得しました。このことは障害を克服し、素晴らしい栄光を獲得したアスリートに関する感動的な話のはずが、代わりに、スペインチームの不名誉な不正に関する話に取って代わりました。

 

カルロス・リバゴルダは2000年シドニーパラリンピックの優勝チームの一人でした。彼は金メダルを獲得した後、ビジネス雑誌でライターとして働き始め、その後には本を出版しました。実は彼がハンディキャップを持っていないことは次第に明らかとなり、金メダルを返還することに同意し、パラリンピック委員会に詳細を説明しました。

その事実とは、12人のチームのうち実は10人が健常者で、リバゴルダは障害のない10人のうちの1人にすぎなかったのです。パラリンピックでは誰も不正行為をしないだろう、と考える多くの人々に衝撃を与えました。

そしてまもなく、さらに多くのイベントで不正行為が行われていたことが明らかに。スペイン人の2人の競泳選手、そして卓球選手もともに障害がないことが判明したのです。さらに調査したところ、ロシア人選手もまた不正行為をしていたことが判明。パラリンピック委員会は、1975年に特別スポーツ協会を設立したフェルナンド・マーティン・ビセンテを非難し始めました。ビセンテには障害のある息子がおり、彼の行動は親切心から生まれたものだと思われましたが、イベントが大きくなるにつれ、何億という利益を得る様になり腐敗が蔓延。この腐敗が解明された後、ビセンテは辞任を余儀なくされました。

 

7:ロジー・ルイスの偽レース

ロジー・ルイス

 

1980年、ロジー・ルイスはボストンマラソンで実に軽々と勝利を得ました。それは印象的な出来事で、ルイスは2時間半以上の記録的なタイムで勝利したのです。ルイスがマラソンの王冠を頂いたときには、26.2マイルを走ったにもかかわらず、ほとんど発汗していませんでした。彼女の髪は完璧にスタイリングされていて、他のランナーのように紅潮していなかったのです。レース終了時のルイスを見た多くの人々にとって、ルイスが走っていたとは信じがたい状態でした。

審査員はルイスに疑いを持っていましたが、彼女に勝利を与えました。しかしその後、観衆と競技者たちはレースでルイスが走っているのを誰も見ていないと証言し始めたのです。傍観者としてルイスを見たと証言した人もいました。そしてルイスがセントラルパークで18ヶ月間しかトレーニングをしていないと証言したとき、審査員の疑念をさらに深めることとなりました。

ルイスはニューヨークマラソンにも参加。そのレースでも同様に、ルイスは疑わしい印象を与えたのです。ボストンマラソンを走った最初の女性であり、有名なマラソンランナーでもあったカトリン・スウィッツァーは、テレビでマラソンを報道していました。カトリンがルイスにインタビューした際、カトリンはルイスの勝利に疑念を持ち始めたのです。

カトリンがインターバル走について尋ねたとき、ルイスはインターバル走とは何か、と聞いたのです。このことでルイスが経験豊かなランナーではないことがますます明らかになりました。ニューヨークマラソンでは24位で終わったルイスですが、途中、レースから抜け、地下鉄でフィニッシュラインまで移動していたことが明らかに。さらにはボストンマラソンに勝つために、途中、近道をしたのも発覚。しかもニューヨークマラソンに出場するため、嘘をついていたこともわかったのです。

締め切りを過ぎて申請書を提出したルイスは「致命的な脳腫瘍」と偽りを言い、特別な免除を要求していたのです。ルイスはタイトルを剥奪されましたが、刑事責任には問われませんでした。しかしその後の1982年、ルイスは勤務していた会社から6万ドルを盗み、さらには1983年に覆面捜査官に2キロのコカインを売って逮捕されました。

 

6:トム・ウィリアムズの偽の血

 

トム・ウィリアムズ

ラグビーの2009年ハイネケンカップ準々決勝では、ハリクインズがレインスターに勝利することは不可能に思われました。トム・ウィリアムズは、口が血まみれになったためフィールドから外れ、代わりにハリクインズ最高のキッカー、ニック・エバンスがフィールドに戻りました。結局、試合は予想通りレインスターが勝利し、その際トム・ウィリアムズの負傷について質問がありました。

 

レインスターが勝利したため、ハリクインズのウィリアムズの負傷が正当であるかどうかを調べることは許されませんでした。それにもかかわらず、ウィリアムズが負傷していないことはすぐに判明したのです。ウィリアムズは試合69分の時点で靴下から血液カプセルを取り出し、6分後、彼はカプセルを口に入れそれを噛んで怪我を装いました。レインスターのクラブ医師、アーサー・タナーは怪我を疑い、ウィリアムズの後を追いましたが診ることはできませんでした。ハリクインズのクラブ医師、ウェンディー・チャップマンは、ウィリアムズの怪我が本当であると思わせるため、彼の唇を切るように指示されたのです。

このスキャンダルは「血の門」と人々に呼ばれ、ラグビー団体に衝撃を与えました。ハリクインズの監督、ディーン・リチャーズはERCによって3年間の休職処分となり、£259,000(約3,800万円)の罰金を科されました。トム・ウィリアムズは1年間の出場停止とされましたが、監督の指示により血液カプセルの使用を認めた後、処分は4ヶ月に短縮されました。

 

5:シルベスター・カーモーシュが濃霧に消える

 

シルベスター・カーモーシュ

1990年1月11日、ルイジアナ州は濃霧に覆われた日でした。そのため、観客は馬を確認することさえほとんど出来ない状態で、競馬場を訪れた者はほとんどいませんでした。騎手のシルベスター・カーモーシュは、彼の馬であるランディング・オフィサーと勝利することを望んでいました。この日の気象条件は不正行為を行う考えをカーモーシュに与え、それは最も大胆な競馬スキャンダルとなったのです。

 

レースが始まったとき、9頭の馬すべてが霧の中に消えました。驚くべきことに、オッズ23倍のランディングオフィサーが、1番人気の馬に24馬身もの差をつけてレースに勝ったのです。けれどレース結果は審議となり、奇妙な事実が明らかになりました。トラックのビデオには、9頭の馬のうち8頭しか映っていなかったのです。そう、ランディング・オフィサーは行方不明でした。当局者はカーモーシュがランディング・オフィサーを霧の中に導き、近道をしてフィニッシュしたと考えました。カーモーシュはこれを否定し、ランディング・オフィサーはとても好調だったと主張。

そこで獣医がランディング・オフィサーを検診したところ、重馬場を1600メートル走ったにも関わらず発汗していないこと、呼吸の乱れもないこと、帯具がきれいであることを確認しました。ルイジアナ競馬委員会はこのレースを調べ、カーモーシュが近道をしたとしてレース失格、カーモーシュは10年間騎乗停止となりました。

 

4:マニー・ラミレス女性不妊治療薬

 

マニー・ラミレス

マニー・ラミレスはドジャースを活性化させ、メジャーリーグ通算555本塁打をたたき出した伝説の野球選手。日本の独立リーグ、高知ファイティングドッグスでもプレイしていました。

 

そんなラミレス、2009年にはステロイドと併用して不法に使用される女性不妊治療薬(排卵誘発剤)を使用していることが判明。ラミレスは、「個人的な問題」のために薬が処方されていると主張しましたが、決して医者の名前、健康問題、または投薬の名前を明らかにはしませんでした。ラミレスが使用していた薬剤は、ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(HCG)として同定され、十分なテストステロンを産生しない男性にも処方されている薬剤です。筋肉増強剤常用者(ステロイド)の間では、ドーピングのサイクルの一環として、ステロイドのせいで抑制された精巣でのテストステロン産生を回復させる目的で使用されます。これはラミレスが、過去にステロイドを使用していたことを示唆しています。

これらの禁止されている薬剤がホルモン問題等で必要な場合は、リーグに申し出て治療上の免除を受けることができます。ですがラミレスはこの手順を踏んでおらず、結果、50試合出場停止処分となりました。

 

3:オンテリオ・スミスのウィジネーター

 

オンテリオ・スミス

2005年、ミネソタ・バイキングのランニングバックであるオンテリオ・スミスが、異常な装置を所持していたとし、空港で止められました。

 

その「Whizzinator / ウィジネーター」と呼ばれる大人のおもちゃばりの装置は、尿を注入する注射器、尿を温めるカイロ、そして装着型疑似ペニスで構成されています。 ウィジネーターは薬物検査を欺く手段として市販されていました。スミスは荷物検査の後、飛行機に搭乗することを許されましたが、多くの人がなぜスミスがこの装置を所持していたのかを疑問に思いました。従兄弟のために買ったと言っていましたが、薬物検査に合格するために彼自身がこの装置を使用していた可能性があるという疑惑が浮上しました。

スミスは過去に薬物テストですでに問題を抱えていました。マリファナの使用により4試合の出場停止や、2度の論議があり、この問題に関してNFLの調査が開かれました。判決を下すまでスミスは練習に戻ることを許され、多くの人がスミスを助けようとしました。判決の結果、装置の所持は尿サンプルをすり替えようとする行為で、NFLのポリシーに違反しているとし、2005年シーズンの出場停止処分となりました。

ウィジネーターを使用して捕まったのはスミスだけではありません。俳優のトム・サイズモアもしかり。あるNBA選手は「ウィジネーターを使ってあの厳しい薬物検査をパスするなんて不可能だよ。」とブログで語っていますが。

 

2:ベン・ジョンソンと歴史上最も汚れたレース

 

ベン・ジョンソン

ベン・ジョンソンはジャマイカ出身の皆から愛されたアスリート。カナダに移住したのちスカウトされ、ランナーとしてトレーニングを始めました。

 

1988年のソウルオリンピックへ100メートル走選手として選ばれ、ベン・ジョンソンが世界記録を樹立しました。競技の日、多くのランナーはトゲトゲしていました。レースが始まった瞬間、ジョンソンは得意の「ロケットスタート」で走り出し、100メートルを9.79秒で駆け抜け、金メダルを獲得したのです。

授賞式の後、ジョンソンは興奮したジャーナリストたちに言いました。「私の名前はベンジャミン・シンクレア・ベン・ジョンソン。この世界記録は50年、いや、おそらく100年保持されるでしょう。この金メダルは、誰も奪うことのできないものです。」と述べました。日本でも共同石油(現ENEOS)のCMに出演するほど、人気と名声を得ました。

ところが試合後、薬物検査を受けたジョンソンに、ステロイドの一種であるスタノゾロールのドーピング陽性反応が出ました。さらに驚いたのは、ドーピングしていたのはジョンソンだけではなかったのです。レース中のランナー8人のうち、6人に陽性反応。ジョンソンは世界記録と金メダルを剥奪され、人々はソウルのこの100メートル走を「歴史上最も汚れたレース」と呼びました。

当時ドーピングはオリンピックで正式に禁止されていましたが、現在のように激しく規制されていなかったのです。ベン・ジョンソンのドーピング事件の大きな報道は、オリンピックでの綿密なテストと厳しいルールでドーピングを取り締まることにつながりました。その後ジョンソンは、他の競技会でもドーピングで陽性反応が出たため、公式の陸上競技大会からは永久追放されました。

 

1:パナマ・ルイスの黒ボトル

 

パナマ・ルイス

1982年のアーロン・プライヤー VS アレクシス・アルゲリョのボクシング試合は、勝者は明らかでした。それまでのラウンドでアルゲリョは猛攻撃をし、プライヤーはもはや戦うことができないと思えました。

 

プライアーのトレーナー、パナマ・ルイスは自分のボクサーを敗北させることを許しませんでした。ルイスはトレーナーに「そのボトルじゃなく、俺が混ぜたボトルを寄こせ!」と言ってプライヤーに黒いボトルを与えて飲ませました。プライアーはそのボトルを飲み干し、試合に戻ってTKO勝ちします。誰もが何が起こったのか信じられないようでした。多くの人はルイスの黒いボトルに何が入っていたのか疑問に思いましたが、混合物の化学物質の分析が行なわれることはありませんでした。ルイスは水と炭酸水の混合物だと主張しましたが、黒ボトルの混合物はコカインだと主張し始めた人もいました。

ルイス・レストはパナマ・ルイスから訓練を受けたボクサーで、同じような混合物が与えられていると語りました。ですがそれは抗ヒスタミン剤に過ぎず、試合中の肺活量の増加を可能にするものだと言いました。ルイスがプライアーにアンモニアカプセルを与えたという説もありましたが、証拠はなく、ルイスが不正を行っていることを証明する方法はありませんでした。

1983年、ビリー・コリンズ VS ルイス・レストの試合中、これまで14勝無敗11KOのビリー・コリンズの顔は尋常でないくらい腫れ上がっていきます。結局ルイス・レストが10回3-0の判定で勝利しましたが、コリンズのトレーナー兼父親でもあるコリンズ・シニアがレストのグローブが通常より薄い事に気づき、ボクシング協会にレストのグローブの調査を要求。すると、それぞれのグローブから1オンスずつ中綿が抜かれていたことが判明したのです。

パナマ・ルイスがグローブに細工をしたと断定され、彼のボクシングライセンスを永久に剥奪し、この試合はノーコンテスト扱いになりました。コリンズは、レストのパンチをほぼ素手に近い状態で受け続けていたことがわかり、虹彩を損傷し視力障害でこの試合を最後にボクシングを引退せざるを得なくなりました。ルイスとレストは裁判にかけられ、暴行罪、犯罪の共謀で有罪となり、ルイスに懲役6年、レストに懲役3年が宣告されました。

コリンズは試合の9カ月後、自宅近くの排水溝に車を激突させ事故死しています。家族は、ボクシングを続けられないことを悲観しての自殺だと語っています。

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