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【足立区女性教師殺人事件 】26年後時効が来てから自首した最悪の犯人を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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【足立区女性教師殺人事件 】26年後時効が来てから自首した最悪の犯人を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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足立区女性教師殺人事件

足立区女性教師殺人事件とは、1978年8月に東京都内の小学校に務める女性教師が失踪し、未解決事件となっていたが、公訴時効成立後の2004年に失踪当時に学校の警備を担当していた男が女性教師の殺害を自供し、殺人が発覚した事件である。

事件の概要

女性教師Iの失踪1978年5月3日、北海道で女性教師I(当時29才)の父親が死亡した。

8月15日、東京都足立区の区立中川小学校で、女性教師が当直当番であるにもかかわらず何ら連絡もないままに出勤しなかった。

それまでIは無断で学校を休んだことなどなかったため、不審に思った校長はIの実家に電話したが、母親もIの所在を知らず捜索願を出した。

Iが最後に目撃されたのは前日の14日のことであり、Iの最後の目撃者は小学校で警備主事をしていた男だった。

警察も事件として捜査していたもののIを発見できずにいた。またIの失踪から10年後の1987年の大韓航空機爆破事件において、北朝鮮工作員の金賢姫の日本語教師の「李恩恵」がIと似ていると特定失踪者問題調査会から指摘を受け、Iの家族は北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会に参加した。

2003年には、『特定失踪者リスト』に北朝鮮による日本人拉致問題の被害者としてIの名前が掲載された。

殺人の発覚

事件から26年後の2004年8月21日、元警備主事Wが警視庁綾瀬警察署に自首し、Iの殺害を自供した。

なお、Wの自首の動機は良心の呵責ではなく、遺体を隠匿していた元の自宅が道路拡張のための土地区画整理の対象となり、立ち退きを余儀なくされ、死体が発見されることは避けられないと思っての告白であった。

Wの元自宅を捜索したところ、一階和室の床下約1.1メートルから防水シートにくるまれた一部白骨化した遺体やIの所持品がW供述の通り発見され、DNA鑑定の結果遺体はIのものであることが確認された。

これにより、IはWによって殺害され、当時一番長い公訴時効の25年を過ぎるまで隠されていたことが明らかとなった。

 

なお、Wは事実の発覚を防ぐため、自宅の周囲にブロック塀や有刺鉄線を張り巡らせ、アルミ製の目隠し等で囲んで外部から遮蔽したり、サーチライトや赤外線防犯カメラを設置するなどしていた。

犯行の詳細については、Wの一方的な証言しかないが、それによれば、校内で肩がぶつかったことから口論となり、騒がれたので逆上して校内で殺害したということである。

遺族は被害者について「人と争うことのない穏やかな人だった」として、この供述の信憑性を否定しており、真相は不明である。殺人罪の公訴時効(当時は15年)が成立していたため、Wを殺人罪で起訴することができなかった。

民事裁判

事件発覚後の2005年、Iの母親は後見人をつけた。

Iの遺族は、Wの固定資産を仮差し押えしたうえ、Wに対し民事訴訟を起こした。

請求総額は約1億8千万で、そのうち母親が約1億3千万円、後見人ともう一人の遺族が残りの額を請求した。

原告の一人2006年9月26日、東京地方裁判所はWの行為を「殺人」(1978年時点)と「遺体の隠匿」(2004年時点)に分けて検討した上で、「殺人」については民事上でも時効が成立しており、被害者Iの遺体を頻繁に移動させていた「遺体の隠匿」についてのみWの責任を認定して330万円の賠償を命じた判決を言い渡したが、遺族は控訴。

これに対し、東京高等裁判所は2008年1月31日、上記地裁判決を破棄し、Wによって「遺体の隠匿」され続けたために「殺人」が判明しない中で「殺人」を基点として除斥期間を認めることが「著しく正義・公平の理念に反する」場合など一定の条件下においては除斥期間の効果は排除されるとして、「殺人」と「遺体の隠匿」を一連の行為と認定したことで、「殺人」についてもWの責任を認め、約4255万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

2009年4月28日、最高裁判所は、Wの上告を退け、判決が確定した。

足立区女性教師殺人事件 - Wikipedia

 

これが時効殺人者の顔写真だ

8月21日、警視庁綾瀬署に68歳の男が自首した。
石川千佳子さん(当時29歳)を殺害した。男の元自宅の床下約1メートルから、ビニールシートに包まれた遺体と石川さんの名前が入った所持品が見つかった。この男は警察の調べに対し、1978年8月14日、廊下を歩いていたら、出会い頭に石川さんとぶつかり、口論となった。石川さんに騒がれたので、口をふさいで殺した、と供述した。その後石川さんの遺体を車で自宅まで運び、妻の留守中に4時間かけて、スコップで床下に穴を堀って埋めた。自首した男が千佳子さんと口論になったと言っている事について、弟の憲さんは「それは無いと思います。姉が人と争う姿を見たことがありません、穏やかな性格でしたから。」と証言している。


男の陳述書より

・和田の陳述書より
(中川小学校での勤務中)弁当に睡眠薬を入れられ、有毒ガスをまかれるなど、小学校で教員たちから嫌がらせを受けた。
犯行時の様子について 「78年8月14日夕。校舎の巡回中、1階給食室前の廊下で、プール当番の日直だった石川さんとぶつかりそうになった。
『こんなところで何をしているのだ』と近寄ると、バッグの様な物で私の顔を殴ってきた。払うとひっくり返り、大声をあげた。(中略)こういう状況を作る目的で罠をかけてきたのではないか。処分されてたまるかと強い怒りが生じ、夢中で両手で首を押さえた。遺体を隠していたことついて「遺体を埋めた和室の畳の上はよけて通るようにしたが、妻と一緒の時は不自然にならないように平静を装った。(乗用車で遺体を自宅に運び、床下約140センチに埋めた。遺体は毛布とビニールシートに包まれ、ロープで幾重にも縛られていた)犯行後の生活について「教員たちを殺して自分も死のうと考えたり、学校の来客が刑事に見えたりした。石川さんの霊が見えた。催眠術の本を買い、自己暗示をかけた。『お前は何もしてない。恐れることはない。』と。目を閉じて繰り返し、歳月がたつうちに事件をあまり思い出さなくなった。

被害者の母親ら遺族3人が約1億8600万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。
男は、「損害請求権は消滅している」と主張。
対して遺族は「加害行為が終了したのは殺害時ではなく、04年8月の事件発覚時。
除斥期間は、その時点から計算すべきだと訴えていた。
2006年、9月26日、東京地裁は、殺人について「民法上の時効が過ぎており損害賠償請求権は消滅した」として、賠償責任は認めなかったものの、男が遺体を隠し続けた行為について、「遺族が故人を弔う機会を奪い、故人に対する敬愛・追慕の情を著しく侵害した」と述べ、男に計330万円の賠償を命じた。



これがざっとのあらましだ。
死人に口なし。
さも自らの精神が患っているかのような、そして石川千佳子さんから攻撃を仕掛けてきたかのような陳述。おおかた区画整理で死体が見つかる前に知り合いの弁護士に相談、供述調書はこうやって言え、と指導されたのだろう。強姦目的で殺したとは口が裂けても言えないし、どんな犯意にせよ、時効が成立していては司法も真実を追及できないからだ。

時効うんぬんの議論はおいといて、殺された石川千佳子さんの無念は一体誰が晴らすのか。

そして、これが和田だ。


70歳にしては、かっこいいじゃねぇか。
いい家に住んで、いい車を転がして。

渡邉文男

これが時効殺人者の顔写真だ | 探偵ファイル