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【名古屋市千種区】ドラム缶女性事件を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

【名古屋市千種区】ドラム缶女性事件を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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ドラム缶女性焼殺事件(川村幸也・野村哲也)とは

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ドラム缶女性焼殺事件(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは2000年(平成12年)に愛知県で発生した殺人事件である。

経緯

平成12年4月4日午前0時30分頃、中古車販売業・川村幸也(当時36歳)と同従業員の野村哲也(当時30歳)は、約束手形(額面240万円)の回収ができないことに腹を立て、仕事仲間ら4人と共謀して手形の振出人である名古屋市千種区の喫茶店経営・深谷茂樹さん(当時56歳)を自宅前で待ち伏せした。

そうとは知らない深谷さんは、妻の洋子さん(当時64歳)と洋子さんの妹で勝子さん(当時59歳)を連れ立って帰宅したところを川村ら6人が襲撃した。深谷さんは、角材で殴られながらも隙を見て逃走したが、洋子さんと勝子さんが逃げ遅れた。川村らは、洋子さんら2人を拉致して計画通りに瀬戸市の山中へ車を走らせた。

暗闇の山中に着くと、事前に用意していた2つのドラム缶に洋子さんらを粘着テープでぐるぐる巻きにして押し込んだ。「助けて」と哀願する洋子さんに、川村らは「かわいそうに、関係あらへんのに。恨むなら旦那をうらめ」と不敵な言葉を発しながらガソリンを撒いて焼殺した。しかも、炭化した遺体をチェーンソーで粉々に切断して周囲に遺棄した。その後、洋子さんのバックから現金24000円余りを強奪して逃走した。

出典: 

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動機

事の発端は、野村が金融業を営んでいる父親から、深谷さんの振り出した約束手形の回収を任されたことにあった。そこで野村は川村に相談し、以前勤めていた運送会社の同僚だった牧田晃和(当時40歳)、佐藤光希(当時37歳)、白沢秀樹(当時45歳)、池田浩市(当時28歳)の4人に借金の取立てを命ずることにした。だが、深谷さんは一向に応じなかった。

焦った野村は深谷さんを殺害することを川村に持ちかけた。了承した川村は野村と2人で、牧田らに犯行に加わるように誘った。躊躇する4人に野村らは「4人に5000万円の生命保険を掛けている。断ったら殺し屋を仕向ける」と背後に暴力団がいることをちらつかせて犯行に加わるように仕立てた。

出典: 

 

裁判

死刑確定:深谷さんからの通報で、愛知県警は川村ら6人の行方を追った。間もなく牧田ら4人を逮捕した。その自供から4月10日、川村、野村を強盗傷害容疑で逮捕した。川村と野村は逮捕後の事情聴取で犯行を認めたが、川村は「自分は実行犯の1人に過ぎず、計画したのは野村である」と主張した。また、共犯の牧田らは「川村、野村に5000万円の生命保険を掛けられて、゛言うとおりにしないと殺す゛と殺害を強要された」として情状酌量を求めていた。

平成14年2月21日名古屋地裁は川村と野村に死刑を言い渡した。平成15年3月12日名古屋高裁は川村らの控訴を棄却。平成18年6月9日最高裁は2人の上告を棄却して死刑が確定した。判決の中で、裁判長は「女性2人をドラム缶に押し込んで生きたまま焼き殺したという殺害の態様は極めて冷酷、非情かつ残虐というほかない」と断じた。

尚、共犯の牧田、佐藤に無期懲役。白沢、池田に懲役12年が確定している(この2人は焼殺には加担していなかった)。

出典:カミカゼニュース : 愛知 ドラム缶焼殺事件 川村幸也 野村...

 

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中古車販売業・川村幸也(当時36歳)と同従業員の野村哲也(当時30歳)

 

刑の執行

刑の執行

死刑囚は、刑務所ではなく拘置所で死刑執行を待つ。刑の確定から執行までは、最近では平均で
4年ほどだ。
 「私の執行は、いつごろになるんでしょうか・・・」。名古屋拘置所に入っていた川村幸也・元死刑囚
(当時44)は08年12月、面会に訪れた三浦和人弁護士に静かに尋ねた。執行されたのは翌月。これ
が最後の面会になった。
 川村元死刑囚は共犯者とともに名古屋市で女性2人をドラム缶で焼き殺した罪で06年7月に死刑が
確定した。1審から弁護人を務めた三浦弁護士によると、確定前にカトリックの洗礼を受けたことで落
ち着き、「被害者や遺族のことを考えれば死刑は仕方がない」と納得していた。
 ただその一方で「自分たちは指示されただけで、首謀者は捕まっていない」と訴え続けていた。共犯
者のうち2人は同じ死刑を求刑されながら無期懲役が確定していた。「命令されてやったことを裁判長
に分かってもらえば、同じ無期懲役にできたのではないか」。三浦弁護士には悔いが残る。
 執行の2週間ほど前、川村元死刑囚は市民団体が実施したアンケートに、こんな一文を残していた。



わたしの死刑執行をビデオに撮り、司法にかかわる人に、死刑とはどんなものなのか、みて、考えてほしいと思います。司法は人を裁くのです。最後まで知っているべきなのです

http://sharetube.jp/article/12911/

 

 

 

無関係の女性を焼き殺した男の安らかな死にざま~愛知・2女性ドラム缶焼殺事件~

2000年4月4日

愛知県瀬戸市北白坂と旧藤岡町の境にある山林内の空き地に、4人の男の姿と二人の女性の姿があった。
4人のうちの2人が、車からドラム缶をおろし、空き地内に並べて置いた。
時刻は午前240分。

両手足をガムテープで拘束された女性らは、もはや抵抗する気力もないほど怯え震えていた。
ドラム缶をおろした男らに対し、残りの二人の男が指示を出す。指示された男らはこわばった表情のまま、それでも指示通り二人の女性を用意したドラム缶の中に抱え上げて入れた。そして、ガソリン混合油を頭からかけた。
女性らはこれから自らの身に起ることに気づき、男らに懇願した。
「助けて!ちょっと私の話を聞いて!」「お願いします!!」
しかし、その懇願も男らに届かないと悟ったのか、女性は静かになり、そして念仏を唱え始めた。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・

暗い森の中で、女性が自分のために唱えるお経が響いていた。

犯行まで

事件前日の43日午後5時。
愛知県内のとある会社事務所に、男ら6人が顔をそろえ、深刻な話し合いを持っていた。
話の中心にいた男は、一人が野村哲也(当時33歳)、もう一人を川村幸也(当時38歳)という。周りで話を聞いていた男らは、牧田晃和(当時40歳)、牧田(佐藤)光希(当時37歳)、白沢秀樹(当時45歳)、池田浩市(当時28歳)。

彼らはこの時、切羽詰まっていた。
この日から4か月ほど前の12月初旬。野村の父親が経営する金融会社が、名古屋市内の喫茶店経営・深谷茂樹さんに貸し付けた240万円(手形)が焦げ付いており、父親は野村に対してその取り立てを任していた。
しかし、取り立ては難航。1213日、なんとか深谷さんと接触し、手形の支払い、もしくは深谷さんが乗るクラウンマジェスタの引き渡しなどを求めた。

深谷さんは所有する不動産を売却して支払うという念書は書いたが、それ以上の事には応じられないと言った。
その時の深谷さんの対応に苛立ちを感じた野村と川村であったが、以降の取り立てを池田に任せ、その後の進展は特にないままだった。
ある時父親から手形の件を聞かれた野村は焦った。父親に恐れに近い感情を抱いていた野村は、何としてでも240万円を深谷さんから取り立てなければ、自分たちの無能さを父親に叱責されるにとどまらず、実はすでに取り立てているにもかかわらず、それを使い込み(いわゆる早い分、と呼ばれるちょろまかし)したのではないかと疑われてしまうと思うようになる。
加えて、不誠実な深谷さんの態度にも憤慨していたことから、取り立てる手段が暴走し始める。

野村は、池田らに取り立ての責任があるかのように思い込ませ、その上でマジェスタを強奪して来いと言うようになる。
平成122月には、マジェスタを奪うだけではなく同時に深谷さんを拉致し、殺害せよと具体的な指示を出した。さらに、この時すでに殺害場所も野村は下見しており、とにかく深谷さんを車ごと拉致して殺害し、マジェスタを売り払って240万円を作ろうと真剣に考えていたのだ。
川村も、「さらうのなんか簡単だ」と野村に同調し、他の4人にプレッシャーをかけ続けた。

4人は実際に深谷さんを待ち伏せるなどの行動に出たが、1度目はなんと全員寝てしまって失敗、野村はさらに激怒した。
そして何の進展もないままに4月に入り、しびれを切らした野村の実父は、手形の取り立てについて野村を叱責した。焦った野村は、川村に相談し、自分らの取り分60万円を差し引いた180万円を早急に実父に渡す必要があると考え、2月に失敗した深谷さんの拉致計画をもう一度実行することを決めた。
それが、4人の男らを含めた冒頭の話し合いにつながるのである。

男らの関係

男らは愛知県春日井市の運送会社で一緒に働いていた時期があった。川村はその後退職し、春日井市内で中古車販売業を営んでいた。
平成11年、川村は野村に対し、休眠会社を買い取って別会社を設立し、商品を買って売り抜けた後計画的に倒産させる、という方法で商品代金の支払いを免れる「引き屋」と呼ばれる商売を持ち掛けた。完全な詐欺であるが、もともと暴力団関係に近い父親の存在があった野村はそれを承諾し、川村も野村の同意を得たことから牧田兄弟、白沢、池田らも誘い込んだ。
牧田らはすでにかなりの額の借金を抱えていたこともあって、川村と野村の儲け話を鵜呑みにし、さらには4人の中で唯一ブラックリストに載っていなかった牧田兄を社長に据えた。
首謀者であったはずの川村と野村は、万が一のことを考えて自分たちの名前は表に出さないように仕組んでいた。

詐欺会社を設立したのち、当初はそうでもなかった男らの立ち位置というものが次第にはっきりしてくる。社長はあくまで牧田兄であったが、事実上のリーダーは川村と野村であり、特に川村は、右足の膝下がなく、それについて「以前ヤクザともめて切られた」「背中一面に入れ墨がある」などと吹聴していたことから、野村以外の4人は川村に対して一目置いていた。
また、野村についても実父がほとんど「そっちの方」であったため、4人は野村にも同様の畏怖を抱いていた。野村自身も、実父の威を借ることを常としており、裏社会(笑)に精通しているなどと嘯いていた。
儲け話に乗った形の4人なので、詐欺を働くにしても野村の指示に従うことが常で、その際に叱責、罵倒されることもあったが、川村と野村を恐れていた4人は完全服従するしかなかった。
特に、白沢と池田は会社設立の際の不手際で当座預金口座の開設に失敗していたことを責め立てられ、川村から「指を詰めろ」などと脅されていた。
4人とて、言われるがままに最初から服従していたわけではなかった。
牧田兄は役員に据えられていたものの、相当な出資もさせられており、会社を辞めたい旨を漏らしていた。しかしそのたびに、川村と野村から家族に危険が及ぶかのようなことを言われたり、暴行を加えられるなどし、さらには妻の借金問題などで形式上の離婚もするなど、相当に追い詰められていた牧田兄は、平成122月に自殺を図るが、失敗に終わる。

同じく取り込み詐欺の会社に嫌気がさしていた池田は、平成11年の年末から翌12年の1月にかけて、実家に身を隠すなどして川村と野村から離れようと試みている。しかし、川村と野村はすぐさま実家を探り当て、池田に対して「事業の遂行に努力し、違約の場合はいかなる処罰や処分も甘受する」というとんでもない念書を作成させられ、連れ戻された。
このような状態を断ち切るために野村は、会社を受取人とする生命保険を4人にかけた。災害死亡で6,000万円、それ以外の死亡時には5,000万円が会社に入るもので、何かあるたびに川村らは、「誰が死ぬんだ。死ぬとしたら事故死だ。」などと言って4人を黙らせた。
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人にはもはや、逃げ出す手段を考える力さえも、残っていなかった。

事件当夜

野村はそれまでにも、部下の4人を前に「ああいうやつ(深谷さん)は俺も取り立てで殺してしまったことあるけどなぁ。相手を殺して、チェーンソーで骨を切って、ドラム缶で燃やして骨をすりつぶして養鶏場の鶏の餌にした」などと話していた。
当然このような事実はなく、虚勢を張る、もしくは4人に恐怖心を植え付けて服従させる意図があったとみられる。
川村もそれに同調し、繰り返し、「あんなやつ、マジェスタ奪って、殺いてまった(判決文ママ)方がいい」と言い、「とにかく連れて来ればいいじゃん、殴ってもいい。ドスで足でも刺せば簡単だがや」と煽った。
野村も、ことあるごとに「深谷夫妻をさらう、チェーンソーで切る」と繰り返した。

そして事件当日、事務所内で話し合った際、4人は2月に失敗した拉致計画をもう一度実行しなければならないのだな、と認識した。
牧田兄を除く3人は、積極的な参加の意思は示さないものの、生命保険を掛けられていたことや、唯一「やりたくない」といった牧田兄に対し、川村が「お前が行かないならドラム缶一つ増やさないかん」と言ったことに委縮し、犯行に加わることを承諾した。
その後、牧田兄以外の3人が手分けしてガソリンスタンドでドラム缶2個、ガソリン混合油、犯行時の着替えやチェーンソー、すり鉢などを購入、野村はドラム缶を加工し蓋を取り外し、側面には通気口をつくった。

午後7時半。
野村は4人を呼び寄せ、「もう一回、お前らだけで話し合え」と伝える。4人は野村の「意図」を察し、「俺たちの責任でやりますので、指示を出してください」と言ってしまう。参加拒否の意向を示していた牧田兄も、もう抗えなくなっていた。

6人は3人ずつに分かれ2台の車に分乗し、深谷さんが経営する喫茶店付近と、自宅駐車場を見張った。
牧田弟、池田、牧田兄は深谷さんの自宅へ向かった。そして、自宅駐車場で入り口をふさぎ、深谷さんが帰宅してもすぐに車を停められないようにし、深谷さんが不審に思って車を降りたところを襲う、という手順であった。
川村と野村、白沢は、喫茶店を見張って深谷さんが車で自宅に向かうのを追尾する手はずであった。

午前零時頃、深谷さんは喫茶店の営業を終え、妻・洋子さん、そして店を手伝ってくれていた洋子さんの妹である高橋勝子さんと連れ立ってマジェスタに乗り込んだ。
この時、川村らは高橋さんが深谷夫妻とどういう関係なのか知らなかったため、単に従業員を途中まで送る、程度に考えていた。そのため、自宅で待ち伏せしている3人に、マジェスタに3人乗っていることは伝えていなかった。
高橋さんは当時、深谷夫妻の自宅で同居していた。したがって、途中で降りるということはなく、そのまま事件に巻き込まれてしまう。
零時30分ころ、自宅駐車場に着いた深谷さんらだったが、入り口を塞がれていたため、車内で待機していた牧田兄に対し、車を移動させるよう告げ、その間にトランクから荷物をおろし始めた。
洋子さんと高橋さんも、車から降りて深谷さんのそばに立っていた。
深谷さん夫妻だけだと思っていた3人はためらったが、もはや計画通りに事を進める以外にないとして、深谷さんらが背を向けるタイミングを見計らって襲い掛かった。

池田が深谷さんの後頭部を角材で殴りつけ、逃げる深谷さんを追った。
牧田弟は、悲鳴を上げた洋子さんの顔面を殴ったうえ、待機していた車へ引きずった。車内で様子をうかがっていた牧田兄は、深谷さん夫妻のほかにもう一人いることを確認し、車から降り高橋さんに近づくと、恐怖のあまり立ちすくんでいた高橋さんの右手をつかんで、車の方へ連れて行った。

深谷さんは重傷を負いながらも近くのたばこ店に逃げ込んでおり、池田は深谷さんを見失っていた。
深谷さんの車を追尾してきた川村らが乗った車もすでに到着しており、必死で抵抗する洋子さんと高橋さんを車に押し込めた。

そして、今度は深谷さんのマジェスタを白沢が運転し、合計3台で拉致現場を離れた。
深谷さんを追いかけていた野村と池田は徒歩でその場を離れ、ナゴヤドーム付近で他の4人と合流、車に分乗した。
その際、マジェスタを運転していた池田と白沢が燃料の残りが少ないことに気づき、一旦給油してから合流することになる。
ところが、マジェスタに乗り込んだ白沢が、先ほどまで乗っていた別の車に携帯を忘れてきたことを思い出し、連絡が取れなくなったことを案じていた。
とりあえず、給油をした後待ち合わせ場所に指定された瀬戸市内の自動車学校を目指していたところ、午前117分、千種区香流橋2丁目の県道交差点において信号待ちをしていたマジェスタを、深谷さんの通報で緊急配備を布いていた警察官によって職務質問、午前3時に緊急逮捕となった。
しかしこの時点では他の共犯者の存在は明かさず、また、拉致された洋子さんらの安否についても何も話さなかった。

一方で、待てど暮らせどマジェスタがやってこないことに業を煮やした川村らは、残りの4人で犯行を続けることにし、そのまま2台であらかじめ野村が目星をつけていた山の中の空き地を目指した。
しかし、夜ということもあり道に迷った4人は、白坂町にある東京大学大学院農学部の所有する演習林にたどり着く。
時間も過ぎていることもあり、野村はこの場所で二人を殺害することを決めた。

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