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(漫画)有名アイドルのニャンニャン写真流出で死人が出た話【高部知子事件】@アシタノワダイ

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(漫画)有名アイドルのニャンニャン写真流出で死人が出た話【高部知子事件】@アシタノワダイ

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高部知子の現在【今と昔の画像】喫煙ニャンニャン事件の真相,積木くずし

高部知子の現在にいたる懐かしい昔

○超メガヒット清純女優、高部知子
テレビドラマ「ガラスのうさぎ」でデビューした高部知子は、初ドラマ初主演だった。
女優の中でもエリート路線まっしぐら。超人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」のユニット「わらべ」の長女、そして夏休みの昼ドラマ「わが子よ」でメインキャストを演じるようになったのもすぐだった。。

高部知子がデビュー数年で出演したものは、どれも高実績をおさめて、視聴者からの人気も極めて高かった。当時の若手女優の中で最も売れていた若手女優の1人といえる。

アイドルは、もって2年の芸能界で、高部知子はデビューしてから1993年のニャンニャン事件まで右肩上がりだった。

高部知子の積み木くずし

○高部知子、積木くずし、超絶メガヒット
関東地区のビデオリサーチでの最高視聴率ランキングは以下のように鳴っている。

1位1983年 積木くずし 45.3 TBS
2位1979年 水戸黄門 第9部 43.7 TBS
3位2013年 半沢直樹 42.2 TBS
4位2000年 ビューティフルライフ 41.3 TBS
5位1979年 熱中時代 40.0 日本テレビ
5位1979年 太陽にほえろ 40.0 日本テレビ
5位2011年 家政婦のミタ 40.0 日本テレビ

そしてその主演だったのが、高部知子である。さきほどは当時若手女優の中で最も売れていた女優と紹介したが、当時どころではないのが分かる。

おそらく、ピーク時の高さで言えば、歴代の若手女優の中でも最も高い場所に行った1人が高部知子といえる。それぐらい、高部知子が出演する番組の反響は高かった。

そして高部知子のニャンニャン事件が勃発する。

高部知子のニャンニャン事件の真相【真相と彼氏と写真】死亡

高部知子のニャンニャン事件

○高部知子、ニャンニャン事件勃発【喫煙ベッド画像】
始まりは、写真週刊誌「FOCUS」に掲載された写真だった。
女優高部知子としては、致命的な画像だ。衣服をまとわず布団をかけてタバコを咥えた姿は、誰が見ても「彼氏と一戦交えた後の一服」だった。高部知子の当時の年齢は15歳だ。

高部知子のイメージは、清純な少女タレント、考えられる最悪の写真だった。「欽ちゃんのどこまでやるの!?(欽どこ)」には、早く首にしろ!というクレームも殺到した。

しかし高部知子の人気の高さは、半端ではなかった。芸能界側の判断は、謹慎。「写真は悪ふざけで撮ったもの」だとして、事件が落ち着いた後に、高部知子の復帰という目論見だった。「欽どこ」にとっても、高部知子は変えの効かない存在だった。

○高部知子の写真持ち込み者の死
芸能界の目論見はすぐに破綻した。
高部知子の彼氏とされていた男が亡くなったのだ。「ニャンニャン事件」へのイメージが単なるいたずらではすまされないものとなった。事件が沈静化の目処が立たなくなり、ついに欽どこファミリーからも破門するしかなくなった。

高部知子は、芸能界における全てを失った瞬間でもあった。

男性が亡くなった経緯は、自ら命を絶ったと報道された。
理由は明らかになっていない。ただ、日本史上最高とも言える超人気女優のイメージを失墜させたことによって、芸能界からの法的手段による追い込み、そして高部知子の多くのファンからのバッシングや嫌がらせが相次いだものだと思われる。男性が写真を持ち込んだ経緯は、1度民放に持ち込んで芸能界に握りつぶされて、諦めていたところに、さまざまな圧力があって自衛のために写真週刊誌FOCUSに駆け込んだという話である。

○高部知子のニャンニャン事件の真実
写真はやらせであった。
男女含めた友人何人かで、いろんな写真を撮って遊んでいたときだ。お互いにふざけた写真をとりあって楽しんでいた。その流れで、積木くずしのポーズをとってという流れになった。歴代でも最高の注目度だった「積木くずし」の主役、その本人である高部知子に「積木くずしみたいなポーズをとって」と頼むのも、当然の流れだったと言える。肩が出ている服をきていた高部知子は上着を脱いで、布団を被り、渡されたタバコを咥えた。

これが事件の真実である。

事件翌年に出版されてベストセラーとなった暴露本「ハンパしちゃってごめん」では、写真を撮った男性とは交際関係にあり、喫煙もしていたことを認めている記述がある。しかしながら、この暴露本は、事件の報道内容や高部知子の発言、関係者の証言を都合よくまとめたもので、喫煙交際らに関わる否定的ものは一切掲載されていなかった。挙句の果てには、高部知子はほとんど関与していないで自著ということになっている。

高部知子、謹慎明けて、結婚して

1985年CM 高部知子 チェリオ ミツカン 明治チョコレート
 

○高部知子、難しい復帰
1984年、復帰してTBSの連続テレビドラマ「転校少女Y」に主演となった。連続ドラマの主演になったのはやはり高部知子への期待が大きかったからだろう。結果は実らなかった。視聴率が極めて普通だった。超人気ウルトラ女優の高部知子をあえて起用する意味もなくなった。CMも減っていき、ドラマの主演もなくなり、脇役からゲスト出演とどんどん格が下がっていった。高部知子は、シングル「雨の街」で歌手デビューするも、売れることはなかった。

○高部知子、結婚して、引退
1989年22歳になった高部知子は、幼馴染の男性と結婚した。
高部知子と男性は、コンビニエンスストアを夫婦で経営し、二人の子供をもうけた。しかし数年後離婚、そして再婚して、再び離婚となった。

疑いようもなく、高部知子にとってニャンニャン事件が転機であり、そこから転がり落ちるような人生であったと言えるだろう。

しかし人生どうなるかは、その人自身の力も重要である。高部知子は、努力家だった。

高部知子、大学へ行き、現在に続く

高部知子の現在の年齢は、53歳である。

芸能界を引退したのは、売れなくなったからではなかった。

結婚後に出産した長女に心臓の奇形が見つかったことで、育児に専念することを決意。

そうして長女を育て上げながら、1つの想いが浮上する。「自分がそうであったように、不器用な人間の助けをしていきたい」。高部知子は、精神保健福祉士を目指すようになった。

謹慎中、高部知子は、学校の先生に相談をしていた。今の自分に何も希望を持てないことについてだ。相談を受けた学校の先生と反省ノートをやり取りしていくうちに、高部知子は励まされ、気持ちも自然と前向きに鳴っていったという。このときの経験からも精神保健福祉士を目指す理由となったらしい。

高部知子、慶應義塾大学文学部へ、そしてカウンセリングの道へ

○高部知子、3%卒業する
高部知子は、慶應義塾大学文学部通信教育課程に入学し、そして2005年に卒業した。入学は誰でもできるが、卒業は極めて難易度が高いと言われているもので、大体3%から5%だと言われている。

○その後、カウンセリングケアの道へ行く高部知子
慶応を卒業した高部知子は、2年後には、東京福祉大学セイン新保健福祉士養成コースを修了して、精神保健福祉士の資格を取得。

高部知子の現在

現在の高部知子は、浄土宗に入門したり、浄土宗教師の拝命をうけたり、CBTストレスカウンセラーとなったり、東京都認定薬物専任講師取得したり、、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存薬物専門課程修了と、「精神保健福祉を学ぶための塾」を作りたいという目標に向かって、着実に歩みを進めているようだ。

○高部知子の現在
精神保健福祉士としてさまざまな資格や知識を身につけ、高部知子は現在全国で講演活動もやっている。
芸能界のほんとうの意味での頂点から、どん底まで落ちてつらいバッシングを受け続けた経験を生かして、世の中の人たちの少しでも役に立とうと努力をしている。

おわり

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