信じるか信じないかはあなた次第
歴史上、世界のどの国も体験したことがない未曾有の人口減少時代に突入した日本。約50年後には、4600万人もの人口が減る厳しい未来が待っている。
『縮小ニッポンの衝撃』は今後、日本が直面するこの問題に正面から向き合った、NHK取材班のルポをまとめた一冊だ。
本書から一足先に「財政破綻」「超高齢化」「人口減少」という三重苦を抱えた、夕張市の衝撃的な現実を特別公開する。
【市町村合併】財政破綻した街はどうなるのか。夕張市を例に財政破綻の原因と真相を漫画にしてみた(マンガで分かる)
ポイント① 財政破綻から経費削減が徹底されている夕張市
ポイント② 炭鉱の封鎖と人口の削減が難しかった
ポイント③ 観光化の失敗で窮地に立たされる
ポイント④ 交付金と税収の減少で歳入が減る
夕張市破綻から10年「衝撃のその後」若者は去り、税金は上がり…
歴史上、世界のどの国も体験したことがない未曾有の人口減少時代に突入した日本。約50年後には、4600万人もの人口が減る厳しい未来が待っている。
『縮小ニッポンの衝撃』は今後、日本が直面するこの問題に正面から向き合った、NHK取材班のルポをまとめた一冊だ。
本書から一足先に「財政破綻」「超高齢化」「人口減少」という三重苦を抱えた、夕張市の衝撃的な現実を特別公開する。
税収は8億円、返済額は26億円
夕張市は、財政破綻で2007年に財政再建団体に指定されたことをきっかけに、事実上国の管理下に置かれた。
2010年の法改正で財政再生団体と名称は変わったが、予算編成にしても国の同意を得なければ、新たな予算を計上することも独自の事業を実施することもできない。「地方自治体」でありながら、「自治」が許されない。そんな自治体は、全国でも唯一夕張市だけだ。
夕張市の財政はいまも火の車だ。税収が8億円しかない夕張市が毎年26億円を返済するという計画は「ミッションインポッシブル」と揶揄され、毎年の予算編成も綱渡りが続く。
取材班がカメラを入れたのは、どの自治体でも行われている予算折衝の会議である。各課の課長クラスが市長や財務課長らに対し「次年度はこうした事業を実現させたい」と説明し、予算を要求。当該事業に予算をつけるかどうかの議論が行われる。
普通の自治体なら事前の根回しを済ませた上で予算折衝に臨むので、あ・うんの呼吸で予定調和の結論に落ち着くが、夕張市では、息の詰まるような厳しいやりとりが続く。
Photo by iStockその日議題に上ったのは、市立幼稚園の臨時職員の雇用をめぐる予算だった。他の自治体であれば、担当者レベルで調整できる問題だが、夕張市では幹部クラスが議論を戦わせる。
<教育課長:市立幼稚園では人手不足が続いており、先生がお昼ご飯を食べる時間をとるのも厳しい状況です。なんとか時間給で働ける先生を確保してもらえないでしょうか?
財務課長:厳しい状況にあるのは重々承知しておりますが、「計画」にない予算をつけるのは難しい。「計画」の変更には国の同意が必要です。一番厄介な問題なんですよ。>
予算査定の会議で繰り返し、壁として現れたのが、この「計画」だった。通常の自治体では、実情に合わせて予算を見直すことができる。しかし、夕張市では借金を返済するための「財政再生計画」に縛られているため、それができないのだ。
国から認められた年度当初の「計画」にないお金を市の判断だけで使うことは1円たりとも許されない。予算をどう配分し何に使うのか、という自治の根幹とも言える権利を持たない夕張市。10年間にわたってこの異常な状態が続いてきたことで、様々な歪みが生じている。
市役所の室温がマイナス5度に
これまで、夕張市の行政サービスの効率化として多く語られてきたのは、目に見えるものが多かった。前述したように、少子化が進む中で7つあった小学校、4つあった中学校はそれぞれ1校ずつに統廃合され、図書館や美術館などの施設は軒並み廃止された。公園は整備されなくなり、医療機関も縮小された。
しかし、それらに比べても大なたが振るわれたのが職員の人件費だった。自治体にとって、支出を抑えるために最も大きなカギを握っているのは何と言っても人件費なのである。
夕張市では財政破綻後、55人いた管理職のうち定年退職を控えた部長は全員、課長級は3人を残していっせいに退職。残った職員の給与は年収ベースで平均4割削減された。「この収入では家族を養えない。生活設計が破綻する」と退職する職員が相次ぎ、260人だった職員数が瞬く間に減少したことで人件費はさらに圧縮されることとなった。
国は、人口減少に合わせて職員数を減らすのが当然と考え、特段の手当てが講じられることもなかった。
しかし、人口が減ったからといって事務量がそれに比例して減るはずもなく、市職員の一人当たりの仕事量は増大した。北海道を始めとする他の自治体や企業からの出向者など約20人の派遣職員を得たが、それでも追い付かず、市職員が夜遅くまで残業する事態に追い込まれた。経費節減のため午後5時になると冬でも暖房が切られてしまい、室温がマイナス5度まで低下して、コップに入った水が凍ってしまうこともあったという。
Photo by iStock容赦ない合理化は、就労環境を悪化させるにとどまらず、市職員の士気を下げ、先行きの見えない市政に絶望した若手職員らの離職がさらに進むという悪循環を招いた。
私たちは、夕張市の人事・採用の責任者である総務課の寺江和俊課長(54歳)を取材した。夕張市役所で働くことの意味を誰よりも熟知する人物である。
寺江さんの席は職員たちを見渡せる夕張市役所4階フロアのほぼ中心に位置している。その横に丸椅子を置き、質問を投げかける。周りに多くの職員たちが働いており、取材のやり取りはすべて筒抜けだ。
こうした状況では通常、本音を引き出す取材は不可能だ。何度か通っているうちにふたりだけの場で本音を聞ける関係を築くことができれば御の字である。ところが、初対面のこの日、寺江さんの口からは予想を裏切る「本音」があふれ出た。
「ここにはね、希望がないんですよ。組織として続かないですよ!こんなんじゃ」
寺江課長の言葉に込められた怒りと諦め。それは特定の誰かに向けて放たれているというわけではなく、とにかく今自分たちが直面している状況を誰にもわかってもらえていないことへのやるせない思いが噴き出しているように見えた。
そしてその言葉がまるで普段の日常会話であるかのように職場の誰も気にとめる様子もない。周囲の職員たちは静かにパソコンに向き合い続けていた。
寺江さんが課長になったのは財政破綻直後の2007年。ヒラ職員からの大出世であるはずのこの人事は全くめでたいものではなかった。上司のほとんどがいなくなる中で、45歳という年齢もあって辞めるに辞められなかった寺江さんに管理職ポストが回ってきたのである。
部長や次長などの幹部級のポスト自体が廃止されたため、これ以上出世の望めない「万年課長」。しかも、給与は一般職だった頃よりも3割減り、月の手取りは17万円となった。
しかし、本当の地獄はここから始まった。待遇が悪くなったことを受け入れ、それでもなお市役所に踏みとどまっていた若手・中堅の職員たち、破綻した町を再生させたいと厳しい環境を承知の上で夕張市に飛び込んできた新採用の若者たちが「耐えられない」と言って次々と辞めていったのである。
人事を統括する寺江さんはその一人ひとりの話を丁寧に聞き取ったうえで、退職願を受け取った。彼らは「まちの未来に希望を持てない」と口を揃えた。組織の維持管理のためには、一人の減員も避けたいところだったが、彼らの思いを知れば知るほど引き止めることができなかった。
夕張に残った住民は「全国最低の行政サービス」と「全国最高の市民負担」を強いられることになった。新たに入湯税やゴミ処理手数料などが導入される一方で、各種税金や公共料金も引き上げられた。
破綻前と破綻後を比べると、市民税が3000円から3500円に、軽自動車税は1・5倍、下水道使用料は10立方メートル当たり1470円から2440円に引き上げられた。ちなみに下水道料金は東京23区の約2倍である。
その一方で、集会所や公衆便所や小中学校などの公共施設は次々に閉鎖され、残された公共サービスの水準も全国最低。老朽化した市営住宅を直すお金も、危険な廃屋を取り壊すお金もない。
ゴーストタウンと化した夕張市(Photo by gettyimages)市職員は、「夕張の再建」という理想を持っていても、自分たちには何の裁量もなく、合理化以外には何もできなかった。職員たちの間には、「自分たちの仕事は一体何のためにあるのかわからない」という無力感が漂っているのだと言う。
「自治体としての責務は、市民の生活を安定的に継続させながら生命財産を守っていくことに尽きます。しかし、夕張市の職員は、その本来の自治体が果たすべき責務がやりたくてもできないのです。手をこまねいているうちに、どんどんどんどん人口は減り、街の活気がなくなっていく。
『これからの自分の人生を考えた時に、はたしてこの町に住んで頑張れるのか自信が持てない』。そういう思いに至るのは当然で、踏み止まって、何とか頑張ってきた10年15年選手が、次々辞めていきました。
蓄積した業務のノウハウも人とともになくなっちゃう。組織にとっては相当な痛手ですね。でも彼らの気持ちはよくわかりますから、何も言うことができない。
破綻から10年間、複雑な思いでこういう人たちを見送ってきました。そういう辛い思いを毎年繰り返し経験してきたので……。中堅職員・若手職員の退職願を受理するっていうのはもう、僕的にはやっぱり耐えられないものがあります」
寺江さんは募る想いを包み隠さず話してくれた。
もう一度破綻しかねない
財政破綻から10年という節目の2016年、夕張市は地方創生を追い風に、「計画」に縛られた閉塞状態から一歩前に踏みだそうと動き出した。指揮を執るのは2011年4月に、当時全国最年少(30歳1ヵ月)で市長になった鈴木直道氏だ。
埼玉県三郷市出身で夕張とは縁もゆかりもなかったが、転機となったのは2008年。東京都から夕張市へ出向する派遣職員として職場で推薦され、期限付きのヒラ職員としてこの地にやってきたのだった。
1年の任期を延長し、2年2ヵ月夕張市役所で働いた後、東京に帰る年に市民から「あなたが市長選に立候補してほしい」と依頼を受けた。鈴木氏は、東京都職員という安定した職を捨て、先行きの見えない夕張市の舵取りを担うべく選挙に立つ。
石原慎太郎・東京都知事や猪瀬直樹・都副知事(いずれも当時)が選挙カーに立って応援するなどの支援もあり、見事当選。現在2期目を務めている。
鈴木市長が就任した際に残されていた借金の総額は322億円。その2年後から利息に加え元金の償還が始まり、毎年26億円を14年間にわたって返済しなければならなくなった。一方、税収は年間8億円足らず。地方交付税の補填があるとは言え、市職員の給与カットや住民サービスの徹底的な切り下げを行わなければ返済不可能な金額だ。
鈴木市長は言う。
「家計にたとえれば、500万円の収入で、食費・光熱費などを出して、そのうえ260万円もの借金を返済する感覚です。住民サービスはすでに徹底的に切り下げており、これ以上削れる事業はありません。
財政再生計画は、夕張市の財政を建て直すことが最優先されており、夕張市民が負担に耐えられるかという観点が抜け落ちている。このままでは17年後(2027年)には財政再建できるかもしれないが、夕張市そのものが消滅してしまうかもしれないと思いました」
鈴木氏は、有識者による第三者委員会「夕張市の再生方策に関する検討委員会」を設置して、夕張再生の施策を検討してもらった。2016年、委員会が提出した報告書には緊縮一辺倒の市政に対する懸念が多数盛り込まれた。
「『最高の負担、最低のサービス』という表現が使われるところに人は来ない」
「『何を要望しても叶わない』という諦めムードが、住民生活に深い影を落としている」
「財政再生計画が終わった時点で、市職員、派遣職員ともいなくなり、組織が成り立たなくなっているのではという危機を感じる」
「夕張市は破綻から10年を経て、116億円の借金を返済してきた。しかし、夕張市全体が限界に来ていると感じた。何とかしなければ『2度目の破綻』ともいうべき事態になってしまうという切迫感を感じる」
委員会は、財政再建に配慮しつつも、住民からの要望の強い子育て支援サービスの充実、コンパクトシティ化を前提にした複合公共施設の整備、市職員の処遇改善などを織り込んだ見直し案を提言した。
市はこれを受け、緊縮一辺倒からの方針転換を国に訴えた。こうした熱意は国を動かし、2017年3月、財政再生計画の抜本的な見直しに国が同意。夕張市では、今残っている200億を超える借金は確実に返済していく一方で、町の再生のために必要な予算については実情に合わせて柔軟に使える環境が整った。
財政破綻から10年。止まっていた時計の針を動かすことができるのか。人口が3割減少し、市職員が大量退職した夕張市にとってはまだまだ険しい道が続いていく。
【町中どこもかしこも廃墟?!】財政破綻した”夕張市”の今を訪れる
訪れたことはなくとも、その名を知る人は多いでしょう。
かつては炭鉱の町としても栄えました。
しかし、現在は別の理由から有名になっています。
「財政破綻した市」
街並みを歩くと、どこもかしこも廃墟だらけ。
人の姿が見えません。
夕張市の”歴史”と振り返りながら、”今”を覗いてみました。
夕張市の栄枯盛衰をなぞる
夕張市は、北海道の空知地方に位置しています。
明治初期から炭鉱の町として栄えました。
日本有数の産炭地として発展し、1960年には最多人口116,908人を記録しています。
しかし時代の趨勢には逆らえません。
石油へのエネルギー転換に伴い、国内の石炭産業は衰退の一途を辿ります。
夕張市とて例外ではありませんでした。
夕張市の炭鉱は次々と閉山。
1990年、最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山すると、夕張市から炭鉱は完全になくなりました。
「炭鉱から観光へ」をテーマに、夕張市は新たに舵を切りました。
1980年代には、大型のテーマパークやスキー場を次々と開設し、映画祭などのイベントも開催。
しかし、バブル崩壊による景気低迷などの煽りを受け、観光へのシフトもうまくいきませんでした。
気付けば、莫大な投資に対する赤字のみが残りました。
その後、夕張市は再起を図ろうともがきますが、負債は膨れ上がる一方でした。
たかのように思えましたが、10年以上経った今でも、その道のりは険しいままです。
人口減少と行政サービス低下、負のスパイラル
止まらない人口減少。
再建を担うはずの市役所の職員も大幅に削減されました。給料も大幅にカット。
しかし人口が減ったからといって仕事まで減るわけではありません。
少ない職員で回さなくてはならなくなり、一人あたりの業務量は増大しました。
しかし給料は上がるどころか下がっていきます。次々と辞めていく職員。
やる気と熱意だけではどうしようもない「耐えられない現実」がそこにはありました。
さらに、借金返済のため、行政サービスはますます低下しました。
小中学校は統廃合が進み、図書館や美術館は廃止され、公園も整備されなくなりました。
税金は上がる一方で、下水道料金は東京23区の2倍に。まさに負のスパイラルです。
とはいえ、この10年以上で、夕張市は100億円以上の借金を返済しています。
夕張市のWebサイトでは、「借金時計」という半ば自虐的なページを設け、これまでの返済額や現在の借金残高をリアルタイムで表示しています。
それによると、再生振替特例債償還終了年月は2027年3月。
返済が進めば、町の再生に使用できる予算も徐々に増えていくでしょう。
果たして、夕張市の未来は……。
誰もいない町
全く人とすれ違いません。
2019年8月31日現在、夕張市の人口は7,939人です。最盛期の人口のわずか7%です。
夕張市の人口について近況を補足。
2013年6月、人口が1万人を割れました。
2017年5月、65歳以上の人口比率が50%を越え、日本の市では初の限界自治体に。
2019年5月、人口が8,000人を割れました。
現在、市内のいくつもの集落が人口0人の消滅集落となっています。
在りし日の繁栄を物語るかのような看板。
この中で、今も営業を続けているお店は……果たして?
朽ちつつある木造建築。こうした建物が多く目につきます。
人が住んでいるのかよく分からない、空き家っぽい感じの住宅ばかり。
落雷注意の札が貼ってありました。
猫がいました。
道路の真ん中で思いっきり寝転んでいましたが、轢かれることもないのでしょう。
夕張市の猫人口は少なくとも1匹以上であることを確認!
どこもかしこも廃墟
町中廃墟だらけの夕張市。
こちらは石炭の歴史村というテーマパークですが、現在はほぼ廃墟化しています。
同敷地内の夕張市石炭博物館だけが営業中です(2018年4月にリニューアルオープン)。
⇒ 夕張市石炭博物館
マスコットキャラクターのゆうちゃんがお出迎え。
笑顔がとても眩しいですね。なんだか悲しいですわ。
かつて、アドベンチャー・ファミリーという遊園地がありました。
写真のD51はその残骸です。青空の下、放置されています。
こちらはゆうばり本町キネマ街道。
かつて夕張市が町おこしの一つに選んだのが「映画」でした。
1991年、第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が開催されました。
余談ですが、第4回の映画祭では、クエンティン・タランティーノが招待客として招かれました。
彼の作品「キル・ビル」で栗山千明演じる殺し屋”GOGO夕張”の名前は、本映画祭に由来しているそうです。
ちなみにタランティーノの作品では、私は「イングロリアス・バスターズ」が一番好きですねぇ。
(新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も良かったです。)
顔のない二人。まるで、誰もいない今の夕張市を示唆しているかのようです。
市民ホールです。入口はベニヤ板で塞がれています。
こんなに廃墟感のある市民ホール、ありますかね?
看板は色褪せても不朽の名作。
サイレント夕張市。
夕張小学校です。
2011年、夕張市内の6つの小学校が1校に統合されるのを機に、閉校となりました。
自動車教習所の廃墟です。
めちゃくちゃ変形しています。
豪雪地帯の廃墟は、雪の重みで朽ちるのが早い説ありますね。
在りし日のJR夕張駅。
2019年4月、夕張支線廃止に伴い、廃止されました。
(この写真は、現役時のものです。)
おまけ:三菱大夕張鉄道保存車両(南大夕張駅跡)
かつて、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線という鉄道路線がありました。
営業キロ17.2kmの路線により、清水沢駅と大夕張炭山駅が結ばれていました。
石炭産業の衰退に伴い、1987年に廃止されました。
当時、実際に使用されていた客車、ラッセル車、石炭車が、かつての南大夕張駅跡地に保存展示されています。
時代を感じさせるデザイン。
かわいくて好きだな。
ホームに上ってみました。
豪雪地帯をずんずん進む、ラッセル車の力強いフォルムがお出迎え。
今にも走り出しそうな気配がむんむんです。
客車。なかなかきれいな状態です。
手入れが行き届いている模様。
雨風しのげる休憩スペースがありました。
意外と居心地良いかも。
三菱大夕張鉄道保存会からのメッセージ。
こうして内部まで見学させてもらえるのは嬉しいですね。
招き猫氏よ、夕張の地に福を招き入れておくれ。
さて……そろそろ太陽が落ちます。夕張の地を後にしましょう。
以上、夕張探訪でした。いかがでしたでしょうか。
街並みの写真と共に、夕張市の栄枯盛衰を振り返りました。
石炭産業の衰退後、生き残ろうともがき続けた夕張市の姿がそこにはありました。
令和の時代、北の大地の寂れ果てた町に再び春は訪れるのでしょうか。
歩き回ったのはこの辺りです。
2~3km北上すると、石炭の歴史村や石炭博物館があります。
おまけで紹介した南大夕張駅跡地は、夕張市街から約17km離れた場所にあります。
車で約20分です。
また夕張市には、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地として有名な幸福の黄色いハンカチ想い出ひろばがあります。
なお、記事中でいくつか廃墟をさらっと紹介していますが、内部の写真もそこそこ撮っています。
需要がありそうなら、アップしたいと思います。乞うご期待。
(訪問日:2016年10月)