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【葦原海】両足を失った女の子の生活を漫画にしてみた(マンガでわかる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

 

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 【葦原海】両足を失った女の子の生活を漫画にしてみた(マンガでわかる)@アシタノワダイ

みゅう♡足は姫にあげた

 私が両足を切断した理由。

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説明

みなさん初めまして✨葦原海(あしはらみゅう)です💖

普段は車椅子ユーザーでモデルをしています😊
皆さんにこの活動をさらに知っていただきたくて
新しくYouTubeチャンネルを立ち上げました💗

可愛い・楽しいを共有し
さらに車椅子ユーザー視点も見ていただけると嬉しいです✨

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よろしくお願いいたします✨🧜‍♀️

#みゅう
#葦原海

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葦原海(アシハラ ミュウ) Episode1:転校、いじめ、変わっていく環境で見つけた揺るぎない夢

 作ることが好きで、人と同じはイヤ。そして、やりたいと思ったことは絶対に諦めない。

 

私をひとことで表すとそんな感じかな。

 

幼稚園のときに、自分の夢を絵にする時間があって、それから将来どんなことして生きようかな、なんてことをぼんやりと考えていた。やりたいことがいっぱいあって、早く大人になりたかった。

 

お父さんはホテルで働いていて、転勤が多かった。保育園を卒園する前に神奈川から名古屋に引っ越した。小学4年生のときにまた転勤が決まり、私は4年間通い続けた小学校を転校することに。
引っ越しすることを聞かされた私は、すごく悲しくて、寂しくて、泣いて嫌がった。

 

せっかくできた友達ともう会えないなんてイヤ!なんで引っ越さなきゃいけないの……?

 

子供の私がどんなに嫌がったところで、お父さんの転勤がなくなるわけじゃない。私は名古屋を離れ千葉の小学校に転校した。

 

途中から教室に入ってきた名古屋弁の女の子は、そこにいるみんなとは違う。みんなと違う私は、いじめの格好の標的になった。
もちろん嫌だった。けれど、それを理由に不登校になることはなかった。友達と遊ぶのは楽しかったし、何より私は皆勤賞が欲しかった。皆勤賞が欲しいって目的があったから、いじめられても絶対に学校を休まなかった。

 

環境の変化もあって、遊ぶ場所も変わった。友達の家や駄菓子屋、公園で遊んでいたのが、ショッピングモールや映画館に行くように。小学5年生で、千葉から東京に行くこともあった。
もし名古屋に住んでいたら、こんなにアクティブにはならなかったかも。
時間にルーズなとこがあって、門限を過ぎて夜遅くまで家を閉め出されることも。小3からファッション雑誌を読むようになって、メイクやおしゃれに目覚め始めた。

 

私の夢は、水族館の飼育員になってベルーガ(シロイルカ)のお世話をすること。小さいころから、絶対になるんだと決めていた。

 

ある日、ベルーガのタッチ体験の抽選に当たって、母方のおばあちゃんと一緒に八景島シーパラダイスに行くことに。
憧れのベルーガに間近で会えるんだ!私は心が踊った。

 

でも、実際に行ってみると想像していたものとは全然違った。

 

イルカショーのステージには潮や生き物のにおいが充満している。海の生き物が飼育されてるんだから当然のことなんだけど、私はこういうにおいが人一倍苦手だった(どのくらい苦手かというとスーパーの海鮮コーナーは絶対に避けて通るほど……)。餌やりも生魚の感触が生々しくて……。

 

「あ、私にはこれ、無理だ……」

 

私はそう直感した。こんなはずじゃなかったのに。絶対に水族館の飼育員になってベルーガのお世話をする!って決めてたのに……。私の将来の目標は、あまりにあっけなく消え去ってしまった。

 

それでも、私はすぐに新しい夢を見つける。
千葉に引っ越してから方言が原因でいじめられていた私は、標準語を勉強するためにテレビドラマをよく観ていた。
小学5年生の年末。特番で流れたドラマのメイキング映像の中で、部屋のセットを組み替えているスタッフに目がいった。

 

 「これってなんの仕事なんだろ?」

 

自分で調べてみて、大道具のスタッフっていう仕事があることを知った。

 

大道具の人たちがセットを変えると、同じ空間が全く別の世界になる。リビングがオフィスに。カフェが道端に。

 

こんな仕事があるんだ……!大道具のスタッフという存在を知って、私の新しい夢は決まった。

 

「私、テレビの大道具になりたい!」

 

絵を描いたり、ネイルを塗ったり、お菓子を作ったり、私はものづくりや細かい作業が大好き。
でも、これはあくまで趣味。仕事にしたら、きっと楽しくなくなっちゃう。そんなふうに考えていた私だけど、大道具の仕事は、私に絶対合ってると直感した。

 

体力が必要とか、夜遅くまで働かなきゃいけないとか、男の人が多い現場とか、そういう細かいことはわからなかったけれど、とにかく私は絶対に大道具のスタッフになる!そう決意した。

 

お父さんが転職した関係で引っ越し、私は中1の秋に再び転校することに。

 

新しい学校でも、私は奇異の目で見られた。私のことを珍しがって、隣のクラスの生徒が教室を覗きに来た。ほとんどの生徒が同じ小学校の出身で、そうじゃない私はいじめられた。それでも2年のクラス替えがきっかけでいじめは減って、だいぶ過ごしやすくなった。

 

中学になると親と一緒にいる時間が減って、友達と遠出することも増えた。よく東京やテーマパークに遊びにいった。メイクは濃くなってハイヒールはマスト。とにかく大人びたものが好き。都会でナンパされたり、塾帰りにキャバクラのキャッチに誘われることもあった(21歳と間違われた。私まだ15歳なのに!)。

 

好き嫌いがはっきりしていて、やりたくないと思ったことには全然力が出なかった。だから周りに合わせたり、妥協したりすることができない。自分を押し殺して生きてても意味ないし、自分を貫き通した方が、本当に気が合う人が周りに集まるから。自分って自己チューかなって思うけど、間違ってるとは思わない。

 

端から見れば荒れている私だけど、学校は1回も休まず皆勤賞。テスト前はちゃんと勉強するし、内申点のためにノートもしっかりとる。風景画が得意で、春の写生大会ではいつも賞をとっていた。素行は悪いけどやることはやってる。先生にとっては、1番めんどくさいタイプかも。

 

学業をちゃんとやったのは、夢をかなえるため。
私の志望校は美術系。美術の成績が3年間ずっと高くて、美術関係の賞をもっていないと入れないようなところだけど、私はそれを全部クリアした。美術系の私立校に行って、テレビ業界に強い専門学校で勉強して、テレビ局に就職して大道具のスタッフになる。夢をかなえるために必要なことだったから、勉強はちっとも苦じゃなかった。

 

でも、最大の難関は両親だった。

 

「専門学校に行く気なら、高校は公立でもいいじゃないか」

 

それがお父さんとお母さんの考えだった。私立は学費だけじゃなく、制服や鞄とか、必要なものをそろえるのにすごくお金がかかる。妹もいることを考えると、金銭的な負担が問題だった。

 

私は絶対この学校に行く!そう決めていた私は、両親と揉めに揉めた。

 

校長先生と担任と両親と私の5人で出願ギリギリまで何度も面談したものの、結局は公立高校に行くことに。もし大道具の仕事に就くのが無理だったときのために、専門技能を身につけておこう、というのが理由だった。中学の卒業文集にはもちろん「大道具になる」と書いた。

 

私が入った高校は女の子が極端に少なくて、私のクラスには3人しかいない。しかもみんな毛色が違って、あまり絡むことはなかった。部活には入らず、バイトをしたり、生徒会に入ったり、彼氏と遊んだりしながら、資格を取るために勉強に打ち込んだ。

 

私は、夢に向かって着々と進んでいた。

 

掲載日:2020年03月19日(木)

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