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【日本の歴史】日本最高!日本人であることを誇りに思います!@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

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ポイント① 日本は世界一歴史が長い国

ポイント② 日本はトップが変わらない奇跡的な国

ポイント③ 日本では天皇は次元を超えた別格の存在

ポイント④ 日本は企業の創業年数も世界最古

 

日本は建国何年目!?世界最古の王朝は意外にもあの国!

日本は建国何年目ですか?

 

アラフォーになった僕の同級生でも、下手すると50代の先輩方でも答えられない人が多すぎます。

 

これから東京オリンピックを控え、たくさんの外国人が日本に来た時に

「わー日本て素晴らしい国だね!まったくエキサイティングだよ。」

「ところで日本は建国何年目なんだい?」

 

答えられますか!?

 

 

または子供が天皇陛下のご公務をテレビで見ている時に、

「ねぇねぇお父さん(お母さん)!」

「日本の天皇家ってどれくらい長く続いているの!?」

 

答えられますか!?

 

 

すごくシンプルな質問なのに答えられない日本人。でも実はものすごい歴史があるのです。そして、なぜ日本人はこんなシンプルな質問に答えられなくなったのか、それにも理由があったのです!

 

日本は建国何年目!?

日本は2021年現在 建国2681年目です。

我々日本人は明治時代以降、西暦を使うようになりました。それ以前は皇紀です。つまり、今でいうところの「和暦」ですね。

 

この建国年数はずばり初代天皇が即位した時からを数えています。今上天皇(きんじょうてんのう)陛下は第126代目、初代天皇陛下は神武天皇(じんむてんのう)です。

 

ちなみに天皇陛下の呼び名を「明治天皇」「昭和天皇」などとお呼びするのは崩御(ほうぎょ)、つまりお亡くなりになってからです。これらの呼び名はおくり名なのです。

 

 

和暦はなぜ使わなくなった!?

 

それはずばり戦争に負けたからでしょう。歴史を忘れる為の教育制度が決められ、古事記を読む日本人は激減しました。

そして経済も暦も都市計画も、何もかも欧米基準に変えられてしまいました。

こうなった今、日本の建国はいつだったのか!?どのように建国がなされたのかを知る日本人は少なくなってしまいました。

戦後70年を過ぎ、今では日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らない子供たちが欧米のトレンドを追いかけています。

日本に生まれ、日本で育ったのに、日本の事を知らない。建国を成し遂げた祖先の事を知らないというのは、自分のルーツを失ったも同然です。

ここで少し日本人として、我が国の事を子供たちに、または外国の人たちに説明できるように勉強してみませんか!?

 

日本は世界最古の国家

 

今でも皇室では初代天皇に対するお祀りごとが行われていますので、神話の時代の天皇が「存在した」事を疑う余地はありません。

我が国日本は世界で一番永く続いている国なのです。ギネスにも載っています。

 

中国はどうでしょうか?

三千年とも四千年とも言われますが、政権を取る民族は入れ替わりが激しく、現在の中国を支配している漢民族はせいぜい70年の歴史です。

世界第二位の長寿国家はデンマークで1000年です。

イギリスは950年程度、アメリカは240年程度です。

 

 

古事記・日本書紀が示す日本建国

 

我が国の公式ストーリーは「古事記・日本書紀」です。史実かどうかは関係ありません。

日本建国は古事記と日本書紀が裏付けています。
それ以前は出雲に国家がありました。年表に起こすとこんな感じです。

 

  1. 紀元前200世紀:旧石器時代
  2. 紀元前130世紀〜紀元前5世紀:縄文時代~出雲王朝時代~国譲り
  3. 紀元前660年:初代神武天皇が即位
  4. 紀元前5世紀〜紀元後3世紀頃:弥生時代

 

神武天皇が奈良の橿原で即位した紀元前660年を建国の年としています。古事記はまだ文字がなかった時代の事を書き記した、日本最古の書です。

そして古事記・日本書紀は日本政府の公式見解を示した、日本初の正史なのです。ここに記されたものが史実であるかは重要ではなく、古事記・日本書紀をベースとして天皇制度も祝日も神社も存在しているのです。

日本建国と出雲王国

 

今から2万年前くらいに日本には人間が住んでいた形跡が見つかっています。そして1万5千年くらい前には縄文土器を使っていたという事が発掘によって明らかになっています。

出雲の国がどれくらいの期間「国家」を維持していたのかは詳細に分かる資料はありませんが、出雲の古い伝承を信じるならば紀元前15世紀くらいには、出雲族は日本に住んでいたと言われています。

他国の建国の歴史を振り返ると、必ず侵略や植民地化があり、他国において建国とはすなわち「略奪と支配」という事を表しています。

そしてその国家は短命に終わっています。多くの国が200~300年程度でことごとく滅びているのです。

 

ところが我が国の建国はどうでしょうか!?

 

古事記によると出雲王国を統治していた大国主命は天照大御神から国を譲るように言われると、武力で応戦することなく国譲りを決断します。

また、天照大御神も戦に秀でた武神「武御雷(たけみかづち)」を派遣しましたが、その武御雷は武力を使わず「説得」をしています。

我が国は「話し合い」によって成立したのです。

そしてこんな神話は世界中探してもありません。

これが私たち日本人の誇りとすべき価値観なのです。

 

日本がこれだけ永く続いてきた理由はなんでしょうか?これだけ永く続いてきた国の国民が、日本の伝統文化や神話や神社の事を忘れてしまっていいのでしょうか!?

 

他国の首脳や有名人がなぜ日本を訪れるのか?その理由が分かって来ましたでしょうか!?

世界の国々が「先人の知恵」として期待している「日本人的な価値観」を、どうか失わずにいたいものです。

そして、日本人として恥ずかしくない生き方をし、子供たちが「日本に生まれて良かった」と思える社会にしていきたいですね。

 

 

世界に誇れる日本のこと

この記事を読んでいただいた方は、日本ってどんな国だっけ?という事を知りたいんですよね?

もしかしてお子さんに教えてあげるための準備作業だったりしますか?もしくは外国の方に説明するためだったり、自分のルーツを探していたり。そんな状況でしょうか?

すごく共感します!

そんなあなたのために、僕が調べた「世界に誇れる日本のこと」をご紹介しますね!

日本語ってすごい!

あらゆる国の文化を吸収し、日本流にアレンジしてしまう日本人。その柔軟さは言葉の巧みさに理由があるのです。そしてこの日本語というのは、外国の方にとっては複雑で、日本文化を理解しないと話すことができないのです。

実はこの日本語の難解さが、国を守ってきたのです!しかし新時代に対応していくには少し努力も必要になってきます。

国歌「君が代」ってすごい!

各国の国家と比べて、日本の国歌というのは圧倒的なすごさがあります!建国間もない国、革命によって成立した国などは自分たちの正当性を示す言葉を歌にしています。

しかし、日本は何と世界平和を歌っているのです!!

そしてその歌は、平安時代よりももっと昔から歌われてきた、1,300年以上流行っているヒットソングだったのです!これだけ永く歌われた歌はないのでは・・・

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「日本ってそんなにすごい国? 」日本史と世界史の2大巨頭が日本特殊論に異を唱える『世界史としての日本史』

日本史と世界史の2大巨頭が初対談!

 

世界史に造詣が深いライフネット生命会長・出口治明氏と、

『日本のいちばん長い日』などで知られる日本近現代史の歴史探偵・半藤一利氏の初対談が実現!

 

 日本人の歴史観をくつがえす世界の見方を伝授します。最近、新聞、テレビなどさまざまなメディアで展開されている日本特殊論。日本のなかに自画自賛の空気が広がっている状況に違和感を覚えるというふたりは、世界史のなかに日本の歴史をきちんと位置づけた場合、そんなに日本ってすごい国だったのだろうか? と疑問を投げかける。

 

出口 日本に長く住んでいる外国人の方から聞いた話なのですが、「『自分の母国はこんなにひどいけれど、日本はこんなに素晴らしい』という本を書けば、軽く100万円は稼げる」とか「どこの出版社も飛びついてくる」という冗談がはやっているそうです(笑い)。部分的には事実なのでしょうね。

半藤 事実でしょうね。それにしても情けなくなりますね。

出口 これは戦後日本のアイデンティティが失われたからだと思うのです。

        *      *

半藤 これは私の「四十年史観」という見方なんですけどね。日露戦争の勝利から1945年8月15日の敗戦までが、おおよそ40年なんです。

 それから、GHQの占領が終わった1952年から、強兵を捨てて富国だけを追い求め、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、バブルが崩壊するまでの大国日本の時代までがまた40年。

 最初の40年は軍事大国でいい気になったガチンとやられて、次の40年は経済大国でまたいい気になってやられて、2回ボロ負けして、凹んでいるのが今の日本なんだと思う。

 今「日本は素晴らしい」と言っているのは、2回も負けたという劣等感を払拭するための単なる防御反応ではないでしょうか。

 

 出口氏はまた、2016年1月に「『全世界史講義』Ⅰ、Ⅱを上梓したところ、読者から「日本の記述が少ない」と指摘されたことがあるそう。

 

出口 もちろん、南北に長くて、美しい自然があって、海の幸や山の幸が豊かで、素晴らしい国だと思いますが、少なくとも最先端の地域ではなかったといわざるをえない。しかし、特産品を何ももっていなかったおかげで、長い間、侵略を受けずにすんでいたとも言えるわけです。世界のなかでは田舎だったから、長い間安定してみんなが普通に暮らしていたのです。

 

 なぜ日本は戦争の歴史から目を背けるのか?

 日本が負けた真の理由は?

 日本もかつてはISと同じことをやっていた?

 戦後、日本人はずっと無教養だった。

 

 世界史のなかから、世界における日本の地位や立場を正しく理解しなければ、日本はかつてのように周回遅れの国になる。

 世界をきちんとみてまわれば、これから何をすべきかみえてくる!

 今こそ、世界から学ぶべきとき!

 現代に必要な教養に触れる一冊。

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なぜ日本の天皇は125代も続いてきたのか

織田信長もGHQも倒そうとしなかった

天皇号の始まりは、飛鳥時代(=古墳時代終末期)です。672年の壬申の乱に勝利した大海人皇子が、従来の「大王」にかわり天武「天皇」と称し即位しました。大王は、ヤマト政権内の「王」である各豪族のリーダー的存在だったのに対し、天皇はその次元を超えた“別格の存在”です。

当時の天武天皇や、妻の持統天皇は強大な権力者で、皇子(親王)たちが補佐をし、自ら政治を執り行っていました(=皇親政治)。

奈良時代になると、天皇の下で「藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川」と、政権が目まぐるしく入れ替わり、最終的には藤原氏が最有力となります。しかし、あくまでもトップは天皇で、地位や権威は安泰でした。

平安時代に少し様子が変わります。858年、清和天皇が9歳で即位すると、母方の祖父である藤原良房が、幼少の天皇の政務を代行する「摂政」に就任しました。そして良房の養子基経は、884年に光孝天皇が55歳で就任すると、成人後の天皇を補佐する「関白」に初めて就任。これが「摂関政治」の始まりです。

天皇が処世術として長けていたのは、摂関政治が始まると、母方の親戚(=外戚)である藤原氏に、政務だけを任せた点です。形式的に権威は保った状態のままですから、悪い話ではありません。

一方、藤原氏も天皇を排除して名実ともにトップに立とうとは考えませんでした。圧倒的な権威(金メダル)を持つ天皇の外戚として、政務を代行・補佐しているからこそ摂政や関白に価値があり、転じて自らの権威付け(銀メダル)もできます。天皇の価値をあえて下げ、貴族の分際で暫定トップに立つことには、メリットがなかったのです。このようなスタンスで、11世紀前半の平安時代後期には、藤原道長・頼通親子により摂関政治は全盛期を迎えます。

このように、変化する政治状況を巧みに利用しながら、古代の天皇は自らの地位や権威をキープし続けたのです。

「摂関政治」「院政」と天皇

さて、平安時代末期、中世に突入すると、もと天皇により「院政」が始まります。外戚(=母方の父や伯父・叔父)として藤原氏の摂政・関白もいるのですが、父や祖父が皇位を退いたあとも新天皇の後ろ盾となり、政務をみることが常態化しました。

国民的アニメ『サザエさん』を例に、摂関政治と院政を説明してみましょう。

フグ田家のタラちゃんが天皇の場合、同居する磯野家の波平やカツオ(=母方の祖父や叔父)が摂政や関白を務めるのが摂関政治。磯野家が外戚の藤原氏にあたるわけです。一方の院政は、フグ田家すなわち皇室内の話です。もと天皇のマスオさんが新天皇のタラちゃんを擁し上皇として院政を敷くというイメージです。

院政は、新天皇に圧倒的な権威(金メダル)を引き継ぐ際、もと天皇がメダルを首にかけてあげ、そのまま抱っこしている感じ。藤原氏から反発を買うことはありませんでした。なぜなら、摂政・関白という地位(銀メダル)を取り上げなかったからです。貴族ナンバーワンという立場は保障されています。

1086年、白河天皇が8歳の子(堀河天皇)に皇位を譲り、上皇(太上天皇のち出家して法皇)となったのが院政の初めです。この後、鳥羽上皇や後白河上皇、後鳥羽上皇などが院政を続けます。

中世に院政が行われている間(後醍醐天皇の親政など例外はありますが)、鎌倉幕府や室町幕府といった武家政権が誕生します。幕府は朝廷より軍事的には強大なパワーをもち、実質的に全国を支配していたわけですが、天皇や上皇にとって代わろう、排除しようとはしませんでした。

源頼朝にしても足利尊氏にしても、朝廷から賜った「征夷大将軍」という地位(銅メダル)で満足していました。なぜなら、権威(金メダルや銀メダル)を持つ朝廷から将軍に任命されることに価値があったからです。新興勢力である武家は自らを裏付ける伝統的な権威がなく、軍事力だけで政権は長続きしないことを知っていたのです。

このように朝廷の天皇(上皇)は、軍事力や経済力で上回る幕府の将軍に対し、ある程度の権威を承認するという方法で、自らの地位や権威を維持するようになったのです。クレバーな処世術といえるでしょう。

戦乱期を経た近世の江戸時代も、基本的なスタンスは同じです。江戸幕府は圧倒的に強い存在でしたが、天皇は、政権を将軍に委任する伝統的権威の象徴として生き残りました。幕末の大政奉還も、「幕府の将軍が朝廷の天皇から預かった政権をお返しする」という構図ですね。

朝廷の天皇は、その時点で最も強い勢力を持つ人物を積極的に承認することで権威を保ち続け、生き延びてきました。これは相対する勢力と直接戦って、やがて滅びていく運命をたどったヨーロッパの王朝とは、大きく異なる点なのです。

基本的に天皇が率いる朝廷は処世術に長けていて、幕府と持ちつ持たれつの関係をキープしながら単一王朝を維持してきたといえるでしょう。

天皇とは日本人にとってどんな存在か?

巨大な経済力・軍事力をもつ江戸幕府は、その気になれば朝廷を滅ぼすこともできたはずです。なぜ、そうしなかったのか。すでにおわかりでしょう。

ここまで述べてきたように、朝廷の天皇と有力な権力者は、持ちつ持たれつの関係を維持してきました。朝廷は時の権力を承認することで利用し、一方の権力者は天皇の権威を借りることで統一を進めました。権力者は天皇に権威づけてもらわなければ国をまとめ、政権を維持することができなかったのです。

それゆえ、朝廷の天皇勢力が当時の権力者に本気で逆らった「承久の乱」や「建武の新政」の際も、朝廷の天皇そのものを滅ぼすという発想はありませんでした。

これは細かく歴史を振り返ってみても、終始一貫した日本独自の国民性といえます。

たとえば、飛鳥時代の蘇我馬子。当時は相当な権力者でしたが、本人が大王になろうとまではしませんでした。

平安時代の藤原道長も平清盛もそう。2人とも、自分の娘を天皇に嫁がせて外戚となり、権威を利用しただけです。

 

室町幕府の3代将軍・足利義満も、天下統一直前だった織田信長も、天皇になろうとか排斥しようと思ったことはありません。

天下を統一した豊臣秀吉も、朝廷を滅ぼすだけの力を持っていましたが、あえて関白に就任しています。

天皇の補佐をすることで、農村の足軽出身という出自の低さをリカバーしようとしました。

 

日本史上最強である徳川家康の一族でさえも、朝廷の天皇から代々征夷大将軍・内大臣に任命される道を選び、朝廷を潰そうとはしませんでした。明治時代以降も、どんなにいいポジションにいても、誰一人として天皇に成り代わろうと考えた人物はいないのです。

 

そういう意味では、太平洋戦争後、GHQのマッカーサーが天皇制を維持した判断は正しかったといえます。

 

天皇や国のために神風特攻隊や人間魚雷として命を投げ出すような国民ですから、天皇制を廃止してしまったら何をするかわからないし、日本はまとまらないと考えた背景には、これだけの歴史があったのです。

 

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世界の長寿企業ランキング、創業100年、200年の企業数で日本が1位

世界の長寿企業ランキング、創業100年、200年の企業数で日本が1位

日本企業は長生き、長寿といわれる。日経BPコンサルティング・周年事業ラボでは、世界の企業の創業年数が100年以上、200年以上の企業数を国別に調査した。日本は共に企業数で世界1位となった。世界の創業100年以上の企業のうち、半数近くが日本の企業という結果だ。さらに創業200年以上の企業では、その比率は65%まで上がる。

 

創業100年企業の国別ランキング

創業から100年以上を経過した企業の数を国別に調査した。世界で最も100年企業が多いのは日本で3万3076社。世界の創業100年以上の企業の総数、8万66社の41.3%を占めた。2位は米国の1万9497社(24.4%)、3位にスウェーデンの1万3997社(17.5%)が続いた(図1)。さらに創業200年まで絞ると1位は変わらず日本の1340社だが、比率は2051社中65.0%まで上昇する。2位は同じく米国の239社(11.6%)、3位はドイツの201社(9.8%)、4位は英国の83社(4.0%)となった。創業100年の順位で13位(327社)だったロシアは、創業200年になると41社(2.0%)で5位と大幅に順位を上げる。

図1 創業100年以上の企業数と比率

創業100年以上の企業数と比率

図2 創業200年以上の企業数と比率

図2 創業200年以上の企業数と比率

※企業特定の条件は以下の通り。企業活動ステータス=活動中。法人形態=事業所、公的機関、外国企業、宗教法人、小中高校を除く。所在地、売上高(年商100万円以上)情報が収録されている企業
※記載する創業年数は、企業および団体の設立年から業歴を算出
※公表除外国(データ信ぴょう性が疑われる国)=デンマーク、ケニア、コロンビア、南アフリカ、北マケドニア
※出典=帝国データバンク、ビューロー・ヴァン・ダイク社のorbisの企業情報(2019年10月調査)を基に作成

 

長寿企業になりやすい製造業。サービス業は長生きが困難

100年企業にはどんな特徴があるだろうか。業種で分類した結果が次の通りだ(図3)。

図3 創業100年以上業種別比率(日本)

図3 創業100年以上業種別比率(日本)

 

100年企業で最も多かった業種は製造業の26.0%。これに小売業(23.5%)、卸業(22.3%)が続く。日本の企業の全体の割合と比較しても、その比率が高いのが分かる。1位の製造業は、全体より10ポイント程度高く、2位の小売業に至っては13ポイント程度高くダブルスコアに達した。3位の卸業も全体比率より高い。

4位以降は、全体比率と100年企業の比率が逆転する。建設業は全体では16.7%だが、100年企業は7.4%と比率は下がる。5位のサービス業は全体では最も比率の高い21.9%だが、100年企業は5.2%にとどまる。16.7ポイントの差異は、全業種の中で最も大きい。サービス業は顧客のニーズに大きく左右されやすいのに加え、業態として比較的新しいのが理由だと考えられる。

また、比率のみに着目する「100年企業出現率」を見てみると、最も出現率が高かったのは、小売業の5.30%だった。2位は教育サービス業の4.24%、3位は宿泊・飲食業の3.83%だった。

さらに創業200年以上まで絞ると、出現率の順位は変わる。1位は宿泊・飲食業(0.680%)、2位は製造業(0.246%)、3位が小売業(0.173%)となる。出現率自体は数字として大きくないものの、比率的には宿泊・飲食業が他を圧倒する結果となった。

図4 100年企業出現率(日本)

図4 100年企業出現率(日本)

図5 200年企業出現率(日本)

図5 200年企業出現率(日本)

 

売上高500億円を超えると100年企業出現率は16.8%に

それでは売上規模で企業の長生き度合いは変わってくるだろうか。1億円未満から500億円以上の5段階に分けて、主要国で比較してみた。結果はこのようになった(図6)。

図6 売上規模別100年企業比率(主要国比較)

図6 売上規模別100年企業比率(主要国比較)

 

10億円以下の比率で見ると、日本が80.7%で最も多い。最も低いのが英国で32.7%だ。比率構成が近いのは日本・米国・イタリアで、1億円未満が最も高い比率となり、売上高が上がるほど比率は低下する。一方英国は、10億~100億円未満が約半数のボリュームゾーンとなる。ドイツはその中間タイプで、1億~10億円未満に40.9%が集まる。

これを出現率で算出すると、すべての国で500億円以上のゾーンが最も比率が高くなる。その中でも最も数字が高いのが日本で、出現率は16.8%に上る。2位のドイツの12.3%に4.5ポイント差をつける。日本と売上高比率のタイプの近い米国とは、9.0ポイントも差がついた。日本企業は500億を超える大企業になると、ことさらBCP対策への意識が高く、経営資源・リソースをリスク対策に割けるのも、数字が高い理由の1つと考えられる。

図7 売上規模別100年企業出現率(主要国比較)

図7 売上規模別100年企業出現率(主要国比較)

 

日本で最も創業が古い上場企業は松井建設

ここで実際に、長寿企業をリストアップしてみよう。リストは調査結果の中から上場企業を抜粋した。最も創業が古い企業は松井建設。1586年創業で2020年現在、創業434年となる。2位は創業1590年の住友金属鉱山、1600年代創業では、1602年の養命酒製造、織物卸の小津産業(1603年)、商社のユアサ商事(1666年)が続いた(図8)。

図8 創業の古い上場企業(日本)

図8 創業の古い上場企業(日本)


同様に、各国の創業の古い上場企業は次の通りとなった。2番目に100年企業の多い米国では、YORK WATER COMPANY(上水道業およびかんがい事業)が1816年創業で米国内1位。3番目に多いスウェーデンの1位は、1609年創業のHOLMEN(製紙業)。

4番目のドイツ内1位は、車両用部品製造のSHW。1365年創業で年数は655年を数え、世界の上場企業で最も長寿企業となっている。5番目の英国で最も創業が古いのが銀行のBARCLAYS(1690年創業)。5番目のイタリアも銀行が1位で、BANCA MONTE DEI PASCHI DI SIENAの1472年となった。

図9 100年企業数上位国の創業の古い上場企業(世界)

図9 100年企業数上位国の創業の古い上場企業(世界)

 

日本は長生き企業が多い

調査の結果、日本企業は長生き、長寿なのが数字の上で明らかになった。その内容をまとめると以下の通り。

●創業100年以上の企業は3万3076社で世界第1位。世界の100年企業全体に占める割合は41.3%で、2位の米国の24.4%に17ポイントの差をつけた

●創業200年になるとその傾向はさらに高まり、企業数は1340社で日本がトップ。世界の創業200年を超える企業全体に占める割合は65%。2位の米国の11.6%に53ポイントもの差となった

●100年企業出現率の最も高い業種は小売業で5.3%だが、創業200年以上になると宿泊・飲食業が0.68%でトップとなり、小売業は3位に後退する

●売上規模別に見ると、100年企業は1億円未満の層が最も多く41.7%だが、100年企業出現率で見ると1.8%。最も出現率が高いのは、500億円以上の16.8%となる

企業の形を保ちながら業務を続けられるのは、ほんの一握り、選ばれし企業だ。多くは災害や戦禍、あるいは経済の波にのみ込まれ、退場を余儀なくされてきた。経営者であれば、あるいはその企業に勤務する従業員であれば、その企業がずっと続いてほしいと願うものだ。長く続く、強い企業の明確な条件は一概には語れないが、少なくとも日本の企業は、世界の中でそれを最も体現すると調査結果は示している。

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君が代

国歌『君が代』
 

 今から千数十年ほど前、延喜五年に出た歌集「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。その後、新撰和歌集にも、和漢朗詠集にも、その他数々の歌集にも載せられました。
 また、神様のお祭りにも、仏様の供養にも、酒宴の席でも、そして、盲目の乙女の物乞いにも歌われました。

 これに曲がつけられたのは、明治2年10月ごろ、当時横浜の英国公使館を護衛するために、日本に来ていたイギリス歩兵隊の軍楽長、ジョン・ウィリアム・フェントンが言い出したからということです。
 彼は、「儀礼音楽が必要だから、何かふさわしい曲を選んだらどうでしょうか。」
と、当時薩摩藩の大山巌に進言し、それに基づいて、大山が数人と相談して、平素自分が、愛唱している琵琶歌の「蓬莱山」に引用されている「君が代」を選び、その作曲をフェントンに頼んだということとなっています。

 しかし、その曲は、日本人の音感にふさわしくないということになりました。1880年(明治13年)、宮内省雅樂課に委嘱し、課員数名の中から奥好義の作品が選ばれ、一等伶人(雅楽を奏する人)の林広守が補作して、発表されたのがこの曲です。これに洋楽の和声をつけたのは、当時教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケ
ルトです。

 この曲については、次のようなエピソードがあります。日本の代表的作曲家山田耕作氏は、若い頃ドイツに留学していました。その頃、ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。その結果第一位に選ばれたのが日本の「君が代」でした。

2、歌詞について

(1)「さざれ石の巌となりて」について

 「さざれ石というのは、細かい石のことです。さざれ石が固結した岩石を礫(れき)岩といいます。つまり、さざれ石は巌になるのです。その順序はこうです。

 日本列島やアルプスやヒマラヤ山脈などのできかたをみると、大陸の周辺に地向斜という細長い海ができる。そこに大陸から運ばれてきた小さな石(さざれ石)が堆積を続け何千万年という長い間に、圧力で固結して岩石となる。そこが、やがて地殻変動で、隆起して山脈となる。・・・という一連の現象が、地質学の造山論の骨子であります。

地質学発達以前にできた「君が代」が科学的にみて、現代の地質学の理論にピタリと合っているのは不思議なくらいで、歌詞には非科学的なところは少しもないというのが地質学者の見解です。

(2)「君が代は、千代に八千代に」について

 これは、「天皇の御代がいついつまでも」と言うような意味です。現代は、民主主義の時代であるのに、天皇を讃える歌を歌うのは矛盾しているという考えもありますが、それは、表面的な解釈と申せましょう。

 現憲法の第一条には、
天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である
とあります。象徴という言葉を考えてみましょう。「鳩は、平和の象徴である。」というように象徴とは、目に見えないもの表現しにくいものを、目に見えるような形に表したものです。

 天皇は、日本国民が一つに統合されるシンボルということになっています。したがって、「君が代は、千代に八千代に・・・」の意味は、現憲法に照らしてみても、「日本及び日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように
という意味になります。ですから、民主主義とは、少しも矛盾しないことになります。
 
 イギリスの国歌は、世界で最も古く有名なものですが、労働党内閣ができても、「神よ、守れ、女王を」と歌っています。それで、民主主義と少しも矛盾しないことを、イギリス人は知っているのです。

(3)「歌詞が小さい子供にはわからない」ということについて

 小学校の校歌でも、一年生や二年生にも全部意味が分かって歌えるような歌でなければならないということになると、ある意味では、非常に幼稚な歌にならざるを得ません。だから、必ずしも歌というものは、全員が意味を完全に理解してから歌わなくてはならないというものではなく、歌っていくうちに、だんだんその意味が分かってくるというものでよいのでありましょう。国歌は童謡ではないのですから、ただ分かりやすい歌詞というだけでは充分ではありません。
 
 日本を代表する歌の歌詞として、日本文化の中から生まれたもの、古くから人々に親しまれ、しかも、格調の高いものであることが望ましいのでしょう。その意味でも、この歌は、ふさわしいと言えるでしょう。

3,「君が代」と戦争について

 どこの国でも、戦争のときは国歌を歌い、その軍隊は、国旗を掲げて戦争をします。ですから、どこの国の国歌も国旗も、みな戦争につながることになり、特に日本の国だけ戦争の時、国歌を歌ったというわけではありません。戦争というものは、国の総力を尽くしてするものですから、どこの国でも国民の力を結集するために国歌を歌います。

 また、当然のことですが、「君が代」を歌えば、日本が再び軍国主義化するとか、戦争につながるという議論は成り立ちません。 日本以外の国でも戦争をしています。それどころか、日本は世界の中でも戦争の少ない国なのです。

 竹山道雄氏の「剣と十字架」によれば、1480年(文明12年-室町時代)から、1941年の(昭16年)までの戦争の回数は、次のようになっています。
  イギリス 78回、 フランス 71回、  ドイツ 23回、  日本 9回 

 これによっても、日本は平和の続いた国だということが分かると思います。 戦前、日本が軍国主義になり戦争になった原因は、平和を祈っておられる天皇陛下の御心を思うことのできない一部の政治家や軍人、また、自分の利益のみを求める国民の一部に原因があったといえるでしょう。

 天皇陛下が、平和を願っておられたことは、陛下の御製を詠むとよく分かります。アメリカとの開戦前、陛下のお気持ち尋ねられた時、日露戦争前に明治天皇が詠まれた御製を繰り返し詠まれました。その御製とは、次のような和歌です。
 
 四方の海、みなはらから(同胞)と思う世に、など波風の立ちさわぐらむ

(海をへだてた我が国のまわりの国々は、皆兄弟だと思っているののに、どうして、互いに敵として,憎み合い、戦争をしょうとさわぐのだろうか。)


4,国歌としての「君が代」について

 フランスの国歌は、初めから国歌として作られたものでも、定められたものでもないのです。だんだん多くの人に用いられていくうちに定まったものです。

 これは、一例にすぎませんが、我が国の「君が代」の場合は、一つの法令が発せられているから国歌であるとか、その法令が見当たらないから国歌でないなどと議論してことを決すべき性質のものではないでしょう。

 幾百年にわたって、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた「君が代」の和歌が、興るべき時に際会して、稀世のメロディを得、世界に認められる儀礼曲となったものです。一千年を越す歴史の所産なのです。洋楽となってからも90年用いられて、今日に至ったのです。

5,日本の国歌「君が代」と外国の国歌

 外国の国歌と比べてみましょう。外国の国歌は、戦争や血や敵などという戦闘的なイメージが多いのです。それに比べて、日本の国歌は、なんと平和な歌でしょう。

 初代の天皇陛下より、代々の天皇陛下は、日本国民を愛し、その幸せと日本国の発展とを祈って来られました。それに対し、国民は、天皇様を尊敬し、お慕い申し上げてきました。だからこそ、2千年以上もの間、この関係は続いてきたのです

       日本国歌                                 

君が代は、千代に八千代に

さざれ石の巌となりて

    こけのむすまで         

参考資料

中国国歌                   アメリカ国歌
                     

立て、奴隷となるな            見よや 朝の薄明かりに
血と肉もて築かむ             たそがれゆく 美空に浮かぶ
よき国 われらが危機せまりぬ      われらが旗 星条旗を

今こそ 戦うときは来ぬ           弾丸降る 戦いの庭に
立て立て 心合わせ敵にあたらん    頭上を高く ひるがえる
進め進め 進めよや            堂々たる星条旗よ
                       
                        おお われらが旗のあるところ
                        自由と勇気共にあり    
  

             「神の子の教育(下)」(日本教文社より)

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