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(漫画)小池百合子へのとんでもない暴露本を漫画にしてみた(マンガで分かる)
カイロ大「小池氏は卒業生」声明の正しい読み解き方 都知事選を前にエジプト軍閥が切った外交カード(1/6) | JBpress(Japan Business Press)
果たして現東京都知事の小池百合子さんは
カイロ大学を首席で卒業したのでしょうか?
そして
スパイなのでしょうか?
小池 百合子
日本の政治家。東京都知事(第20代)
アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身。
テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター
参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)
総務政務次官(細川内閣)
経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)
環境大臣(第5代・第6代・第7代)
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)
防衛大臣(第2代)
自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)
自由民主党国際人材議員連盟会長、都民ファーストの会代表
希望の党代表(初代)などを歴任した。
生い立ち
兵庫県芦屋市に誕生。
父親は小池勇二郎。戦時中に仲小路彰や小島威彦らが設立した思想団体「スメラ学塾」のメンバーとして活動、石油関連の貿易商として戦後に富を得た。
また、政治家への転身を考えていた父親は末次一郎をとても気に入っていた。
1959年、末次の主催する日本健青会でエジプトとの交流事業を行う。
その一環としてアラブ、アフリカ諸国に視察団を送った。
視察団に参加した勇二郎はエジプトのカイロで感動し「自分はここに残って商売がしたい」と言い出した。
結局、周囲に説得させられて帰国するが、小池百合子とエジプトの縁はここにから始まった。
芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を卒業後、1968年に甲南女子高等学校に進学。
在学中は、テニス部、ソフトボール部、ESS部に所属していた。
高校2年の1969年12月、父親の勇二郎は第32回衆議院議員総選挙に、石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選した。
その後、仕事が立ち行かなくなった父親は、1970年にムハンマド・アブドゥル・カーデル・ハーテムが来日すると、日本アラブ協会が主催した歓迎パーティーに出席しハーテムに自分を売り込む。
帰国したハーテムを追いかけ、同協会に所属する国会議員の紹介状を手にエジプトへ向かった。
さらにハーテムの知遇を得た勇二郎は帰国後の同年10月14日、大阪倶楽部で講演を行う。
「中東から日本に入ってくる石油はすべてユダヤ人が経営する企業を経由している。
今回の中東訪問で自分は人脈を築いたので、ユダヤ企業を通さず石油を仕入れられるが、足りないのは自前のタンカーである」と述べて投資を募り、商売を続けた。
1971年3月、甲南女子高校卒業。
同年4月、関西学院大学社会学部に入学。
ほどなくして父親の会社の都合で家族が東京都の六本木に引っ越す。
「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事がきっかけでアラビア語通訳を目指し、同年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。
カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を学んだ。
エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたことがある。
両親は「朝堂院大覚」こと松浦良右の資金援助でカイロ市で日本食レストランを経営するが、父親の会社は小池の留学中に倒産した。
1972年6月、カイロ大学に入学。
1976年10月、同大学文学部社会学科を卒業。
複数の小池の著書によれば「カイロ大学を首席で卒業」と記されている。
来日するエジプトのサダト大統領夫人のジハン・サダトをエスコートするために、同年10月11日、一時帰国。
11月にまたエジプトに戻り、12月に正式に帰国した。
小池百合子のカイロ大学(首席)卒業疑惑問題はたびたびメディアで取り上げられている。
カイロ大学卒業を巡る報道
経歴詐称疑惑
カイロ大学卒業を巡る経歴詐称疑惑は、2016年の東京都知事選挙の際に広く報道。
同年6月30日放映のテレビ番組『情報プレゼンター とくダネ!』が学歴詐称疑惑を扱った際、資料として卒業証書と卒業証明書を担当者に送り、
都知事選の選挙公報に「カイロ大学卒業」と記載した、当選後も東京都庁のウェブサイトの自身のプロフィール欄に「1976年10月 カイロ大学文学部社会学科卒業」と明記した。
2020年東京都知事選挙に立候補を表明後、週刊文春2020年6月4日号に「カイロ大学卒業は嘘」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言」と記事が掲載。卒業証書についても卒業関係書類のロゴやスタンプが異なる点などが指摘されている。
また朝日新聞デジタルは2020年6月9日付で「小池都知事は『カイロ大学を卒業』 大使館が声明文公開」との記事を示した。
都知事選を控えた2020年6月3日、都議会で上田令子議員に卒業証書を見せるよう求められ、更に入学から卒業までの経緯をフスハー(カイロ大では必修科目)で答えるよう求められた際、「これまでも何度も公開をしてきたつもりである」「喋っても理解出来る人はいないだろう」として拒否する態度を取ったことから、「学歴詐称ではないか」との声が上がった。
2020年6月9日、駐日エジプト大使館は、カイロ大学が発表した小池が1976年10月に卒業したことを証明する旨の声明文を、フェイスブックで公開した。
ジャーナリストの山田敏弘がカイロ大学教授のアーデル・アミン・サーレに取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレは「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。
これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。
相当に大変だったのではないか」と話していたという。
一方、小説家でカイロ・アメリカン大(英語版)(カイロ大とは別の米系の大学)大学院修士の黒木亮は小池のアラビア語は、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣とフスハーで話そうとしてしどろもどろになったり、カダフィ大佐訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルのアラビア語で、到底大学教育に耐えられるものではない、また小池は『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったと記述していることから、卒業には最低で5年かかり、早くても1977年となるため1976年10月卒業と記載されている「小池の卒業証書は信用出来ない」と述べている。
また黒木はエジプトはカイロ大学を含むエジプトの国立大学では小池氏が卒業したと称しているサダト大統領の時代(1970~81年)から不正な卒業証書の発行が行われており、小池の卒業証書はムハンマド・アブドゥル・カーデル・ハーテムのコネを利用したものだと主張している。
カイロ大学側の反論
一方、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してPRESIDENT Onlineでは「カイロ大学卒業は本当」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 カイロ大学が詳細証言」と反論記事を掲載。記事では大学に照会し、カイロ大文学部日本語学科の教授から「確かに小池氏は1976年に卒業している。
72年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生の時に同科目をパスしている。これは大学に残されている記録であり、私たちは何度も日本のメディアに、同じ回答をしている」との証言があるとしてる。
また卒業関係書類のスタンプやロゴの疑惑についてもカイロ大学の幹部を務めた経験のある男性の話によると「昔、小池氏が国会議員になる時や閣僚になった時など日本のメディアから問い合わせがあった。念のため大学の記録を調べたが、間違いなく小池氏は76年10月に卒業していた。」と証言した上で「学部や時代によってスタンプやスタイル、サインが違うということだ。
盗難対策などで数年ごとにそれらを変えていることを知らない人間が勝手に間違えていることを言っているのだろう」と指摘している。
他のカイロ大学関係者も「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはあるが、多くの学生に書類を作成するのは大変な作業で、多少異なる点があるのも当たり前」と解説。
自民党衆院議員時代の小池はカイロ大学学長の招きで学生らを前にスピーチし、学長が「卒業生」として紹介していたこともある。
2020年6月8日、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してカイロ大学のモハンマド・エルホシュト学長名は小池都知事は「1976年にカイロ大文学部社会学科を卒業したことを証明する」「卒業証書はカイロ大の正式な手続きにより発行された」「日本のジャーナリストが証書の信ぴょう性に疑義を示したことは「大学と卒業生への名誉毀損(きそん)で看過できない」と声明を出した。
そのうえで「エジプトの法令にのっとり、適切な対応策を講じることを検討している」と警告している。
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