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(漫画)医学部を9浪した娘がモンスター母親を手にかけた事件。裁判官すら同情した話を漫画にしてみた【滋賀県母親事件】

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(漫画)医学部を9浪した娘がモンスター母親を手にかけた事件。裁判官すら同情した話を漫画にしてみた【滋賀県母親事件】

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9浪で医学部受験失敗…31歳女性が母親をメッタ刺しの特殊事情

少年犯罪、不登校、ひきこもり……。日本の子供たちを取り巻く問題の背景に、「教育虐待」があることを知っているだろうか。一見しただけでは事件とは無関係でも、その根っこには親によるスパルタ教育が潜んでいることがあるのだ。

近年起きたスパルタ教育が要因となった重大事件は、2018年3月に滋賀県で発生した「医学部9浪女子、母親バラバラ殺人事件」だろう。まずは、この事件の概要を説明したい。

20歳超えても携帯電話禁止

桐生のぞみは、小学生の頃に両親が別居したことで、母子二人の生活を送っていた。母親は高卒だったが、娘が医者になることを切望して、日夜机に向かわせて勉強を強いた。進学先も、母親が特定の国立大学医学部と決めていた。

のぞみに対する母親のスパルタ教育は常軌を逸したレベルだったが、本人にやる気がない以上、成績は伸びない。医学部受験の結果は、不合格だった。

だが、母親は、娘が不合格になったことを受け入れられなかった。親戚には「合格した」と嘘をついて、のぞみにも口裏を合わすように命じた。そして娘を浪人させて、何が何でも嘘を現実にしようとした。

のぞみは、母親の言いなりになって浪人生活をはじめるが、心がすり減って勉強に身が入らない。医学部受験は、毎年不合格だった。

浪人時代の、母親の過干渉はあまりに異常だ。

20歳を超えた娘に携帯電話を持つことを許さず、入浴中まで監視して、耐えきれなくなって家出をした際は探偵を雇って家に連れ戻した。母親にしてみれば、のぞみは自分の夢を実現する人形にすぎなかったにちがいない。

こうして9浪の末、母親はようやく医学部をあきらめ、娘を滋賀医科大学医学部看護学科へ入学させた。ただ、それには看護師になるのではなく、助産師課程へ移り、助産師になることが条件だった。彼女は、看護師より助産師の方が、「医者に近い」と考えたのかもしれない。

だが、のぞみは入学後の学内での助産師課程への進級試験に落ちてしまう。のぞみは看護師になりたいと言うが、母親はそれを許さず、卒業後は病院に看護師として就職せず、助産師学校を受験するように命じる。しかも、その誓約書まで書かせる始末だった。

〈モンスターを倒した〉

のぞみにしてみれば、30歳になっても自分で何一つ将来のことを決めさせてもらえないのは苦痛でしかなかったはずだ。この時期も母親の過干渉はつづいており、スマートフォンを隠し持っていることが見つかり、母親に破壊された上に、土下座までさせられた。

事件への引き金は、助産師学校の受験に落ちたことだった。母親はのぞみを大声で罵倒した。これが、のぞみの中でたまりにたまっていた感情に火をつけたようだ。

1月9日の夜、のぞみは母親のマッサージをさせられていた。そして母親が眠ったのを見計らって、包丁を取り出して首にめがけて振り下ろしたのだ。母親は複数回にわたって切りつけられたことで死亡した。

のぞみは母親から解放された安堵からか、ツイッターにこう投稿した。

〈モンスターを倒した。これで安心だ〉

そして血だらけの母親の死体の横で、ドラマ『BG~身辺警護人~』を見た後に眠りについた。その後、彼女は母親の遺体をバラバラにして遺棄したが、遺体の一部が発見されたことで事件が明るみに出たのである。

逮捕時、のぞみは31歳、被害者の母親は58歳になっていた。2021年1月、のぞみには懲役10年の刑が下されている――。

この事件にかぎらず、少年事件の取材をしていると、母親による勉強の押し付け、いわゆるスパルタ教育が事件の主因あるいは遠因となっているケースに多数でくわす。

統計が取られてないので、たしかではないが、少年院や少年刑務所でインタビューをするかぎり、2割くらいの家庭に、親によるスパルタ教育、あるいは過干渉が見受けられる。

長らく少年刑務所につとめていた法務教官の言葉だ。

「私も2、3割は、そういう家庭の出身の子供だという印象を持っています。こういう家庭では、少年たちは物心ついた頃から勉強一筋で、口答えは許されず、ほめられることもなく、『なんで100点じゃないんだ』『お兄さんができるのに、なんでお前はできないんだ』などと否定されて育ちます。その中で、どんどん自分を否定するマイナスの気持ちが膨らんでいって、自分で考えたり決めたりすることをあきらめていく。でも、どっかで限界がきて爆発してしまうんです」

子供たちはスパルタ教育によって、ひたすら存在を否定され、自分自身を極度に抑制することを強いられる。つまり、自分自身を抹殺して生きる。これによって、どこかで精神が爆発してしまうのだ。

親への復讐

ただ、それは必ずしも親に対する暴力や殺人という形で表出するわけではない。

私が、『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』(平凡社新書)で紹介した少年院の子供たちの例でいえば、「自己否定感が膨らんだことで、リストカットなど自傷行為をくり返すようになった女の子」「親から逃げるために家出をして売春をするようになった女の子」「薬物や売春によって自己破壊することで、親へ八つ当たり(復讐)をしようとする少年」などがいる。

スパルタ教育が少年犯罪を生み出す詳しいプロセスは、上記の本を読んでいただきたいが、キーになるのが「親からずっと否定的な言葉を浴びせられる」「自己決定権を奪われてあらゆることをあきらめてしまう」といったことだ。ここから、感情爆発、自己破壊、現実逃避といった行為に及び、時としてそれが少年犯罪という形になるのだ。

この構造と似ているのが、「不登校」だ。

不登校は、一般的に教師による体罰、いじめ、ブラック校則によって起こるものと考えられがちだ。また、発達障害などによって周囲と関係性が築けず、不登校になることも少なくない。

ただ、実際にフリースクールなど不登校の現場に足を運び、当事者や家族から家庭の事情を詳しく聞いてみると、その背景に親による厳しい教育があるケースが少なくない。

私自身、これまで東北から沖縄まで数々のフリースクールを取材したが、職員らのおおよその意見をまとめれば、4割~6割が発達障害等の特性の問題であり、2割~3割が親のスパルタ教育、ないしは過干渉だ(その他、多いのがHSP=感受性が強すぎる子だ)。

スパルタ教育が及ぼす悪影響について、あるフリースクールの学校長は次のように述べていた。

「親の期待が大きすぎて、一方的にレールが敷かれ、そこからはみ出すことを許されない。子供は何も考えなくなって従うだけなんですが、それでいい成績がとれて勉強が面白くなればいいけど、反対に成果が出ず本人が嫌になっているのに、無理やり勉強を強いられつづけたりする子が出てきます。こうなれば苦行ですよね。そういう子は、大抵どこかで何もかも嫌になって投げ出してしまう。それが不登校といった形で出てくるのです」

学校や勉強に対する拒絶感が肥大化し、学校に足を運ぶことができなくなるのだ。

児童虐待の4種類

私がインタビューをした仲でも特徴的な中学生の男の子がいる。

彼は親からの期待に押しつぶされ、ある日突然糸が切れたように何かがはじけてしまった。その途端、文字を書くことができなくなったのだ。書道を習わされていて字もきれいだったのに、鉛筆を握り、マス目に合わせて文字を書くことができなくなった。これまで勉強だけを強いられてきたせいで、爆発した時に「書く」という行為さえできなくなったのだろう。そのまま彼は家にこもり、学校へは行っていない。

こうしてみると、親のスパルタ教育が子供を壊すという意味では、少年犯罪も不登校も共通する部分があるといえる。

なぜ、親は子供が壊れるまで勉強を強いるのだろう。

多くの場合、冒頭の事件のケースのように、親が子供をつかって「自己実現」しようとしている。子供の意思とは無関係に、親の理想や思いだけで、子供に耐え切れないほどの課題を押し付けるのだ。それが行きすぎて、子供が押しつぶされる。

問題は、こういう親は社会的には「教育熱心な親」と見なされて、賞賛される傾向にあることだろう。きょうだい3人のうち一人がつぶれても、2人が一流大学へ進めば、「あの親の指導はすごい。優秀な家庭だ」とほめられる。だから、親自身も自分の間違いに気がつかない。それがスパルタ教育をエスカレートさせる。

スパルタ教育が子供を壊すのならば、それは「虐待」と呼ぶべきものだ。「教育虐待」である。

現在、児童虐待の主な種類は、「身体的虐待(体への暴力)」「性的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」「心理的虐待(面前DVや罵倒)」の四つとされている。

だが、虐待の定義が、子供にとって限界以上の苦痛を与えることであるのならば、「教育虐待」も第五の虐待として定義されるべきだろう。冒頭の事件のように、場合によっては、一時保護の対象となるべき案件もあるはずだ。

教育虐待の犠牲者は、少年犯罪、自傷行為、不登校などといった言葉で覆い隠されて、まだまだ実態が明らかになっていない。子供たちの身に起きていることを明らかにした上で、早急な対応策を打ち出すことが求められている。

(文中・肩書敬称略)

9浪で医学部受験失敗…31歳女性が母親をメッタ刺しの特殊事情 | FRIDAYデジタル

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医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態

送検のため大津署を出る桐生のぞみ容疑者(中央)=2018年6月6日午後

 医者になるよう強く要望した母親を殺害し、遺体を損壊、遺棄した長女の裁判があった。9年間の浪人生活を送り、母の異常な干渉で追い詰められていた被告を、判決は「同情の余地がある」と判断した。教育を理由に、親が子どもに無理難題を強いる「教育虐待」が社会問題になっている。教育虐待がエスカレートし、行き着いた悲劇的な結末。親子の間に一体何が起きていたのか。公判では長年にわたる異常な生活状況が浮かび上がった。(共同通信=斉藤彩)

 

 ▽勉強強いられ束縛の日々

 2018年3月、桐生しのぶさん=当時(58)=の切断された遺体が滋賀県内の河川敷などで見つかった。県警は同年6月、大学病院で看護師として働き始めていた31歳の長女のぞみ被告を死体遺棄、損壊容疑で逮捕、9月には殺人容疑で再逮捕した。今年2月に確定した大阪高裁の控訴審判決によると、のぞみ被告は滋賀県守山市内の当時の自宅で、しのぶさんの首を包丁で刺して殺害し、3月10日までの間に遺体をのこぎりなどで切断し捨てた。

家宅捜索が行われた桐生被告の自宅=2018年6月6日、滋賀県守山市

 裁判資料と被告への取材によると、のぞみ被告(34)は一人娘だった。昼夜を問わずメンテナンス関係の仕事をしていた会社員の父は、小学校高学年の頃に社員寮に別居。それ以来、のぞみ被告は母と2人暮らしだった。母はのぞみ被告が幼い頃から、通信教材を買い与え、将来は医師になることを切望した。被告自身も、手塚治虫の漫画「ブラックジャック」に憧れ、外科医の夢を抱いた。しかし中高では成績が伸び悩み、大学受験を控えた高3の頃までに、自身の希望は薄れていた。

 それでも母は願望を曲げず、自宅から通学圏内の国公立大の医学部医学科に進学するよう要求した。のぞみ被告は2005年、現役で国立大の医学部保健学科を受験し、不合格だった。だが母は、親族に対して「合格した」とうそをつき、のぞみ被告にも従うよう求めた。

 のぞみ被告は母の束縛から逃れるために就職を考えたものの、当時未成年だったこともあり、母の同意を得られず実現しなかった。束縛はエスカレートした。母は自由な時間を与えないようにと、一緒に入浴するよう求めた。携帯電話は取り上げられていた。被告は3回にわたり家出をしたが、母が手配した探偵や捜索願を受けた警察に見つかり、家に連れ戻された。

 そんな浪人生活が実に9年間に及んだ。母は助産師になることを条件に滋賀医科大学の医学部看護学科への受験を認め、2014年に合格。進学後は母との確執は一時和らいだ。学生生活を経て、被告は徐々に「手術室看護師」を志望するようになった。手術の執刀医にメスを手渡したり、患者の体位変換をしたり、手術の記録を取ったりする看護師のことだ。

 落ち着いていた環境が一変したのは大学2年生の終わりごろ。助産師課程の進級試験に不合格になったのを機に、束縛は再燃した。17年の夏には、当時4年生の被告に医大の付属病院から就職の内定が出ていたが、母は辞退して助産師学校に進学するよう迫った。受験に失敗したとしても看護師にはならずに、再受験を約束する誓約書まで書かせていた。同年12月に被告が母親の許可を得ずにスマートフォンを隠し持っていたことが分かると、庭で土下座させ、その様子を撮影した。スマホはブロックでたたき壊し、所有を認めていたもう一つの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」とショートメールを送って罵倒した。

 ▽疲弊の末…「モンスターを倒した」

 のぞみ被告の心は疲弊しきっていた。母から解放されるために、殺害したいと思うようになった。事件直前の18年1月にはインターネットで、刃物で死ぬ自殺方法や、頸動脈を切って即死させることができるかなどを調べた。

 「いろいろと追い詰められてきたなあ。チャンスは何回もあったのに決め切れてなかったことが悔やまれるぞ」「早く決めよう。怖じ気づくな。やっぱり明確で強い思いがないと無理だということがわかった。一応準備だけした」。メモ帳代わりに使っていたGメールの下書き機能を使い、そんなメモも残した。

 1月中旬に受けた助産師学校の試験は不合格だった。大学病院への就職手続きの期限が1週間後に迫り、母に「看護師になりたい」と本音を打ち明けた。だが「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」と一蹴される。その後、母は夜通し怒鳴り続けた。被告の我慢は限界に達していた。1月19日のことだった。

二審での被告の供述によれば、その日深夜、就寝前の母の体をマッサージした際、うつぶせになる母の首をもみ終えると、母は寝息を立てていた。被告は寝室に隠していた包丁を取り出し、母の首の左側を刺した。「痛い」という母の声を聞いて怖くなり、もう1、2回刺した。

桐生被告が母を殺害後に投稿したツイッターの投稿

 「モンスターを倒した。これで安心だ」。ほっとした被告は、自身のツイッターにそう投稿した。口から血を流し動かなくなった母を横目に、ずっと見たかった民間ボディーガードの主人公が活躍するドラマ「BG~身辺警護人~」を見た。肩の荷が下りたような感覚になっていた。遺体に毛布を掛け、その日は寝た。母の遺体を切断し、両手と両足を燃えるごみに出し、胴体は丸形ペールに入れて運び、守山町の旧野洲川の河川敷に捨てた。自宅から約250メートルしか離れていなかった。

 滋賀県守山市に発見され、警察が捜査に乗り出した。被告は死体遺棄容疑で6月に逮捕され、殺人容疑で9月に再逮捕された。近所の住人らは「近所づきあいのない家だった」「1週間前に犬の散歩をしているのを見て、あいさつした」「(娘さんは)医大を目指すぐらい勉強はできたが、コミュニケーションが不得意だった。(お母さんとは)一緒に買い物をするなど仲は良かった」と口々に言った。

 のぞみ被告は取り調べに、母の遺体を切断し、捨てたことは認めたものの、殺害についてはかたくなに否認し続けた。

女性の遺体の胴体部分が見つかった現場付近を調べる滋賀県警の捜査員=2018年3月14日、滋賀県守山市

 ▽同情示した一審判決後、殺害認める

 20年2月に始まった大津地裁の一審裁判員裁判でも、のぞみ被告は「母は自殺した」と、殺害を隠し続けたが、母には自殺の動機がなく、死亡時に被告と2人きりだったため、3月の判決公判では殺人の罪を認定。懲役15年の実刑(求刑懲役20年)が下った。その一方で判決は、被告の育った環境を「長年にわたり母子だけの閉鎖的な環境」と指摘。成人後も行きすぎた干渉を受け、相当に追い詰められた末に犯行に及び、経緯には同情の余地があると結論づけた。裁判長は「母に敷かれていたレールを歩み続けていたが、自分の人生を歩んでください」と説諭した。

桐生被告が記者に寄せた手紙。苦しかった母との生活などを綴っていた

 言い渡し後、被告は何度も判決文を読み直したという。「一審判決は、まるで自分のことをずっと横で見ていたかのようだった」(二審での被告供述)。誰にも理解されないと思っていた母との確執を認められたことで、真相を話し、罪と向き合うことを決めたのだという。判決後、滋賀県内の拘置所に面会に訪れた弁護人に、控訴審では殺人を認めると打ち明けた。

 大阪高裁での控訴審はその8カ月後。被告人質問で、一審で殺害を否定した理由を問われたのぞみ被告は「(父に)実の娘が母を刺したことを知られるのが怖かった」と打ち明けた。また、殺害を決意したきっかけは、スマホをたたき壊され、助産師学校に落ちた際に「裏切り者」「うそつき」と徹夜で叱責されたこと、と述べた。

 21年1月、控訴審判決で言い渡された判決は、懲役10年。一審判決から大幅に減刑した。のぞみ被告は時折ハンカチで目を押さえながら判決の読み上げを聞いた。

 「自白したように、罪と向き合い反省して償ってください。これからは自身の判断で進路を決めなくてはいけません。大変なこともあると思いますが、負けずに自分の選んだ道を歩むことで更生してほしいと思います」

 言い渡し後、裁判長が説諭すると、のぞみ被告は肩を震わせながら大きくうなずいた。控訴期限の2月上旬までに弁護側、検察側のいずれも控訴せず、刑が確定した。

 ▽接見で語られた後悔

 筆者はのぞみ被告と手紙のやりとりをし、二審判決の前後に7回ほど、大阪拘置所で接見している。自身が起こした取り返しがつかない出来事への向き合い方を一審から大きく変えたという被告。ずっと隠していた母の殺害をなぜ認めようと思ったのか。自分を追い詰めた母への思いに変わりはないのか。そんなことを聞いてみたかった。父が差し入れたというトレーナー姿で姿を見せた被告は深々とおじぎをし、よどみない言葉で語り始めた。

 ―お母さんはなぜ医者になることにこだわったのですか?

 「母はいわゆる教育ママでした。公立高校が進学校とされて、そこから東大や国公立医学部に行くのが滋賀県民のエリートコースだと言い聞かされていました。母はそのレールに私を乗せようとしました。母は工業高校を卒業したそうです。最終学歴が高卒であることを悔やんでいると何百回も聞かされました。学歴コンプレックスがあったのだと思います」

 「母の友人にNさんがいます。少し母より成績が劣っていたようですが、看護学校に行き、現在も看護師としてばりばり働いているそうです。母からは、看護師は介護士のように下の世話もしなければならない過酷な仕事と聞かされていました。今でこそ、新型コロナ流行もあって社会的に意義のある仕事というイメージがついていますが…。それから、母の実母の再婚相手が歯科医でした。医者が社会的に認められているのを肌で感じていたのかもしれません。まとめると、母は自分の学歴へのコンプレックス、看護師への偏見、医師への尊敬があったのだと思います」

 ―お母さんの教育をおかしい、つらいと思ったことはありますか?

 「仕方ないと思いました。受け入れるしかありませんでした。浪人生活で囚人のような生活を10年近く送っています。拘置所はルールさえ守っていれば叱責を受けることはありません。今のほうが気持ちとしては楽ですね。細かいルールが煩わしいこともありますが、刑務官は私に対して『うざい』とか『死ね』とか言うことはありません」

 ―逆に、厳しいしつけが役に立ったことは?

 「字は、検事さんにも『きれいだ』と言われました。母からは常日頃、『汚い』『ばかっぽい』と言われていたので、丁寧に書くようにしています。言葉遣い、箸の上げ下ろし、勉強の仕方を教え込まれました。むやみに人に聞くのではなく、自分で辞書を引いてみること、1回目は赤鉛筆、2回目は青鉛筆で線を引くように言われました。自分が単語をどれほど覚えていないかがよく分かりました」

 ―大阪拘置所に来て心境が変化しましたか?

 「滋賀では独居房でしたが、大阪では8人の雑居房にいます。母と同年代で、薬物関係で勾留されていた女性の被告数人に出会いました。母親である人も多く、自らの過ちのせいで子どもと離れ離れになり、申し訳なさや後悔を口にしていました。そこで、私の母がどんな風に私を思っていたのかを考えるようになりました。自分自身は良い娘ではなかったので、母の苦しみや焦燥を、もう少しちゃんと分かれば良かったです。自分のしたことを後悔しています。他の人には、実の母を殺したなんて言えません」

 ―事件を起こさないためにはどうしていたら良かったと思いますか?

 「当時の自分は助けを求めるべき状況だったと気づきました。でも助けを求める発想もなかったです。自分がされていることが虐待と気がついたら何か変わっていたと思います。気づくためにはそういうことがあると知ることが必要なので、(自分の事件を知ってもらうことで)気づくきっかけを提供したいと思っています」

桐生被告が寄せた手紙。字を丁寧に書くことは母からしつけられたという

 ▽外部に助けを

 この事件ほど極端なケースは珍しいが、親が「子どもの約束された将来のため」との名目で、受験勉強を無理強いしたり、日常生活を束縛したりする教育虐待の被害は後を絶たず、専門家も警鐘を鳴らしている。

 明治大の諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)教授(臨床心理学)は教育虐待について、「子どもが別人格であることを認められず、親が自らの職業選択や進路の願望を押しつけてしまう。子どもが勉強しないと罵倒し、教育面で支配したり、拘束したりすることが起こる」と解説する。こうした問題は、特に同性の親子間に見られるようだ。

 諸富教授は「親の人生の願望を子どもに押しつけてはいけない。だが親はその自覚を持つのが難しく、外部の人間が介入できないと、対処は困難となる。子どもの立場からできるのは、外部に助けを求めること。スクールカウンセラーや児童相談所などを積極的に利用してほしい」と話している。

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