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【秋丸次郎・日米戦争】この動画は最後まで見て下さい@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

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英米合作経済抗戦力調査

陸軍省経済戦研究班は英米班、独伊班、ソ連班、南方班、日本班に分かれて仮想敵国の経済戦力を分析、総合して敵国の弱点を把握、我が方の経済戦力の持久度を見極め、攻防策についての報告書が作成された。
昭和16年7月、基礎調査が出来上がり、陸軍省首脳に対する説明会が開かれた。杉山参謀総長は「調査および推論は完璧であるが、結論は国策に反する」と講評し、「報告書は直ちに焼却せよ」と命じた。

このため、報告書はすべて焼却されたものと思われていたが、英米班の主査だった有沢広巳氏が昭和63年3月に死去され、遺族が遺品を整理したところ「米英合作経済抗戦力調査」が発見された。なぜ、残されていたのかいきさつは不明だが、遺族によって東京大学経済学部図書館に寄贈された。

大東亜戦争開戦50年に当たる平成3年の8月15日にNHKがこの報告書をもとに「新発見 秋丸機関報告書」を放映、秋丸機関の存在が半世紀を経て明らかになった。

報告書は東大経済学部図書館に保存されているガリ版刷りでB4版104ページの膨大なものである。全てを公開するのは不可能なので、目次と巻頭の判決(調査の結論)を公開する。

 

目 次

一、判決

二、序論 経済抗戦力の測定方法

三、本論 英米合作経済抗戦力の大きさの測定

       第一章 戦争規模の想定
       第二章 戦費調達源泉の分析
       第三章 英本国経済抗戦力の測定

         第一節 社会生産物に基づく戦費調達力
         第二節 戦時労働力配置に基づく戦費調達力
         第三節 船腹配置に基づく戦費調達力
         第四節 結論

       第四章 米国経済抗戦力の大きさの測定
         第一節 社会生産物に基づく戦費の調達力
         第二節 戦時労働力配置に基づく戦費調達力
         第三節 船腹配置に基づく戦費調達力
         第四節 結論

       第五章 英米合作経済抗戦力の大きさに関する判定
         第一節 船腹配置に基づく合作の限度
         第二節 結論

付録  参考図表

 

           判 決

(一) 英本国の経済国力は、動員兵力400万=戦費40億ポンドの規模の戦争を単独にて遂行すること不可能なり。この基本的弱点は労力の絶対的不足に基づく物的供給力の不足にして、軍需調達に対して約57億5000万ドル(資本銷却等を断念しても32億5000万ドル)の絶対的供給不足となりて現る。

(二) 米国の経済国力は、動員兵力250万=戦費200億ドルの規模の戦争遂行には、準軍需生産設備の転換および遊休設備利用のため、動員可能労力の60㌫の動員にて充分賄得べく、さらに開戦1年から1年半後における潜在力発揮の時期に於いては、軍需資材138億ドルの供給余力を有するに至るべし。

(三) 英米経済合作するも、英米各々想定規模の戦争を同時に遂行する場合には、開戦初期に於いて米国側に援英余力なきも、現在の如く参戦せざる場合はもちろん、参戦するも1年から1年半後には英国の供給不足を補充してなお第三国に対し軍需資材80億ドルの供給余力を有す。

(四) 英本国は想定規模の戦争遂行には、軍需補給基地としての米国との経済合作を絶対的条件とするをもって、それが成否を決すべき57億5000万ドルに達する完成軍需品の海上輸送力がその致命的戦略点(弱点)を形成する。

(五) 米国の保有船腹は、自国戦時必要物資の輸入には不足せざるも援英輸送余力を有せず。従って援英物資の輸送は英国自らの船舶に依るを要するも、現状に於いて既に手一杯の状態にして、今後独伊の撃沈による船舶の喪失が続き、英米の造船能力(最大限41年度250万トン、42年度400万トン)に対し喪失トン数が超える時は英の海上輸送力は最低必要量1100万トンを割ることとなり、英国抗戦力は急激に低下すべきこと必定なり。

(六) 英国の戦略は、右経済抗戦力の見地より軍事的・経済的強国との合作により、自国抗戦力の補強を図るとともに、対敵関係に於いては自国の人的・物的損耗を防ぐため、武力戦を極力回避し、経済戦を基調とする長期持久戦によりて戦争目的を達成するの作戦に出づること至当なり。

(七) 対英戦略は英本土攻略により一挙に本拠を覆滅するを正攻法とするも、英国抗戦力の弱点たる人的・物的資源の消耗を急速化するの方略をとり、空襲による生産力の破壊および潜水艦戦による海上遮断を強化徹底する一方、英国抗戦力の外廊をなす属領、植民地に対する戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、かつ英国抗戦力の給源を切断して、英国戦争経済の崩壊を策することもまた極めて有効なり。

(八) 米国は自ら欧州戦に参加することを極力回避し、その強大なる経済力を背景として、自国の軍備強化を急ぐとともに、反枢軸国家群への経済的援助により交戦諸国を疲弊に陥れその世界政策を達成する戦略に出づること有利なり。これに対する戦略はなるべく速やかに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗に導き軍備強化の余裕を与えざるとともに、自由主義体制の脆弱性に乗じ、内部的撹乱を企図して生産力の低下および反戦気運の醸成を図り、併せて英・ソ連・南米諸国との本質的対立を利してこれが離間に努むるを至当とす。
                                                      (原文は旧仮名使いの仮名書き)

 

解 説

秋丸機関の報告書で唯一残っているのが「英米合作経済抗戦力調査」である。膨大な資料を駆使し、一流の経済学者や、統計学者が分析し、当時としては第一級の調査報告書であろう。米国は想定規模の戦争なら国力の60パーセントで賄えるとしており、英国と連合した場合、開戦初期は英国への援助の余力はないが、1-2年で英国の供給不足を補充し、さらに、第三国に対しても軍需物資を提供できる強大な潜在力を秘めた経済力があると指摘している。

このため、米国を対独戦に追い込み、経済力を消耗させるとともに、自由主義経済を内部から撹乱し、英国などとの連合を阻止する戦略をとるべきだとしている。この報告書が単なる各国の経済力を分析しただけでなく、経済謀略戦を遂行するために策定されたことは明白だ。

秋丸班長は「対英米との経済抗戦力は20対1」と陸軍省幹部に説明したとあるが、報告書にはその記述はない。各国の経済抗戦力調査を総合的に分析して導き出されたものだろう。仮想敵国へ対する経済謀略を立案する一方で、冷徹な数字もはじき出し戦局の帰趨をかなり高い確度で予測している。

軍首脳は「調査、推論は完璧」としながらも「結論は国策に合わない」と不条理な論理で退け無謀な戦争へと突き進んでいく。狂奔する時局の流れの中で正論を正視する的確な判断力を国家指導者が失っていたと言える。そうした危険な潮流は半世紀たった現代にも潜んでいるように思われる。(秋丸信夫)

英米合作経済抗戦力調査

「勝てる自信はないが、それを言い出せない」日米開戦を招いた日本人の悪癖

なぜ日本はアメリカとの太平洋戦争に踏み切ったのか。名古屋大学名誉教授の川田稔氏は「陸軍側は、海軍側に『戦争に自信なし』と明言させることで、開戦を回避したいと考えていたようだ。しかし、海軍はそれを言い出せず、陸軍も引くに引けなかった」という——。

※本稿は、川田稔『木戸幸一』(文春新書)の一部を再構成したものです。

中国駐留軍をめぐる近衛首相と東条陸相の対立

1941年(昭和16年)10月2日、ハル国務長官から覚書のかたちで、9月25日の日本側提案に対するアメリカ政府の回答が示された。それは、三国同盟問題では日本側の姿勢を評価しながらも、より明確な回答を求めていた。

さらに、中国に軍隊を駐屯させる要望は容認しえず、日本軍の仏印および中国からの撤退を明確に宣言する必要があるとのことだった。また、日中間の地理的条件による経済的特殊関係の承認についても受け入れられないとしていた。

このハル覚書をうけ、10月5日、東条英機陸相は近衛文麿首相と会談した。東条は、アメリカの態度は、駐兵拒否、三国同盟離脱であり、これらは譲れないと述べた。

近衛は、駐兵が問題の焦点だ、「一律撤兵」を原則的には受け入れ、「資源保護などの名目で若干駐兵させる」ことにしてはどうか、との意見を示した。

東条は、それでは「謀略」となり「後害」を残す、として反対した。近衛の原則一律撤兵・実質駐兵論に対して、東条は不確かなもので容認できないとしたのである。

同日、海軍でも首脳会議が開かれた。そこで岡軍務局長の提案により、交渉継続の方向で近衛首相が東条陸相と会談し、交渉期限の延長や条件の緩和を話し合うことを、首相に進言することとなった。

翌6日の海軍首脳会議でも、「撤兵問題のみにて日米戦うは馬鹿なことなり」として、条件を緩和してでも外交交渉を続ける方針が申し合わされた。原則的には「撤兵」とし、治安維持のできたところから撤兵する、とされた。

海軍トップが、対米戦勝利の自信はない旨を明言

10月7日朝、陸海相が会談した。及川古志郎海相は東条陸相に対し、なお交渉継続の余地はあり、もう少し期限に余裕が必要だとして、10月15日の決定延期を申し入れた。

東条の「勝利の自信はどうであるか」との問いに、及川は「それはない」と答えている。ただ、「この場限りにしておいてくれ」と付言した。海軍トップの海相が、対米戦勝利の自信はない旨を明言したのである。東条は、この場限りの話として聞かされたが、海軍に自信がないことを知った。

そこから東条も、海軍に戦争遂行の自信がないのなら、不本意だが、9月6日御前会議決定を見直さなければならないのではないかと考えはじめていた。

同日(7日)、武藤章軍務局長は、富田健治内閣書記官長に対し、「駐兵も最後の一点ともならば考慮の余地あり。また交渉をなすべし」、との意見を伝えている。武藤は、固守していた中国駐兵についても、対米交渉の最終盤においては、なお譲歩を考慮する余地があると考えつつあったのである。

東条陸相、撤兵論・御前会議決定の再検討を拒否

木戸幸一内大臣の日記には、この間の動きについて、こう記されている。

「十月七日……富田[内閣]書記官長来訪、対米交渉につき左の如き話ありたり。米国の覚書につき、陸軍は望みなしとの解釈なるが、海軍は見込みありとして交渉継続を希望す。……海軍側は、首相はこの際遅滞なく決意を宣明し、政局を指導せられたしと要望す。先ず首相は、強硬意見を有する陸相と充分意見を交換したる後、陸海外の三相を招き、自己の決意を披瀝し、協力を求むる筈なり」

さて、10月7日の夜、近衛・東条会談がおこなわれた。ここで、近衛が、「駐兵に関しては撤兵を原則とすることとし、その運用によって駐兵の実質をとることにできないか」、と意見を述べた。だが、東条は、「絶対にできない」と拒否している。

つづいて近衛は、9月6日御前会議決定について「再検討が必要である」と主張した。

これについても東条は、「御前会議の決定を崩すつもりならば事は重大である。何か不審があり不安があるのか。……もし疑問があるというならそれは大問題になる」、として受け入れなかった。

近衛は、「作戦について十分の自信がもてないと考える」と一応答えているが、自身ではそれ以上の根拠は示せなかった。最後に東条は、「人間たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」、と述べている。

つまり、東条は、近衛の原則撤兵・実質駐兵論を「絶対できない」と頑強に拒否し、御前会議決定の再検討についても容認しなかったのである。

「撤兵も考えざるべからざるも、決しかねるところなり」

だが、翌8日、東条陸相は及川海相に、「支那事変にて数万の生霊を失い、みすみすこれ[中国]を去るは何とも忍びず。ただし、日米戦とならばさらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えざるべからざるも、決しかねるところなり」、と述べている。

 

岡敬純海軍軍務局長のメモでは、「陸相は最後撤兵問題のみにて対米交渉がまとまるならば、[撤兵を]考慮する意志を表明せらる」、となっている。東条も近衛には強く撤兵を拒否しながらも、なお動揺していたといえる。

このように、武藤のみならず、東条もまた、交渉の最終段階では全面撤兵も考慮せざるをえないのではないかと迷いを示していた。

政権中枢の近衛首相、東条陸相、及川海相は、個別に会談を続けた。近衛と及川はそれぞれ交渉継続の観点から、駐兵問題での陸軍の譲歩を求めたが、結局東条は譲らなかった。

対米強硬論を公言していた東条陸相の迷い、動揺

ただ東条も、海軍が対米戦の自信がなければ、9月6日御前会議決定を再検討する必要があるのではないかと考えはじめていた。

御前会議の決定を尊重すべきとの基本的態度だったが、海軍に自信がないなら、御前会議決定を白紙に戻し、責任者は全て辞職すべきだ、とも述べていた。また撤兵についても動揺しはじめていた。

及川海相は、前述のように、近衛首相が自身の決意で、政局を交渉継続、撤兵の方向にリードしてもらいたい。場合によっては米側提案を丸呑みする覚悟で進んでもらいたい、と要請していた。

そして、首相が覚悟を決めて邁進まうしんするならば、それに海軍は全面的に協力する、との意向を近衛に伝えていた。及川も海軍のみの判断によって戦争回避の全責任を負うことはできなかったのである。

天皇最側近から近衛首相へのアドバイス

10月9日、事態が緊迫するなかで、木戸は近衛に次のようにアドバイスしている。

御前会議の決定は、「いささか唐突にして、議の熟せざるものあるや」に思う。内外の情勢から判断するに、「対米戦の結論」は「再検討」を要する。この際は対米開戦を決意することなく、むしろ「支那事変の完遂」を第一義とすべきである。

アメリカに対しては、「自主的立場」を堅持するため、10年ないし15年の「臥薪嘗胆がしんしょうたん」によって、「高度国防国家の樹立、国力の培養」に専念努力すべきである。

「支那事変完遂」のためには、「交戦権の発動」(宣戦布告)も辞さず、陸軍動員により重慶、昆明等にも作戦を敢行し、「独力実力」をもって解決する決意が必要である、と。

これは、8月7日の近衛への意見と同方向のものだが、9月6日御前会議決定を再検討すべきことが主眼となっている。他には、日中戦争の軍事的解決を強調していることが注意を引く。

自信がないと公言できない海軍、主張を変えられない陸軍……

想定される対米英戦争の重圧に苦しむ武藤や東条は、海軍が対米戦に自信がなく、それゆえ交渉継続を主張しているのを承知していた。そこで海軍側に戦争に自信なしと公式に明言させ、できれば開戦を回避したいと考えていたようである。

だが、海軍も組織内外の条件から、それは一貫して避けていた。及川海相は東条に対米戦の自信はないと自身の考えをもらしていたが、それは内々の話とされていた。したがって、東条も陸軍内外で、それを理由に従来の主張を変えるわけにはいかなかったと思われる。

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