信じるか信じないかはあなた次第
令和の今、古きよき時代として“昭和レトロブーム”が巻き起こっているが、振り返ってみれば、今ではとんでもない“昭和あるある”がいっぱい。懐かしい“常識”とともに、あのころへタイムトリップしてみよう!
(漫画)今では考えられない昭和の常識を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ
【驚きの昭和の常識ランキング】部活中の水分補給はNG、電車内でタバコがOK、雑誌に名前・住所を掲載など
令和の今、古きよき時代として“昭和レトロブーム”が巻き起こっているが、振り返ってみれば、今ではとんでもない“昭和あるある”がいっぱい。懐かしい“常識”とともに、あのころへタイムトリップしてみよう!
『写ルンです』や『ゲーム&ウオッチ』が再び脚光を浴び、昔懐かしい象印ポットの『花柄復刻シリーズ』は人気のあまり在庫切れに! ブームを担うのは、昭和を知らない25歳以下の“Z世代”だ。
そんな昭和のヒット商品が注目される陰で、「昭和の常識」はもはや、風前のともしびなのだ。当時の当たり前は、もはや令和の非常識。しかし、思い出に残る「昭和の常識」を、昭和生まれの300人にアンケート調査したところ、実にたくさんの声が寄せられた。中には、今の若者が仰天するような内容も!? 昭和48年生まれのコラムニスト・木村隆志さんとともにランキングを見てみよう。
【1位】駅に伝言板
昭和生まれの世代が選んだ“昭和あるある”第1位は、駅の伝言板。驚いたのは、
「わが家の高校生の息子は、電子コミックで読んだ『シティーハンター』で駅の伝言板の存在を知ったそうです」(群馬県・49歳女性)
という声。たしかに、主人公の冴羽に連絡する方法のひとつが駅の伝言板に“XYZ”と記すことだったが……。
「もはや漫画でしかお目にかかれない遺物になってしまいました(笑)。あのころは携帯電話などもちろんなく、ポケベルが普及し始めたのも昭和の終わりごろ。駅の伝言板は、家族や仲間と連絡を取り合う大切なツールでした」(木村さん)
「先に行ってるね 花子」
「30分待ちましたが帰ります 卓也」
など、すれ違いもまた味わいだったのだ。
「ときには愛を伝え合うメッセージもありました。今のSNSのように、公にイチャイチャできる唯一のツールだったかもしれません」(木村さん)
【2位】部活中に水を飲むな
第2位の「部活中に水を飲んではいけない」は、今振り返ると当時ですら「非常識」なもの。中学で野球部に所属していた木村さんも、部活中にトイレに行くふりをしてこっそり手洗い場の水を飲んだことがあったという。
「1年生には練習させないとか、ミスしたらミミズ腫れするまでケツバットとか、無意味な根性論がまかり通っていた時代でした」(木村さん)
部活動に限らず、
「市内の中学生男子は問答無用で丸刈りだった」(愛知県・50歳男性)
という、不条理極まりないルールも。
「まるで軍隊(笑)。令和の今もなお、高校野球で丸刈りを強制するなんておかしな話。根性論の押しつけより、技術の向上を図ったほうがよほど効率的です」(木村さん)
【3位】ゴールデンタイムに女性の裸
第3位は「ゴールデンタイムの番組で、女性の裸が放送されていた!」というもの。
「志村けんの“バカ殿”では、胸をさらけ出す腰元がお約束」(千葉県・49歳男性)
など、子どもに大人気のバラエティー番組でも、“おっぱいポロリ”は当たり前だった。
「昭和から平成まで続いた『女だらけの水泳大会』(フジテレビ)では、やらせのハプニングで胸を出す“ポロリ要員”もいました。視聴率も上がるし、視聴者サービスにもなるし一石二鳥でしたが、今はBPOに駆け込まれてしまいます」(木村さん)
とはいえ、もっと過激な映像がスマホで簡単に見られる今では、“おっぱいポロリ”で騒いでいたあのころがかわいく思える……。
page:2【4位】電車内でタバコが吸えた
第4位にランクインしたのは「電車内でタバコOK」という今では考えられない事実。
「ヘビースモーカーの父は、電車でもバスでも飛行機でもどこでもタバコを吸っていました。フタが開閉できるタイプの、備えつけの小さな銀色の灰皿を覚えています」(長野県・44歳女性)
という声のとおり、公共交通機関のほとんどで喫煙可能だった。
「映画館でもファミレスでも学校の職員室でも、吸えない場所はありませんでしたね(笑)。それがいまでは、ドラマの喫煙シーンにさえクレームが寄せられるそう。タバコはもはや、小道具としてすら許されない存在になってしまいました」(木村さん)
第10位にあるように、タバコは子どものおつかいの定番でもあった。
「今はタバコだけでなく、お酒の販売も20歳未満はNG。子どものおつかいなら問題ないと思うのですが、この2つだけはことさらに悪者にされがちです」(木村さん)
5位以下にも“郷愁”を誘うキーワードが
第5位は、同率で3項目がランクイン。
「雑誌の文通コーナーに、個人の住所と名前が当然のように掲載されていました。高校生のときに好きなバンドを通じて文通を始めた相手とは、今でもメールでつながっています」(神奈川県・46歳女性)
と、個人情報の取り扱いも当時はゆるゆる!
「タレント名鑑やプロ野球選手名鑑に、芸能人や選手の個人宅の住所が掲載されていた驚きの時代です(笑)。ストーカーなんて言葉すらなく、平和そのものでした」(木村さん)
いっぽう、学校ネタは“昭和あるある”の宝庫。中学生のころにゴミ箱を持って直行した焼却炉は、いつの間にか姿を消していた。
「お笑い芸人の博多大吉さんが、中学時代のあだ名が“焼却炉の魔術師”だったことを『アメトーーク!』(テレビ朝日)で明かして大反響を呼びました(笑)。焼却炉と聞いただけで、用務員のおっちゃんの顔や、掃除をサボった思い出が浮かびませんか? 40代以上には、焼却炉という言葉自体が郷愁を誘うキーワードなんです」(木村さん)
第8位の「わら半紙」も、すっかり見かけなくなった。
「学校の便りや小テストなどの印刷物は必ずわら半紙。消しゴムで消すと黒くなり、すぐ破れていたのを思い出します」(滋賀県・42歳女性)
ランキング外の“あるある”
ランキング外では、
「駅のホームに、痰(たん)を吐く専用の“痰ツボ”があった」(大阪府・61歳男性)
「そこらじゅうに野良犬がいた」(大分県・47歳女性)
「給食の献立にクジラ肉があった」(山口県・49歳女性)
などの声が。また、今なら一発で違反になるのだが、
「原付バイクはノーヘルでOKでした。子どものころ、母が運転する原付の後ろに乗るのが楽しみでした」(大分県・47歳女性)
ちなみに、ヘルメットの着用が義務付けられたのは昭和61年。それまではノーヘルでも罰せられることはなかったのだ。ただし、昭和においても原付バイクの2人乗りが認められていた時代はない。言い換えれば、「まぁ、大目に見よう」がまかりとおっていた大らかな時代だったからこそ、この2人乗りの思い出は生まれたのだ。
「今では、映画やテレビで犯人が逃走するシーンでもシートベルトをするほど(笑)。不自然極まりないですが、“けしからん”とクレームがくるわけです。ある意味、生きづらい世の中になってしまいました」(木村さん)
昭和は遠くになりにけり──。
(取材・文/植木淳子)
《PROFILE》
木村隆志 ◎コラムニスト、テレビ解説者。ウェブで年間約1億PVを記録するほか、『週刊フジテレビ批評』などの番組に出演。著書に『トップインタビュアーの「聴き技」84』など。