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【飯塚事件】冤罪で極刑になるとどうなるのか漫画にしてみた@アシタノワダイ
飯塚事件【福岡県飯塚市】
1992年(平成4年)2月20日に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された事件。
逮捕・起訴された久間 三千年(くま みちとし)に死刑判決が下り、2008年に執行された。
一部メディアは冤罪疑惑を採り上げ、翌2009年に久間元死刑囚の妻が再審請求し、福岡地裁・福岡高裁ともに、再審請求を棄却し、最高裁に特別抗告。
事件発生
1992年2月20日朝、福岡県飯塚市で同じ小学校に通う1年生の女児2人(ともに当時7歳)が登校途中にそろって行方不明になった。
翌21日0時10分頃、同県甘木市(現朝倉市)と嘉穂郡を結ぶ国道を自動車で走行中の団体職員の男性が、小用を足すために車から降りたところ、崖下にマネキンのようなものが2体捨てられているのを発見し通報、駆けつけた捜査員が、道路から約10メートル下の雑木林で、女児2人の遺体を発見する。
同日午後9時頃、甘木署にてそれぞれの両親が遺体を確認、署長が発表した。
捜査
捜査本部は、事件発生から5日後の2月25日には、被害者と同じ校区に住む無職男性久間三千年(当時54歳)宅を訪問し、事件当日のアリバイなどを事情聴取している。
同年3月20日[11]、久間を重要参考人として取り調べ、ポリグラフ検査を実施したほか、毛髪と指紋の任意提出を受けた。
女児殺害に関して、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たものの逮捕には至らなかった。
1994年9月23日、女児の衣服についていた繊維片が久間所有の車のシートのものと一致したとして、死体遺棄容疑で久間を逮捕。
同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。同日、福岡地検は死体遺棄で久間を起訴し、同年11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴した。
無罪主張
久間は逮捕前から刑死する直前まで一貫して無罪を主張した。
逮捕前にはマスメディアの取材に応じ「アリバイ以上のものを持ってる。
100%関係ない。やってないものをやったと思われたことだけは、白黒必ずつける。」などと語っていた。
足利事件との関係
「西の飯塚、東の足利」と言われてきた通り、本件と足利事件の両事件はMCT118型検査法によるDNA型鑑定が同じ時期に同じ方法で、同じ鑑定技官によって実施されたという共通性は認識されていた。
2008年10月16日、足利事件の再鑑定が行われる旨の報道がされた。
そのわずか12日後の10月28日、本件での久間の死刑が執行された。
2009年6月4日、足利事件で服役中の菅家利和が最新のDNA型鑑定などによって事実上の無実釈放となる。
もっとも足利事件は、当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を、アレリックラダーマーカーで再計測したところ、犯人と菅家のDNA型が一致しないことが明らかになったものであった。
それに対して、本事件は、第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によっても久間が犯人であることと矛盾しない結果が出ている点で異なる。
足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠であり、その証拠力が最大の争点となったが、本事件では複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示されている点でも異なる。
また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であったが、本事件の再審請求は日弁連によって支援されておらず、2014年3月31日の再審請求棄却決定時に日弁連会長が決定を容認できない旨の声明を出したに止まった。