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【孤独死した愛人】桂文枝が新婚さんいらっしゃいを干された本当の理由(マンガで分かる)

真ぃるか信じないかはあなたしだい

 

 

 

【孤独死した愛人】桂文枝が新婚さんいらっしゃいを干された本当の理由(マンガで分かる)

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桂文枝「絶句」 20年愛人『紫艶』が41歳で孤独死していた

大阪にある、文枝の個人事務所で撮られたツーショット写真

「何も知らない18歳のころから、師匠を尊敬し、信頼し、すべてを捧げてきました…」

16年に、6代目・桂文枝師匠との愛人関係を『FRIDAY』に告白した、演歌歌手の紫艶さん。

18歳のとき『吉本演歌歌謡曲選手権』で優勝。00年には日本有線大賞新人賞を受賞した彼女が、19年3月7日に都内のマンションで独り、帰らぬ人となっていた……。

「俺にはお前が最後の女や」というのが口説き文句だったという

「3月11日の昼間、事務所に彼女のお母さんから『毎日、電話をくれる娘が3月7日を最後に連絡が取れない』という電話がありました。大家さんにも連絡していたようで、その方が紫艶さんを見つけて下さったんです」

そう話すのは、16年4月から彼女が所属している芸能プロダクション社長のA氏。文枝と別れ、愛人関係を告白したあと、この事務所に入った。

「文枝さんに捨てられた直後、紫艶さんの精神状態はとてもひどく、リストカットを繰り返してしまったそうです。彼とは18歳のときから38歳まで20年間付き合い、“初めて好きになった人が文枝さんだった”って涙ながらに話したこともありましたよ。ただ、今の事務所に入ったことをきっかけに、“彼のことを忘れて頑張る”って話してくれましたし、実際にそれからは、一度も自殺未遂のようなことは無かったって聞いていますよ」(レコード会社関係者)

大家さんから紫艶さんが亡くなったことを聞いた彼女の母親は、兵庫県から着の身着のままで上京。事務所スタッフと一緒に遺体に対面すると、その場に泣き崩れてしまったという。

自宅で亡くなっていたため、遺体は司法解剖に。その結果、「病死」という判断が下された。多くの種類の薬を服用していため、それが死因ではないかと伝えられたという。

「精神的に弱かったので、薬を服用していることは知っていました。それは初めて私と会ったときから飲んでいましたね。彼女はお酒を一滴も飲めないんですが、薬の影響か、ひどいときは呂律が回らないこともありました。何か所も病院に通っていたようで、それは警察から聞いて初めて知りました。部屋には薬がいっぱいあったようで、薬の飲み合わせが悪くて、命を落としてしまったのかもしれませんね」(同・A氏)

葬儀は3月15日に都内で肉親と事務所スタッフだけで、ひっそりと執り行われた。

「葬儀で紫艶さんはメイクをしていて、なんか映画やドラマのワンシーンをみている感じでした。とてもキレイでしたし、“トントン”って叩いたら、いまにも起きてきそうで…」(同・A氏)

当時、文枝はFRIDAYの報道を受けて、愛人関係を否定。「2年前に会ったのが最後」と話していたが、最近まで2人がやり取りしていた『LINE』が出てくるなど、泥沼の不倫劇だった。

釈明会見では、紫艶さんのことを「娘のような感じで応援していた」と話していた文枝。いったい、彼女の死をどう受け止めるのだろうか。

そこで、平成最後となる4月30日。一門会が終わり、大阪にある寄席『天満天神繁盛亭』から出てきた桂文枝を直撃取材した。

平成最後の日に文枝を直撃すると、紫艶さんの死を知り絶句した

――すみませんFRIDAYデジタルですが、3月7日に紫艶さんがお亡くなりになったのをご存知ですか?

「え、誰が?」

と、怪訝そうに名刺を受け取る。

――紫艶さんです。

「ほんまか…(絶句)」

驚いた表情で顔を上げ、まっすぐ記者を見つめる。

――師匠と20年間お付き合いした彼女が、41歳という若さで亡くなったんですよ?

「……」

何か言いかけたが、運転手にうながされ車に乗り込むと、そのまま走り去ってしまった。

「歌のレッスンも定期的にしていましたし、自分でカラオケに行ってCDを作って持ってきてくれたこともありました。本格的に歌手活動も再開しようと話していたんですよ。それなのに…」(前出・A氏)

あまりに切なく早すぎる“歌姫”の死。きっと天国から『令和』の新時代を眺めているに違いない…。

 

  • 文:荒木田 範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)

    埼玉県さいたま市出身。夕刊紙、女性週刊誌を経て現職。テレビやラジオなどにも出演中

  • PHOTO:加藤慶(桂文枝直撃)

friday.kodansha.co.jp

 

紫艶さん、41歳で死去…16年に桂文枝「20年愛」で騒がれる

 兵庫・尼崎市出身の演歌歌手・紫艶(本名・中江ひろ子)さんが亡くなっていたことが2日、分かった。41歳。

 関係者によると、紫艶さんは今年3月7日以降、連絡が取れなくなり、都内で生活する部屋を家族が訪ねたところ、帰らぬ人に。病死という。

 3歳から民謡でノドを鍛えた紫艶さん。実家が代々たばこ店で紫煙をもじって芸名を紫艶に。美貌と整った体形から着物を着ない演歌歌手としても注目された。吉本演歌歌謡新人オーディショングランプリ、日本有線大賞新人賞などを受賞した。

 2016年に紫艶さんとの「20年愛」が騒がれた落語家・桂文枝(75)はこの日、大阪・なんばグランド花月での公演に出演。出番を終えると、関係者口にベタ付けした黒のワンボックスカーに足早に乗り込んだ。車内ではグレーのハンチング帽を目深にかぶり、大きめのマスクで完全防備。「紫艶さんが亡くなりましたが」という報道陣からの呼びかけにも答えることなく、帰路についた。

 吉本興業は「対応することはありません」とした。

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桂文枝、涙の謝罪…紫艶との不倫騒動「嫁さん裏切り…申し訳ない」

 2016/2/22 05:03

21日夜、神保町花月で自らプロデュースした落語会に出演した後だった。所属事務所は当初、「本人が2、3の質問に答える」と説明していたが、出口で待ち受けた約30人の報道陣の前に現れた文枝は寒空にもかかわらず、7分近く釈明会見を行った。

 開口一番「本当に多方面にご迷惑をおかけして申し訳ないと思います」と深々と頭を下げ、謝罪。続けて「家族には一番迷惑をかけた。嫁さんは44年間私のためにやってくれたのに、こんな、裏切るようなことになって…。『本当にあんた脇が甘いからや』と言われました」と目を潤ませながら、何度も声を詰まらせた。

 それでも不倫疑惑については「事実と違う。(不倫は)20年と書いてあったのにはびっくりした」と否定した。紫艶とは2年前、東京の落語会で会ったのが最後で、それ以前も「12年ぐらい会っていなかった」という。

 

21日夜、神保町花月で自らプロデュースした落語会に出演した後だった。所属事務所は当初、「本人が2、3の質問に答える」と説明していたが、出口で待ち受けた約30人の報道陣の前に現れた文枝は寒空にもかかわらず、7分近く釈明会見を行った。

 開口一番「本当に多方面にご迷惑をおかけして申し訳ないと思います」と深々と頭を下げ、謝罪。続けて「家族には一番迷惑をかけた。嫁さんは44年間私のためにやってくれたのに、こんな、裏切るようなことになって…。『本当にあんた脇が甘いからや』と言われました」と目を潤ませながら、何度も声を詰まらせた。

 それでも不倫疑惑については「事実と違う。(不倫は)20年と書いてあったのにはびっくりした」と否定した。紫艶とは2年前、東京の落語会で会ったのが最後で、それ以前も「12年ぐらい会っていなかった」という。

 

出会ったのは約20年前。吉本興業で後に社長となる林裕章氏(故人)に「うちにも演歌歌手ができた。応援してやってくれ」と紹介され、2000年に紫艶と改名した際には名付け親となった。文枝は「自分の子供ぐらいの年で、そういう感じで応援していた」と説明し、掲載された写真についても「14、5年前に、(仲間と)みんなで和歌山へ行って、彼女も誘った」とグループでいたことを明かした。

 同誌に交際関係を証言した紫艶に対しては「ああいうことをする人ではないと思っているので非常に心配しております。これから歌で頑張ってほしい」と気遣った。

 先月9日、「上方落語四天王」最後の一人で、上方落語協会会長も務めた桂春團治さん(享年85)が死去した際、文枝は現会長として「これから協会を一生懸命引っ張っていく」と誓ったばかり。その言葉を思い出しながら「本当に自分でも情けない」とうつむき、「これからは真剣に落語と向かい合って、頑張っていきたい」と会見を締めた。

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