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(漫画)日本がなぜスパイ・工作員だらけなのか漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

 

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(漫画)日本がなぜスパイ・工作員だらけなのか漫画にしてみた(マンガで分かる)

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「スパイ防止法」がないのは世界で日本だけ

国家の安全保障を脅かすスパイにはどの国も厳罰で臨んでいます。
 にもかかわらず、わが国はスパイ罪すら設けていませんスパイ行為そのもので逮捕できないのは、世界で日本一国だけなのです。

自衛権の行使として当然の行為

 自衛権は国際法(国連憲章第51条)で認められた独立国の固有の権利で、国家機密や防衛機密を守り、他国の諜報活動を防ぐのは自衛権の行使として当然の行為です。それで世界ではどの国もスパイ行為を取り締まる法整備(スパイ防止法や国家機密法、あるいは刑法など形態は様々)を行っています。それが諜報対策の基本です。

 ところが、わが国にはスパイ行為を取り締まる法律そのものがありません。それで他国ではスパイ事件であっても日本ではそうならないのです。

 初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏は、警視庁公安部や大阪府警警備部などで北朝鮮やソ連、中国の対日スパイ工作の防止に当たってきましたが、次のように述べています。

 我々は精一杯、北朝鮮をはじめとする共産圏スパイと闘い、摘発などを日夜やってきたのです。でも、いくら北朝鮮を始めとするスパイを逮捕・起訴しても、せいぜい懲役一年、しかも執行猶予がついて、裁判終了後には堂々と大手をふって出国していくのが実体でした。なぜ、刑罰がそんなに軽いのか――。どこの国でも制定されているスパイ防止法がこの国には与えられていなかったからです。…もしあの時、ちゃんとしたスパイ防止法が制定されていれば、今回のような悲惨な拉致事件も起こらずにすんだのではないか。罰則を伴う法規は抑止力として効果があるからです」(『諸君』2002年12月号)

 佐々氏は「他の国では死刑まである重大犯罪であるスパイ活動などを出入国管理法、外国為替管理法、旅券法、外国人登録法違反、窃盗罪、建造物(住居)進入などの刑の軽い特別法や一般刑法で取締らされ、事実上、野放し状態だった」と言います。

 世界各国では、CIA(米中央情報局)やFBI(米連邦捜査局)、SIS(英情報局秘密情報部)などの諜報機関を設けて取り締まるのが常識です。ところが、わが国にはそうした法律や諜報機関が存在しないのです。

世界各国の防諜機関

  • アメリカ(CIA、FBI)
  • ロシア(KGB、GRU)
  • イギリス(MI5、MI6)
  • ドイツ(BND、MAD、BfV)
  • フランス(DST、DSPD、DGSE)
  • スイス、イスラエル(MOSSAD)
  • ヴァチカンでさえ活発な情報活動を展開

主な国のスパイ罪の最高刑

  • アメリカ(連邦法典794条=死刑
  • イギリス(国家機密法1条=拘禁刑
  • フランス(刑法72・73条=無期懲役
  • スウェーデン(刑法6条=無期懲役
  • ロシア(刑法典64条=死刑
  • 中国(反革命処罰条例=死刑
  • 北朝鮮(刑法65条=死刑

 スパイにとって、「天国」とは、
(1)重要な情報が豊富なこと
(2)捕まりにくく、万一捕まっても重刑を課せられないこと、です。

 日本は最先端の科学技術をもち、また世界中の情報が集中している情報大国でもあります。
 しかも、日本ではいくらスパイ行為を働いても罪にならず、スパイ活動はまったく自由です。
 つまり、スパイにとっては何の制約も受けない「天国」だということを意味しています。

 このことは、米国に亡命した旧ソ連KGB少佐レフチェンコ氏が「日本はKGBにとって、もっとも活動しやすい国だった」(『KGBの見た日本』)と証言しています。

 また、旧ソ連軍の情報部(GRU)将校、スヴォ―ロフは「日本はスパイ活動に理想的で、仕事が多過ぎ、スパイにとって地獄だ」と、笑えない冗談まで言っているほどなのです。

「ラストボロフ事件」
 昭和29年(1954年)、KGBの前身・MVD中佐のラストボロフ氏が、アメリカに亡命して証言し、一大スパイ網が明らかになりました。それによると、旧ソ連に抑留された日本人の中から八千数百人をスパイ要員として、日本や米軍の秘密情報収集のため操っていたというのです。しかし、その全貌はスパイ防止法がないこと、また関係者の相次ぐ怪死や自殺によって未解明のままです。

 当時、事件を扱った岡嵜格(いたる)氏(元大阪高等検察庁検事長)は、「スパイを取り締まる法律がないので、国家公務員法などを適用せざるを得なかった。……スパイ防止法がないから(国家公務員法などで容疑者の一部を有罪にできたが)検察側の敗北に終わったようなものだった」と述懐しています。

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滞日中国人留学生 大使館に集められ情報工作命じられる例も

日本企業を狙う中国の産業スパイ活動はますます活発かつ巧妙になっている。何度も機密情報が流出してきたにもかかわらず日本側の備えはまだまだ足りない。ジャーナリスト 向坂公輔氏が中国による産業スパイ活動についてリポートする。
 
* * *
 
 日本を狙った中国の産業スパイ活動の一端を担わされているのが8万人以上いる中国人留学生とされる。中国の諜報活動研究を専門とする『月刊中国』主幹の鳴霞(メイカ)氏が語る。
 
「多くの中国人留学生は真面目に勉強する志を持って日本に来ています。しかし、特に国費留学生の場合はたとえ本人が望んでいなくても、いつの間にか中国の情報工作に組み込まれてしまっているケースがあるのです」
 
 中国の情報機関では、本国で訓練を受けたプロの工作員を「基本同志」と呼び、諜報活動の中での協力者を「運用同志」と呼ぶ。留学生は「運用同志」となることを求められるという。
ロンドンの中国大使館
 「日本の主な大学では中国からの留学生や研究員が情報交換する集まりがあります。それ自体は何の問題もないのですが、彼らは定期的に中国大使館に集められます。
 
 国費留学生は政府から学費や生活費を出してもらっていますから、そこで研究分野などについて報告する。その中で大使館側が、産学連携を進める研究室に所属する学生などに『より詳しい内容を提出するように』と指示を出すケースがあります」(鳴霞氏)
 
 大学と企業が連携して進める最先端の研究内容は中国側が喉から手が出るほど欲しい情報だ。「博士課程に在籍する留学生に、『所属する研究室の教授のパソコンから論文原稿を持ち出すように』といった指示が出る。留学生側はあくまで大使館への活動報告の範囲と考えているが、それが同じ分野を研究する中国の大学や企業へ流れてしまう」(在中国ジャーナリスト)といった懸念を持つ専門家は多い。
 
 昨年4月には防衛省情報本部の女性事務官が部外秘の資料を持ち出そうとしていたことが発覚し、調査の結果中国人留学生と接触していたことが判明した。こうした例から類推できるように、表向きは留学生の身分で情報のプロが入ってくるケースもある。
 
 2007年にデンソーに勤める中国人エンジニアが13万件にも及ぶ機密設計情報を不正に持ち出していた事件では、当該エンジニアは中国国営の軍事関連会社に勤務した後、留学生として来日して大学を卒業し、デンソーに入社していた。
 
「2012年に工作機械大手のヤマザキマザックで中国人社員が工作機械用図面情報約2万点を不正に持ち出した事件でも、逮捕(不正競争防止法違反)された社員は日本の大学を卒業していた。
 
 最初からスパイ目的で送り込まれている者もいるし、日本企業が中国人社員を幹部候補生として扱わず昇進が遅れたことなどに不満を募らせた結果、社の利益に背いて情報を持ち出そうと考えるケースも少なくない。日本人の管理職が『彼は真面目だ』と判断しても、それとは別次元の力を働かせる勢力がいるのです」(鳴霞氏)

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立憲・枝野代表 やっとレーザー射出問題に触れる「わが方に理がある」

枝野幸男・立憲民主党代表(発言録)

海上自衛隊哨戒機に韓国海軍の駆逐艦が火器管制レーダーを照射したとされる問題について)これは政治問題化をせず、実務的に粛々と事実関係を明らかにしていけば、いま我々が承知している範囲では、明らかに我が方に理があると思っている。できるだけ粛々とやっていく方が、国際社会の理解も得ながら、あるべき結論に近づいていくのではないか。(鹿児島市内で記者団に)

 

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【痴呆議会】伊丹市議会が朝鮮学校幼稚部の児童一人につき年額20万4千円の補助を求める請願を可決!

映画「焼肉ドラゴン」のモデルとなった兵庫県伊丹市中村地区。

 ここは、戦前から空港建設の作業員として雇われた、多くの朝鮮半島出身者の飯場があった地区でした。

 しかし、戦後も多くの朝鮮半島出身者がこの地に留まり、勝手に集落を形成していったのです。

 当該地区は、国有地に含まれるため、日本政府は「不法占拠」している彼らの立ち退きを要求しました。

 そして、住民との協議の結果、近接する桑津4丁目の市営住宅へ全員が転居することとなったのです。

 この映画には、そんな背景があったのです。
 (参考:在日韓国・朝鮮人集団移転問題


 現在伊丹市の人口は、推計198,395人(2019年10月1日現在)とされ、この内3,254人が在日外国人、さらに在日外国人の内1,681人が韓国・朝鮮籍となっています。(但し、帰化人は含まず)

 

 10月5日、その伊丹市議会で、朝鮮学校幼稚部に通う児童一人につき年額20万4千円を補助(現行6万2千円)することを求める請願が賛成多数で可決されたのです!

 伊丹市議の花田こうじろう氏は、その悔しさを以下ようにツイートしていました。

 


https://twitter.com/itami_hanada/status/1313017145995923456

花田こうじろう(伊丹市議会議員)

@itami_hanada

伊丹市議会にて、朝鮮学校幼稚部に通う児童一人につき年額20万4千円を補助(現行6万2千円)することを求める誓願が賛成多数で可決されました。私は当然に反対しましたが、否決できなかったことを議員の一人としてお詫び申し上げるとともに、今後は誓願内容が実現しないよう力を尽くして参ります。
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https://twitter.com/itami_hanada/status/1313310169112092672

花田こうじろう(伊丹市議会議員)

@itami_hanada

誤字訂正「誓願」→「請願」
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https://twitter.com/itami_hanada/status/1313510007598530560

花田こうじろう(伊丹市議会議員)

 
@itami_hanada

皆様の激励のお言葉、心より感謝申し上げます。個別に返信できないこと、お許しください。今後も伊丹のため、日本のため努力して参ります。
なお、会派ごとの賛否を問うお声が多かったので、申し添えます。

賛成:公明党、フォーラム伊丹(社民、立憲等)、共産党、元維新
反対:新政会、創政会、維新

 

 

朝鮮学校幼稚部に通う児童一人につき年額20万4千円を補助(現行6万2千円)することを求める誓願が賛成多数で可決されました。

 

賛成:公明党、フォーラム伊丹(社民、立憲等)、共産党、元維新
反対:新政会、創政会、維新

 

 以下、これについてのネットのコメントがこちらです。

 


ソース:http://seikeidouga.blog.jp/archives/1078004506.html

 

22. 
伊丹市民は日本人差別の行政、市議会に対し、他県他域へのふるさと納税で答えてやってください
川崎民国のように市財政困窮させてほしい


21. 
なんの名目の補助金で毎年20万も外国人にあげるんだよ。子供一人にって言うなら日本人の子供にも渡せよ差別だろ

20. 
氏ごと焼き払ったほうがええんちゃうか

19. 
要求してる奴はその3倍以上の一人につき20万4千円要求してる。まだ間に合う。6万2千円から二十万円そのままの額を半島に流出する前に伊丹市にクレーム入れて阻止せよ!

18.
在日朝鮮人が北朝鮮に金を送金する在日送金を始めた翌年から
横田めぐみさんのような日本人拉致事件が始まった事はもっと徹底周知されたほうが言い。
在日が北に送り続けた金こそが、拉致事件、テロ活動、核兵器開発の原資だろ。


17.
中国に日米の機密情報を売り渡している反日勢力として名前があげられた人たちですね

16. 
在日を帰国させることが最優先だな

14. 
韓国しね❗️

13.
日本人差別

12.
伊丹の第三師団、神戸の震災時の時と同じ「独自」で行動してコレ等「殺処分」願う。
あの時は、ホンマにお世話に成りました(菱型の組織の人も!一番役にならんのがバイブ清美の朝鮮絡みの団体。)


11. 
神戸市といい、兵庫県は日本人が住んではいけない場所だね。

10. 
帰化人の参政権を見直すべきだな
地方自治の背乗りが酷い


15. 
>>10
いや、帰化を取り消す。


9. 
伊丹市議会って
あの森友学園問題の元凶である伊丹空港周辺土地利権を抱える
あの伊丹市?


8. 
兵庫県は朝鮮人の巣窟なんでしょう?

7. 
伊丹市議会
場合によっては消滅させるべきだね
害毒は残すべきでは無い


6.
いい加減、国交すら無いんだから追い出せよ。反日やってる時点で1円ですら税金の投入はあり得ない。実態すら把握してないのにポンポン金出すな😡学術会議もそうだしね😡

5.
投票率の低い地方選挙は左翼が組織票で過半数をこえる議席を取っている。
投票に行かないお前たちが悪い。


4.
めんどくせーな 近隣市で征伐しとけやそんなアホ

3. 
せめて現物支給にすべき!!
まさか現金を幼稚園に渡さないよね!
国の方針に逆らうわけですね。
拉致被害者の取り返しが遠のくのでは?


2.
また大阪か!

1.
左翼やりたい放題、どうして選挙に通るのか不思議。
 

 

伊丹市民は日本人差別の行政、市議会に対し、他県他域へのふるさと納税で答えてやってください

 

伊丹市議会って
あの森友学園問題の元凶である伊丹空港周辺土地利権を抱える
あの伊丹市?

 

投票率の低い地方選挙は左翼が組織票で過半数をこえる議席を取っている。
投票に行かないお前たちが悪い。

 

せめて現物支給にすべき!!
まさか現金を幼稚園に渡さないよね!
国の方針に逆らうわけですね。
拉致被害者の取り返しが遠のくのでは?

 

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■第23回 伊丹マダンのポスター

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■第23回 伊丹マダンの一場面

 

 

 伊丹市は、もともと朝鮮半島出身者が多く、上記のような半島アピールイベントも毎年開催されるような土地柄です。

 今回の請願を仕掛けたのも、「伊丹朝鮮初級学校 オモニ会」という在日の方々だったようです。

 伊丹氏は、外国人による政治介入が公然と行われている典型的な都市と言ってよいかもしれません。

 以下、同会のフェイスブックより引用します。

 


https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1340888892748537&id=360506337453469

伊丹朝鮮初級学校 オモニ会

本日、10月5日(月) 伊丹市議会本会議で「幼保無償化から除外された外国人学校幼稚園に救済処置を求める請願」が賛成15人、反対12人で採択されました。
 本校の校区である、宝塚市に続き伊丹市も幼保無償化から除外された外国人学校救済処置を求める請願が可決されたのは歴史に刻まれる快挙です。この度は色んな方々と団体に支援を頂き、又、多くの市議会議員先生から多大なる協力のもと、議会では幼保無償化の根本的内容とあり方の意義を賛成討論で頂きました。誠にありがとうございます。多文化共生社会を重んじる伊丹市の熱い気持ちが伝わる伊丹市本議会でした。
 オモニ会会長、副会長をはじめ、傍聴に来られた保護者の皆様、関係団体の皆様、ありがとうございます。

 

 

本校の校区である、宝塚市に続き伊丹市も幼保無償化から除外された外国人学校救済処置を求める請願が可決されたのは歴史に刻まれる快挙です。この度は色んな方々と団体に支援を頂き、又、多くの市議会議員先生から多大なる協力のもと、議会では幼保無償化の根本的内容とあり方の意義を賛成討論で頂きました。

 

 今、地方議会では、朝鮮学校への支援を求める、こうした動きが広がっています。

 今年の6月には、伊丹市に隣接する宝塚市で、「外国人学校の幼稚園児にも幼保無償化を適用するよう、市が国に働き掛けることなどを求める請願」が採択されているのです!

 以下、神戸新聞より引用します。

 


外国人学校の幼保無償化、国に働き掛けを 宝塚市議会が請願採択
(2020年6月26日) 

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202006/0013458612.shtml


 

<宝塚市役所>

 兵庫県宝塚市議会は26日、外国人学校の幼稚園児にも幼保無償化を適用するよう、市が国に働き掛けることなどを求める請願を採択した。紹介議員らによると、同様の趣旨の請願採択は全国的にも珍しいという。

 請願は「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」など市内外の17団体が連名で提出した。消費税を財源とする幼保無償化から朝鮮学校やインターナショナルスクールなどを除外することを不公平とし、国連の「子どもの権利条約」などにも反すると指摘。市として国へ働き掛けることと、国の措置があるまでは伊丹朝鮮初級学校幼稚班(伊丹市)などに通う園児を対象に、市から無償化と同等額の支給を要請した。

 請願は、14対11の賛成多数で採択。市民ネット宝塚、共産党宝塚市会議員団、社民党議員会と公明党議員団の各会派が賛成した。たからづか真政会は、学校教育法で「各種学校」である外国人学校は「制度的に幼児教育の質が担保されていない」などとし、日本維新の会宝塚市議団は対象範囲や必要予算が不明瞭として反対。令和安全の会は1人が賛成、1人が反対した。

 採択を受け、中川智子市長は「結果を受け止め、必要な施策を講じたい」と話した。

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■社民党の中川智子・宝塚市長

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■社民党の中川智子の選挙応援にかけつけた面々

 

 

 

兵庫県宝塚市議会は26日、外国人学校の幼稚園児にも幼保無償化を適用するよう、市が国に働き掛けることなどを求める請願を採択した。

 

採択を受け、中川智子市長は「結果を受け止め、必要な施策を講じたい」と話した。

 

 宝塚市の市長は社民党の中川智子であり、議会も公明党を含めた反日パヨク勢力が過半数を占められているのです。

 帰化人を含めて外国人勢力が多く暮らし、日本人が政治に無関心のままでいれば、一地方都市など簡単に乗っ取られてしまうのです。

 日本人になりすました議員の割合も、年々多くなってゆくでしょう。

 だからこそ、しっかりと日本の心を持った日本人の若者を育て、議会に送り出さなければならないのです。

 そうしなければ、この国の未来はありません。

 

 朝鮮学校に対する補助金が何故問題なのか、それは「差別」でも何でもなく、朝鮮学校が犯罪や工作の温床となっているからです。

 以下に、朝鮮学校関係者の犯罪関与の事例をまとめます。
 


■朝鮮学校関係者の犯罪関与の事例

●広島朝鮮高校の指導教員の金徳元が、自分の教え子である朝鮮学校の生徒をヘロインの運び屋に仕立てあげるが逮捕。(1979年)

 

●北朝鮮による拉致事件の一つである 原敕晁(はらただあき)さんが拉致された事件の犯人は、大阪朝鮮学校の元校長 金吉旭(キム・キルウク)である。現在、国際指名手配中。(1980年)
 

●下関の朝鮮初中級学校の元校長 曹奎聖(チョウ・キュウソン)は、覚醒剤密輸で、現在、国際指名手配中。(1998年)

●兵庫朝鮮学園の理事の金基敏が中古漁船、ウラン精製やサリンの材料にもなる物質を不正輸出して外国為替管理法違反で摘発された事件。(2001年)

●池袋の連続強盗事件では、朝鮮大学校の生徒イン・ジュンイチ(20)ら2人が逮捕された。余罪は10件近くある模様。(現在も続く 日本人狩り)(2010年)

●朝鮮学校で40年教えていた教師によると、「朝鮮学校の卒業生の多くが日本人拉致事件に関与している。朝鮮総連の幹部の息子が拉致事件に関与している。」と話している。

 

 

 また、朝鮮学校の関係者による役所などへの集団恫喝は、何かことが起きるたびに繰り返されています。

 こうして獲得した権利が、「在日特権」の一つとして累々と積み重ねられて来たのです。

 


https://twitter.com/github44/status/1292939802921246722

yu-さん

@github44

さいたま市役所に押しかけ抗議の声を上げる在日コリアン・/アーカイブ映像

在日朝鮮人/朝鮮学校/幼稚園/マスク配布問題

 

 

さいたま市役所に押しかけ抗議の声を上げる在日コリアン・/アーカイブ映像

 

 反日をやりながら日本国民の血税をむしり取ろうと吠えまくる・・・。

 これが「多文化共生(=他文化強制)」の正体です。


 朝鮮学校問題の本質は、民族教育と称した反日偏向教育にあります。

 そして、日本で生まれた朝魚羊人の子供たちに、朝鮮半島の非人道的な自国民への虐殺、強制収容所での拷問、飢餓に苦しむ人々の生活は教えず、美化された朝鮮の歴史と、日本が悪いという嘘の歴史を教え、金一族に忠誠を誓わせ、日本を敵視する人間を再生産し続けている・・・。

 これこそが、真の問題なのです!

 朝鮮学校の真の問題を叩き潰さない限り、在日朝鮮人問題は、日本にとって永遠の宿痾として残り続けることになるのです!

ameblo.jp

(実話)外国人がアナタとスリ替わる背乗りの恐怖とは?(マンガで分かる)

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15 2/21 TBS「報道特集」(2)北海道で暗躍した工作員たち

'15 2/21 TBS「報道特集」(2)北海道で暗躍した工作員たち

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*2015年2月21日放送の「報道特集」の特集を文字化テキストにしました。(約30分間)テキストは2回に分けてご紹介しております。今回(2)が最終回です。よろしかったらご覧になってください。聞き取りに間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。写真はテレビより撮影しました。北朝鮮工作員による“背乗り”

【ナレーター】
 北海道は拉致の可能性が排除できない失踪者が81人と全国で最も多い。警察のホームページに記載されているのは北海道内で姿を消したとみられる人たちだが、北海道出身者が他の都府県で北朝鮮の工作事件に巻き込まれ、拉致が強く疑われているケースもある。北朝鮮の工作員が函館出身の男性に成りすましていた西新井事件だ。

      
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 小住健蔵さん。終戦から3年後の1948年、一家7人で樺太から函館へ引き揚げてきた。当時15歳。両親と4人の妹と共に引き揚げ者用の住宅で暮らした。家族思いの兄だった。

【小住健蔵さんの妹・遠山明子さん】
 「(兄は)優しい人ですよ。一つのお菓子でも必ず分けてくれますからね。」

【ナレーター】
 東京へ向かったのは1961年3月。28歳の時だった。東京の会社へ就職が決まり、小雪が舞う中、青函連絡船で旅立った。その後連絡が途絶え、家族は長い間、安否を知ることがなかったが・・。1980年4月、小住健蔵さんの戸籍が函館から東京足立区へと移されていたことを家族は初めて知った。妹の紀代子さんは不審に思いながら電話番号を調べて連絡を入れた。すると―。

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【小住健蔵さんの妹・本郷紀代子さん】
 「小住健蔵の名前で確かに電話は通じたんですよ。だけど本人は働きに行ってるからっていう話で。ただそれだけでした。」

【ナレーター】
 同居人を名乗った男は「小住健蔵さんが独身で日雇いの土木作業員の仕事をしている」などと告げた。

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 函館を離れ、兄は東京でどんな暮らしを送っているのか?気にかけている中、1985年に事件は発覚した。警視庁公安部は北朝鮮のスパイ組織を摘発。押収品の中に小住健蔵さん名義のパスポートがあった。しかし写真は小住さんとはまったく別のメガネをかけた男だった。北朝鮮の大物工作員が小住健蔵さんに成りすまし、小住さん本人は行方不明となっていたのだ。

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【小住健蔵さんの妹・本郷紀代子さん】
 「まさか自分の身内がそういうことにね、(戸籍を)持っていかれるとは思ってないしね。だからもう日本のどこかで殺されているか、(北朝鮮に)連れて行かれてどうにかされて・・。」

【ナレーター】
 別人に成りすます行為を警察用語で“背乗り”(はいのり)と言うが、西新井事件はその背乗りが明らかになった最初の事件だとされる。

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 「我々は“体臭”っていうふうによく使う。(工作員の)臭いが同じだなって。これは本物だろうなという思いはしましたね。

元捜査員が語る 北の工作事件

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【ナレーター】
 当時、捜査にあたった元外事警察官に私たちは接触することができた。テレビの取材に応じるのは初めてだという。捜査の端緒は「小住健蔵なる日本人は北朝鮮スパイ」だという信頼できる筋からの情報だった。調べてみると1980年からの1年間でその人物の暮らしぶりが変わったことが分かった。

【事件を捜査した元外事警察官】
 「戸籍が移動されて、住民票も移動されて、それでパスポートを取る、それから国民健康保険にも加入する、というようなことがあったわけですね。で、また自動車運転免許証も取るというようなことがあって、だいぶ今まで全然姿が見えなかったのが急に出てきたということで、これは何ぞや?と・・。

【ナレーター】
 警察は“小住健蔵”を名乗る人物の行動確認を行ったが、尾行は困難を極めたという。

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【事件を捜査した元外事警察官】
 「もう意図的にまく、走ったり何かしてまくんじゃないんですよね。普通は(交通機関に)飛び乗ったとか飛び降りたとか露骨なことをやるのはいっぱいいますよ。でもまだこれは2級だなと思うけれども。1級クラスになるといつの間にか目の前からいなくなっているという、どこに消えたんだ?と、どこに行ったんだ?と・・。

【ナレーター】
 尾行していた捜査員たちの後ろには、時には韓国の情報当局や、それを警戒する朝鮮総連、また時にはアメリカのCIAが雇ったに日本人の探偵たちがいたという。

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 当時、小住健蔵を名乗る人物に部屋を貸していた家主は「火災報知器の点検で入った時、異様な光景だった」と証言している。(2006年取材)

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【部屋を貸していた家主】
 「ベランダ側の6畳間の座敷のガラス戸、窓側の大きなFMラジオ、アンテナがバアーッと天井の方まで立って窓側に置いてあったんですよ。家財道具は何もないですよ。」

【ナレーター】
 身の危険を感じたのか1983年2月、“小住健蔵”を名乗る人物は海外に出国。東南アジアにある北朝鮮の大使館に入った後、足取りが途絶えてしまった。

 しかし北朝鮮の工作組織を摘発するためその後も捜査は続いた。“小住健蔵”の名前が役員として登録されている会社があり、経営者は在日朝鮮人だった。

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 捜査員たちはこの経営者が日本国内の協力者だとみて行動を確認した。すると深夜に特殊なラジオ放送を聴いていることが分かった。「445号の文を送ります。879 93・・。」

【事件を捜査した元外事警察官】
 「北朝鮮からA-3という暗号の電波が数字を並べた電波が流れてくる。で、その呼出し番号が同一ということで、ああこれは向こう(北朝鮮)からの指示の電波を傍受しているなというような推測がついたわけですね。ですからそういうことから、これは間違いなく工作活動をやっているというふうなことが判明したということですね。

【ナレーター】
 確信を得た捜査員たち。会社の登記簿に虚偽の内容があったという公正証書原本不実記載の容疑で1985年3月(1日)、強制捜査に踏み切った。

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【事件を捜査した元外事警察官】
 「本人の引き出しを開けてみたらば無造作に印鑑が置いてあるからね、普通、実印何ていうのはもっと大事にするものだけども、置いてあるので、何だこれは?と思って(印鑑ケースを)開けてみたらば、こう(紙で)巻いた乱数が表出てきたんですよね。『何だ、これは?』ってこちらは確信を持っていたから言ったら「分かりました」と向こうは。『あそこに無線のアンテナがあります』『あそこにラジオがあります』『海図はここです』と・・。

【ナレーター】
 協力者たちは逮捕された。そして小住健蔵に成りすましていた男について海外の情報機関に照会したところ正体が分かった。チェ・スンチョル容疑者。朝鮮労働党対外情報調査部に所属し“パク”あるいは“松田忠雄”といった偽名を使っていたが、その後、実在する日本人に次々と成りすまし、多くの工作活動を行っていた。

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 その中には1978年に蓮池さん夫妻を拉致した事件も含まれていて、日本政府はチェ・スンチョル容疑者を国際手配している。

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 一方、本物の小住健蔵さんの行方は分からないままだ。

【小住健蔵さんの妹・本郷紀代子さん】
 「半分忘れようとしているのかもしれない。思い出したくないようなところもあるんですよ。今更考えてもどうにもならないのかなあと思うところもあるからね・・。」

【ナレーター】
 元捜査員はこう語る。

【事件を捜査した元外事警察官】
 「ご家族に対しては本当に力が至らなかったというお詫びの気持ちがいっぱいですね・・。」

北朝鮮の工作事件 なぜ北海道で・・

【キャスター・小林悠さん】(スタジオにて)
 「取材にあたりましたHBC北海道放送の三國谷記者です。拉致の可能性が排除できない失踪者の数、北海道が一番多いという事実が紹介されていましたが、私は北海道出身なんですがそれを知らなかったんですね。何故北海道がそれだけ多いということなんでしょうか?」

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【HBC北海道放送記者・三國谷浩司さん】(スタジオにて)
 「まず最初に地形の特徴があると思うんですね。北海道は本州の他の都府県に比べて海岸線が非常に長く、当時人口も少なかったことから、沿岸の警備が大変だったと警察のOBの方が話をしていました。また元工作員から聞いた話なんですけれども、同じ日本海側の北陸地方などと比べても北海道は警備が薄く密入国しやすかったために、距離が遠くても北海道に上陸していたという話があります。」

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西新井事件で背乗り チェ容疑者の実像

【キャスター・日下部正樹さん】(スタジオにて)
 「西新井事件で日本人に成りすましていたチェ・スンチョルという男ですけれども、蓮池さんなどの拉致事件についても何らかのかたちで関わっていた可能性があるということですよね。」

【HBC北海道放送記者・三國谷浩司さん】(スタジオにて)
 「はい、そんなんです。チェ容疑者は朝鮮労働党対外情報調査部という工作機関にいて、当時の幹部から日本人拉致の指示を受け、蓮池さん夫妻を拉致したと言われています。で、またチェ容疑者は1930年代の始めに日本に生まれて日本語も堪能だったという情報もあり、蓮池さん夫妻が拉致された後も一家の監視役をしていたとも伝えられているんです。今日本政府はチェ容疑者を国際指名手配して北朝鮮に身柄の引き渡しを求めているんですが、北からの回答はないままなんですね。」

進まない日朝協議 家族の思いは・・

【キャスター・金平茂紀さん】(スタジオにて)
 「それにしても拉致問題っていうのは現状ではまったく膠着状態ですよね。被害に遭われたそのご家族の状態はどうなんでしょう?」

【HBC北海道放送記者・三國谷浩司さん】(スタジオにて)
 「北朝鮮が調査を約束した去年(2014年)の5月以降、家族たちの期待感は非常に高まっていました。しかし北朝鮮が未だに調査報告を出さないということに家族の怒りは大きくなってきています。で、この間に亡くなった方もいますし、身内が失踪した何十年も前の状況をもう思い出せなくなってきている方もいます。このため私たちの取材も年々困難になってきているというのが現状です。」

【キャスター・小林悠さん】(スタジオにて)
 「特集でした。」

*終わり

【調査会NEWS1806】(27.3.6)より

■崔スンチョル空白の4年間
常務理事 曽田英雄

 「西新井事件」の主犯であり蓮池薫さん拉致容疑で国際指名手配されている北朝鮮工作員崔スンチョル(別名朴)について調べてみると公表されている記録に約4年の空白があり、この間に蓮池さん夫妻の拉致事件が行われていることが分かりました。

 崔の足取りは下記の通りですが、時間経過で見てみると、昭和51年(1976)7月に小熊和也さんが亡くなってから55年4月に小住健蔵さんの戸籍を足立区に移すまで3年8ヶ月の空白があります。かつて警察が作成し、この事件について詳細に記載した冊子「焦点」でもこの期間については触れられていません。国際指名手配されている蓮池薫さん・祐木子さん拉致事件はこの空白の間に行われています。

 昭和46年(1971)から崔は身分を隠して日本人S子さんと同居し、昭和58年(1983)2月に出国するまでは一緒だったわけで、この空白の期間を知っているのはS子さんと共犯金錫斗です。

 この事件ももう一度見直しが必要であると考えています。

-------崔スンチョルに関する年表-------

昭和45(1970)
 夏頃、秋田県男鹿半島から密入国。
 東京都内のゴム会社に就職。
 「松田忠雄」と名乗る。

昭和46(1971)
 S子さんと交際、同居。
 6月、男鹿半島にS子さん家族と訪れる
 夏頃、大阪市内の金錫斗を補助工作員とする

昭和47(1972)
 小熊和也さんを入院させる
 小熊和也を名乗る
 夏、大阪、奈良、京都、滋賀をS子さん家族と訪れる

昭和48(1973)
 1月、熱海、伊豆大島をS子さん家族と訪れる
 小熊和也名義免許、旅券取得行使
 ソ連、フランス等3回渡航

昭和49(1974)
 5月、金錫斗を石川県・羽根海岸から密出国させる
 7月~11月、ソ連等(実際は北朝鮮)に100日以上渡航
 11月、金錫斗が石川県・羽根海岸から密入国する
 12月、金錫斗に小熊さんを北朝鮮へ拉致するように指示

昭和51(1976)
 7月、小熊和也さん死亡
 8月、能登半島、軽井沢をS子さん家族と訪れ、テントを張って1週間滞在

昭和53(1978)
 7月31日 蓮池薫さん・奥土祐木子さん拉致
※この事件では崔スンチョルのみならず共犯者・韓明一(別名韓クムニョン)金ナムジン(どちらも自称)の2人もあわせて国際指名手配されている。

昭和55(1980)
 4月、小住健蔵戸籍を都内足立区に移動
 4月18日、自動車学校入学
 6月5日、免許取得
 6月16日、旅券取得
 マレーシア、タイ、香港、韓国、西ドイツ等6回渡航

昭和56(1981)
 東京都、山梨県で交通違反

昭和57(1982)
 千葉県で交通違反
 6月、S子さんに出させた600万円で都内に装飾品販売会社を資本金500万円で設立、経営は金錫斗とその妻
昭和58(1983)
 2月、マレーシアに向けて出国後所在不明となる

昭和59(1984)
 暮れに大阪のデパートからS子さんに「小住」名で小包が届く

昭和60(1985)
 3月、警視庁は金錫斗を逮捕、朴(崔スンチョル)を指名手配
 7月4日、金錫斗に対し「懲役1年、執行猶予4年」の判決

*特定失踪者問題調査会
http://www.chosa-kai.jp/

aoinomama13.seesaa.net

 

日本から姿を消した「北朝鮮工作員」が、騙した「妻」に贈った小包

核やミサイル開発で連日ニュースを騒がせ、ついに戦争になるのかという不安も高まる北朝鮮。しかし、北朝鮮の脅威はすでに、あなたの隣に迫っているかもしれない……。日本にも数多く潜伏しているとされる北朝鮮の工作員たち。彼らはいったい何者で、どんな生活を送っているのか。元工作員たちへのインタビューを重ねてきた報道記者・作家で『スリーパー 浸透工作員』の著者でもある竹内明氏が、自らの目で見、直接話を聞いた元工作員たちの証言から、日本にも潜んでいる北朝鮮工作員の実像に迫ります。

 

米国ジョージア州アトランタ郊外の田舎町。北朝鮮工作員たちも使う、あるスパイ技術をかつて実践した元スパイが、ここに住んでいる。彼の名は、ジャック・バースキー。現在は60代後半のバースキー氏は、訛りのない英語を話し、私を出迎えた。

[写真]バースキー氏と米国人の妻(撮影:竹内明)バースキー氏(左)と米国人の妻(撮影:竹内明)

彼は、KGBの元非公然工作員だ。東西冷戦下のニューヨークで、米国人「ジャック・バースキー」になりすまし、工作活動を行った。魅力的な笑顔を浮かべる男だが、時折、鋭い視線を私に送った。

1979年、29歳の時にニューヨークに送り込まれた。持たされたのは現金7000ドルと米国人の出生証明書のみ。本物の「ジャック・バースキー」は1955年に脳腫瘍で死んだ子供だった。ワシントンDCの在米ソ連大使館を拠点に活動していたKGB工作員が、その出生証明書を入手し、若きスパイにその身分を与えたのだ。

「私は受け取った出生証明書を使って、公的な身分証明書を入手していった。図書館のカードに始まり、運転免許、旅券、社会保障カード……。メッセンジャーのアルバイトをしながら、大学に入学、生命保険会社に就職した。誰にもKGB工作員だという正体を明かさずにね」(バースキー氏)

バースキー氏は故郷に妻子がいるにもかかわらず、ニューヨークでも結婚。子供をもうけた。はたから見れば、ごく普通のアメリカの若者と同じ生活を送っていたのだ。

このように、工作員が諜報対象国の国民になりすます手法を「背乗り」(はいのり)と呼ぶ。

世界の諜報機関の中でも、この手口を得意としたのが旧ソ連のKGB。それを取り入れたのが、北朝鮮の工作機関だった。冷戦下のKGBが狙ったのはアメリカやヨーロッパ諸国だが、北朝鮮の標的は日本と韓国だ。

そして、工作員たちはときに「妻子」さえも諜報活動をカモフラージュするための道具にする非情さを見せる。今回は、日本で実際に起きた北朝鮮工作員に関する事件とその「家族」の物語をご紹介しよう。

これは、実際に起きた出来事である

「明日、食事に来ませんか?」

都内のゴム靴製造会社でパートタイム勤務をしていたA子は同僚の男に声をかけた。

松田忠雄」と名乗るその男は極めてまじめな、模範的社員だった。身長170センチでやや小太り。浅黒い肌で、ほほにそばかすがある。落ち着いた関西弁を喋り、周囲に安心感を与える男だった。

A子は、これをきっかけに松田と親しくなり、マンションで同棲を始める。実はA子は夫と死別した未亡人で、3人の子供を抱えていた。結婚こそしなかったが、「松田」は子供たちの良き父親になった。正月には和服を着て、A子と子供たちをつれて初詣に出かけた。がっちりした体に和服が似合った。

その、同じ頃――。

「私は北朝鮮にいる貴方の両親や兄弟をよく知っている。私の言うことを聞いたほうがいい」

大阪市内でスプリング製造会社を経営していた在日朝鮮人・金は、突然訪ねてきた「朴」と名乗る男にこう言われた。有無を言わせぬ口調だった。北朝鮮にいる家族の安全のためには、協力するしかない。

実は、この朴こそ、「松田忠夫」を名乗り、日本人の女と同棲して、3人の子供の父親を演じていた男だった。まじめな社員でよき父親である一方、相手の家族を人質に高圧的な口調で迫ってみせる二面性。北朝鮮から送り込まれた工作員なのは明らかだった。

金は朴の指示で、石川県羽根海岸から白い高速船に乗った。到着したのは北朝鮮だ。平壌郊外の「招待所」と呼ばれる施設で、半年間、工作員訓練を受けた。

押し隠しても、無理やり工作員に仕立て上げられていくことへの不満が、にじみ出ていたのだろうか。ある日、朴が平壌にやってきて、金をこう叱りつけた。

「おまえは受講態度が悪い。推薦者である俺の体面を汚すな」

金は訓練を終え、羽根海岸に戻った。以後は「補助工作員」として朴に従う。そして、その工作活動を目の当たりにすることになる。

「本物が日本にいてはマズい…北に送れ」

やがて本国から金に直接指令が飛んできた。「A3放送」と呼ばれる暗号放送だ。

深夜、ラジオのダイヤルを4メガヘルツか、5メガヘルツ帯の短波に合わせると、朝鮮語で5桁の数字が読み上げられる。乱数表で解読するとこう書かれていた。

「朴の周辺を敵がかぎ回っていないか点検せよ」
「敵の動きがおかしい。活動を控えよ」

「敵」というのは、公安警察を指していた。金は朴の防衛役だった。

朴は東京・山谷に出入りしていた。そこで行き倒れていた小熊和也さんを発見、病院に入院させて、親しくなった。補助工作員となった金は、朴に付き添って小熊さんの実家がある福島県に行き、両親に会った。朴はこう言った。

「私は東京で船会社を経営していて、息子さんに働いてもらっている。息子さんの戸籍が福島県にあると不便なので、東京に移してもらいたい」

こうして「小熊和也」という人物の戸籍は東京に移った。

朴はその戸籍謄本を使って、旅券と運転免許を取得してしまう。もちろん写真は朴のものだ。朴は、金にこういった。

「本物が日本にいてはマズい。小熊を本国へ送れ

だがこの計画はうまくいかなかった。北へ連れて行く前に、小熊さんが病気で死亡、死亡届が出てしまったのである。

朴は新たな身分獲得に動いた。それが昭和36年頃から行方不明になっていた日本人「小住健蔵」さんの身分である。

朴は北海道にあった小住さんの戸籍を、東京・足立区に移し、「小住健蔵」名で再び旅券と運転免許を取得した。

[写真]警察が当時公開した「小住健蔵」名義の運転免許証。写真は工作員・朴のものだ警察が当時公開した「小住健蔵」名義の運転免許証。写真は工作員・朴のものだ
[写真]警察が当時公開した「小住健蔵」名義のパスポート警察が当時公開した「小住健蔵」名義のパスポート

戸籍移転の事実を知った小住さんの姉と妹が電話番号を調べて、電話をかけてきたことがあった。応対した朴は、電話口でこう言ったという。

「小住さんはいま、麻雀にでかけている」

 

不審な「家族旅行」の中身

一方、「松田」としての朴と同棲していたA子は、内縁の夫の不審な行動に気づき始める。

「松田」は車の運転が好きで、よく家族旅行に出かけた。秋田県男鹿半島、大阪、奈良、京都、熱海、大島、能登半島……。

能登半島ではテントを張って、1週間ものキャンプ。子供たちを海岸線に立たせて、写真やビデオをやけに熱心に撮った。これが工作員の「浸透」(不法入国)や「復帰」(本国への帰還)に使われる砂浜であり、撮られた家族写真が、下見の写真として北朝鮮に送られることなど、妻子が知るよしもなかった。

実は、A子は「松田」が複数の名前を持っていることにも気づいていたという。「松田忠夫」「小熊和也」「小住健蔵」……。次々と異なる名前が男の周囲に浮かんでは消えた。それでも、A子は「松田」と結婚したかった。しかし、「松田」は頑として入籍を拒否、「信用してくれ、きっと君を幸せにする」と言い続けた。

やがて内縁の夫である「松田」は「会社を設立する」と言って、A子に金を無心する。A子は「松田」に尽くした。貯金を切り崩して、600万円を「松田」に渡したのだ。

昭和57年、「松田」は都内に装飾品販売会社を設立。自ら社長におさまったものの、仕事はA子と金に任せきりで、いつも売り上げだけを回収しては、どこかに持ち去っていた。

動き出した公安部外事二課、そしてCIA…

警視庁公安部外事二課、通称「ソトニ」に情報をもたらしたのは、韓国国家安全企画部だった。

「足立区西新井に在住する『小住健蔵』なる男は北朝鮮の工作員である」

外事二課が内偵捜査を始めると、奇妙な事実が浮上した。公安部に先行して、謎の男たちが調査に動いていたのだ。謎の男たちは、一見して日本人だった。だが、当時捜査に当たった捜査員は、こう断言する。

「あの男たちは、CIAだった」

自らも情報機関を持つ米韓両国は、日本当局が事実を知るはるか以前から、「小住健蔵」と名乗る男が北朝鮮工作員であることを割り出していたのだった。

包囲網はせばまっていた。だが昭和58年、「小住」は行方をくらます。「小住健蔵」名義の旅券でマレーシアに出国したのだ。2017年2月、金正恩労働党委員長の異母兄である金正男氏が暗殺された場所でもあるマレーシア・クアラルンプールは、北朝鮮工作機関のアジア最大の拠点だった。

外事二課は補助工作員だった金を逮捕。容疑は、公正証書原本不実記載だった。「会社の登記に嘘がある」という微罪である。判決は懲役1年、執行猶予4年。これがスパイ防止法を持たない、日本の限界だった。

この事件は通称「西新井事件」と呼ばれている。朴、あるいは「松田」と名乗っていた男に「背乗り」された、本物の小住健蔵さんは北朝鮮に拉致された可能性が高いと外事二課は見ている。しかし真相は分かっていない。

 

すべてが終わって、届けられた「小包」

北朝鮮工作員の自称「朴」(のちに対外情報調査部所属の「チェ・スンチョル」と判明)と、A子やその子供たちとの生活も、こうして突如、終焉を迎えた。

冒頭に紹介した、KGBの元秘密工作員ジャック・バースキー氏は、旧ソ連本国から帰国を命じられたとき、放置されることになるアメリカでの妻子の将来を考えて、命令を拒否、とどまることを選択した。

「私がモスクワに戻ったら、妻と子供はどうなってしまうのか、と考えました。生活が成り立たなくなります。だから私は『感染症にかかってアメリカで治療する必要がある。KGBを退職したい』と申し出ました。それきり連絡を絶ったのです。もちろん暗殺されることを心配しましたよ」

バースキー氏は、私にこう語ってくれた。彼は暗殺のリスクをおかして、家族との生活を優先したのだ。ときに冷酷な脅迫や破壊活動を行う工作員であっても、一皮むけば感情を持つ生身の人間であることが、スパイという仮面を脱いだバースキー氏の坦々とした言葉から、強く感じられた。

日本に潜伏していた工作員「朴」は、14年もの間、ともに暮らしたA子と3人の子供にどんな感情を抱いていたのだろうか。スパイ活動の道具とみなしていたのだろうか。それとも、バースキー氏のように心の底では愛情を抱いていたのだろうか。

事件が発覚した後、A子のもとに、ひとつの小包が届いた。それは大阪のデパートから送られた、ささやかな贈り物で、差出人欄には「小住健蔵」と書かれていたという。

※自称「朴」ことチェ・スンチョル工作員は、今回取り上げた西新井事件および蓮池薫夫妻拉致事件で現在も国際手配中である。参考:警察庁「国際手配被疑者一覧」http://www.npa.go.jp/bureau/security/abduct/wanted.html

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西新井事件 - Wikipedia