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【作曲家・政治家・社長・女将】歴史に残る謝罪会見を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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信じるか信じないかはあなた次第

 

 

 

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 【作曲家・政治家・社長・女将】歴史に残る謝罪会見を漫画にしてみた(マンガで分かる)@アシタノワダイ

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佐村河内守、自宅が差し押さえられ売却…行方知れずの「現在」

佐村河内守

“現代のベートーベン”として時の人となった佐村河内守。彼が作曲したという『交響曲第1番《HIROSHIMA》』は当時、累計出荷枚数18万枚超えとクラシックでは異例のヒット。しかし、彼のプロフィールが真っ赤なウソだと明らかになった、'14年2月の“代作騒動”。

「私は、佐村河内さんの共犯者です」

 と会見で語った作曲家の新垣隆氏。18年にわたり楽曲のゴーストライターを自分がしていたこと、佐村河内氏の耳が聞こえていないというのもウソだと暴露した。

この影響で、全国ツアーを予定していた大阪市の企画会社が、佐村河内氏に約6100万円の損害賠償を求めて提訴。大阪高裁は'17年に約4200万円の支払いを佐村河内氏に命じる判決を下しました」(全国紙記者)

'19年2月にすでに売却

 佐村河内氏は現在、どうしているのだろうか? 以前に住んでいた横浜市にある分譲マンションを訪ねると、

その人なら引っ越されていますよ。私はその後に入居したので、まったく知りません

 登記を確認すると'18年に差し押さえられ、翌年2月に売却されていた……。

 また、佐村河内氏は'16年10月に、日本音楽著作権協会(以下、JASRAC)に対し、楽曲使用料などの支払いを求めて提訴している。

実際に、作曲していたのは新垣さんだったため、JASRAC側は権利がどこにあるのかが不明だとして契約を解除していました。新垣さんは、権利をすべて佐村河内氏に譲渡するとしたのですが、使用料の支払いはされていなかったのです」(前出・全国紙記者)

 裁判は'17年3月に、JASRACが著作権料を支払うことで和解。支払金額は、784万2844円。

 もう一方の当事者である新垣氏は、暴露後にさまざまなバラエティー番組に出演し、騒動について語った。“ゲス不倫”の川谷絵音らとテレビ番組をきっかけに結成したバンドのメンバーとしても活動するなど、ゴーストライターから一躍、活動の幅を広げた。

 新垣氏の兄である茂さんに話を聞くと、

弟は当時のことについて、聞かれれば話しますが、自分から触れることはありません。もうお別れをしたわけですから、あとは自由に頑張ってくださいとしか言えませんね。佐村河内さんからの連絡? 

 当然ありませんよ。

 楽曲の権利については作曲した際にお金はもらっていたので譲渡する形になりました。『HIROSHIMA』を含むクラシック楽曲も同様に財産権は手放しています。ただ、佐村河内側は共作だと主張していますが、作曲は新垣が単独で行ったものです。別段、争っているわけではありませんが……

 佐村河内氏は数年前、プロレスラーのザ・グレート・サスケの入場曲を作曲したようで、それ以降は音さたもないままだが、どこかで隠遁生活を継続しているのか……。

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ユッケ集団食中毒事件 “逆ギレ・土下座”社長の生半可経営

「法律で、生食用というか普通の精肉をユッケとして出しているものを全て禁止すればいい!」
 金沢に本社を置く焼肉チェーン店『焼肉酒家えびす』で、腸管出血性大腸菌O111により4人の死者と98人の患者(5月7日時点)を出した集団食中毒事件。
 5月2日に行われた釈明会見で、えびすを経営するフーズ・フォーラスの勘坂康弘社長は「数え切れないほどの人殺しというメールをいただきました…」と切り出し、謝罪が始まるのかと思いきや、冒頭のごとく逆ギレ。しかし6日に4人目の死者の知らせを聞くや、いきなり土下座の謝罪…。この豹変ぶりと、何より逐一周囲をドン引きさせる態度には呆れるばかりだ。

 勘坂社長が「すべてのお客様に愛を、店舗スタッフへ感動を」をキャッチフレーズに、富山県高岡店をオープンしたのは'97年のこと。翌年には金沢市にフーズ・フォーラスを設立し、'00年には資本金を1000万円に増資、株式会社とした。学生時代はディスコで黒服のアルバイトをしていたという勘坂社長は、外食系サイトのインタビューで、自信ありげに語っていた。
 《お客様に目一杯サービスをすると、『今日は楽しかったわ』などと言われて笑顔で帰られるのですね。お客様が凄く喜んでいただくのを見る度に、こちらも楽しい気分になる。『おっ、彼女たちは俺のファンになったんじゃない?』などと、ほとんどナルシストの世界ですね(笑)》

 確かに会見を聞いていても的外れのナルシスト。すでにこの辺りでもその片鱗を覗かせている。
 かくして5月6日、富山・福井両県警の合同捜査本部は、業務上過失致死容疑でフーズ・フォーラス本社や富山・福井の店舗に加え、同店に牛肉を販売した東京都板橋区の食肉卸売業者『大和屋商店』を家宅捜索する運びとなった。しかし、大和屋商店は「熱加工用の肉を扱っており、生肉として売った覚えはない」とし、えびす側はあくまで生肉として買い入れたと主張。言い分は平行線をたどっているが、大方の見方は、
 「生食用ならトリミングしてアルコール除菌するはずですが、何もしていなかったとなると、あまりにずさんすぎて、えびすサイドの言い分は信用できない。加熱用の肉を買っていたと勘ぐられても不思議はない」(社会部記者)
 という向きだ。

 責任のなすり合いはともかく、我々にとって気になるのは、今後の生肉に対する意識だ。
 腸管出血性大腸菌による集団食中毒といえば、'96年に大阪府堺市の学校給食で起きたO157による食中毒事件。この年は記録的な猛暑で、全国で7996人が感染し3人が死亡した。
 「このO157、今回問題となった111ともに、腸管出血性大腸菌である点で共通しており、O抗原は現在170種類以上発見されています。その中で、111は111番目に発見されたもので、157は157番目に見つかった細菌。これらは簡単に胃を通過して小腸に達し、大腸に定着する。大腸に入ると最初の3日間は水溶性の下痢が続きますが、その後血便が出て七転八倒する苦しみが続きます。ベロ毒素を出し、溶血性尿毒症を併発して、さらに酷くなると脳症にまで重症化する。こうなると大半の患者は死亡します」(医療機関細菌研究者)

 発症するのは子供と老人が多い。43歳の女性はいるものの、他に死亡したのは就学前の児童と6歳児、そして70歳の老人だった。
 水溶性の下痢が続いている時はまだ菌が増殖していないので、抗生物質で治療することができるという。
 「111も157も、もともと牛の糞便にいる常在菌。最近はブームもあってホルモンの消費が増えていますが、よく焼いて食べないとあたります。また、レバーもカンピロバクターという細菌がいるので生食には適しません」(同)

 肉店などでユッケなどの生物を調理する場合は、トリミングといって肉の表面の薄皮を剥がす。これは食中毒を防ぐための安全策だ。その際、使用した包丁やまな板はよく消毒することが厚労省の衛生基準に盛り込まれているが、そもそも『焼肉酒家えびす』ではトリミングを行っていなかった。しかも、この2年余り、細菌検査も行っていなかったというのだ。 4月18日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ)では、司会の島田紳助が「1皿100円」の同店を大絶賛していた。安かろう悪かろう、という言葉があるが、実際、それが事実であれば問題。世の中には、努力で安く提供している店もたくさんある。

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『深イイ話』の「焼肉酒家えびす」タイアップに"絶対権力者"島田紳助はどう関与したか 

紳助、いよいよピンチか。

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 ユッケによる集団食中毒事件で4人の死亡者を出した「焼肉酒家えびす」。同店の認知度・信頼度アップに、日本テレビ系の『人生が変わる1分間の深イイ話』が関与していたというのはすでに報じられている通りだ(記事参照)。さらに、この"宣伝"が、同番組司会の島田紳助主導で行われたという疑惑がわいている。

 今ではさほど珍しくない激安外食チェーンを『深イイ話』で特集すること自体違和感のある話なのだが、加えて、同店の"ヨイショ話"を島田紳助はじめ、出演者全員が絶賛、"深イイ話"として認定したのだ。これを受け、テレビ関係者から「視聴者の投稿という体をとっていたが、実際には大手広告代理店とえびすを運営する『フーズ・フォーラス』の宣伝のタイアップ」との情報が流れた。

 名前が挙がったのは、電通系のタイアップ専門の関連会社。ところが、同社関係者は「ウチは全く関係ない」と否定。紳助の番組はタイアップを持ち込んでも、紳助が絶対的な権力を持っているために、彼が「うん」と言わないと実現しない。実際にタイアップが実現した試しはほとんどないため、今は案件があっても話を持っていかないという。

 同じく紳助が司会をする『紳助社長のプロデュース大作戦!』(TBS系)や『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)で紹介されるグルメやお店も、紳助自身の持ち込みや、実際に紳助が気に入ったものが大半だと言われている。金にセコイと言われる紳助のこと、番組で取り上げることで、バックマージンを発生させているのではないかと疑いたくなる。紳助をよく知る制作会社プロデューサーは、紳助のグルメやお店の情報集めの方法について、語ってくれた。

 

「紳助は、週末に大阪の北新地にある高級クラブ『W』に行くんです。この店の幹部がグルメやお店の情報に詳しくて、紳助に教えているんです。食中毒事件を起こした『焼肉酒家えびす』も幹部の情報ですよ」

 この制作会社プロデューサーは、「タイアップ案件に限らず、番組プロデューサーや制作会社スタッフがいいと思う企画を持ち込んでも、紳助の了承が得られないとなかなか実現しない」という。その背景には、番組の利権を私物化しようという紳助の魂胆を垣間見ることができる。『深イイ話』の「焼肉酒家えびす」の企画は、「W」の幹部を通じて紳助自身が持ち込んだという疑惑は膨らむばかりだ。だからこそ、出演者全員が絶賛した、いや絶賛させられたのだろう。

 事件直後、日テレの番組公式サイト上からは4月18日に放送された「焼肉酒家えびす」の記述が削除された。どういう経緯で同企画が放送されたのかを追及されれば、紳助の責任の有無も明らかになるだろうが、日テレはうやむやにするつもりのようだ。食中毒の被害者の中には、『深イイ話』を見て、「焼肉酒家えびす」に食事にいった人たちもいるとの報道があったのに、だ。

 前述の疑惑が「事実無根」と言うのなら、番組製作に深く関与していた紳助自身が自らの口で、真実を明らかにすべきだろう。そして、被害者や視聴者への謝罪と番組打ち切りを自らの権限で行うことが、"絶対権力者"島田紳助がつける落とし前としては、せめてもの"潔イ話"になるのではないだろうか。(文=本多圭)

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『船場吉兆』息子が初告白!「ささやき女将事件」の舞台裏と家族再生の物語

母に怒った兄

先日、母と電車に乗って、創業者である祖父のお墓参りに行ってきました。そこに向かう電車の中で、母と「廃業してから、もう7年か。早いもんやなあ・・・」と話していたところです。あの時の罪滅ぼしという気持ちもあるのでしょう。母は時間があれば神社仏閣に足を運んでおります。

父も母も、現在は年金暮らし、飲食業にはまったく携わっていません。兄は、飲食業から足を洗って、現在はまったく違う業界で勤め人をしています。

もちろん、あの時お客様にかけた迷惑は忘れてはおりませんが、私たち家族にとっても、あれはつらい出来事で…。最近のことですよ、ようやく冷静に思い返して、家族であの事件について話せるようになったのは。

07年10月、販売する惣菜などの食品偽装が判明したことを皮切りに、原材料偽装や料理の使い回しが発覚する大騒動を起こした、大阪の老舗料亭「船場吉兆」。同年12月に開いた謝罪会見で、記者からの質問に答えられずにいた取締役の湯木喜久郎氏を助けようと、名物女将である母の佐知子氏が隣で、

「大きい声で」「記者の眼を見て」「頭が真っ白になったと(言いなさい)」

と、コソコソと囁く姿が世間をにぎわせた。この「ささやき事件」後も船場吉兆は経営を続けたが、一度失った信頼は取り戻せず、08年5月に廃業した。

あれから7年。当時船場吉兆の取締役で、湯木喜久郎氏の弟・尚二氏が、大阪・北新地で飲食業を再開。あのとき、家族はどんな心境だったのか、尚二氏は、どん底からどうやって立ち上がったのか。いままで明かされなかった「船場吉兆ファミリー」のドラマについて、尚二氏が初めて口を開いた――。

当時の吉兆は、イケイケドンドン、でした。料亭の経営だけでなく、有名百貨店で「吉兆ブランド」の商品も手掛けていましたから。では、なぜ「料理の使い回し」などの問題を起こしてしまったのか。

決して業績が悪かったわけではないのです。事業拡大にともない、ひとつひとつの現場に目が届かなくなっていたことが原因でした。

使い回しが発覚した時、その対応をめぐって家族が割れました。しっかりと世間様に向けて包み隠さずに話すべきだという意見と、愚直に商売をやっていれば、お客様にはわかってもらえるはずだという意見に分かれたのです。

そうやって身内でゴタゴタしているうちに、報道が周辺取材をはじめてしまい、内部事情がいろいろと書かれてしまった。なかには事実無根の報道もありました。そこで、しっかりと事実を伝え、皆様に謝罪をしようと、あの会見を開いたのです。

ところが、いわゆる「ささやき」と言われる母の所作に、思わぬ注目が集まってしまった。兄は職人気質で、あまり多くを語らない人です。あれだけの報道陣が集まる中、さらに緊張してしまい、言葉が出てこなかった。そこで、母が兄を心配して助言をしたつもりが……。

会見の後に、兄は母に向かって怒っていましたね。「あんなこと(ささやき)をしなくても大丈夫だったのに!」と。家族みな、あの時は感情的になっていたのです。ワイドショーも数えきれないほど取材に来ましたし、中には母のキャラクターに着目し、「お母さんの携帯ストラップを作りませんか」なんていう、人を馬鹿にしたようなオファーも来ました…。

 

 月給15万円からの再スタート

会見後もしばらくは『船場吉兆』として商売を続けていましたが、失った信頼はなかなか取り戻せません。負債は8億円ほどに膨らみ、店を畳まざるを得ませんでした。08年5月のことです。

これで一家離散かな…。そう思ったこともありました。廃業後数ヵ月は、なにも手につきませんでしたね。貯金は、100万円を切りました。

ああ、これからどうやって生きていくのか。そう途方に暮れていました。

そんな時に、昔から懇意にしてくれた外食チェーンの経営者の方が「時間が余っているなら、うちの店を手伝ってくれ。『吉兆』で学んだ料理のイロハを生かしてほしい」と声をかけてくださったんです。08年秋のことでした。

月給は15万円。確かに、高くはありません。それでも、飛び上るほど嬉しかったんです。お金を貰って働くということの喜びを、もう一度かみしめたのです。

それを機に、人生の見え方が変わってきました。悩んでいても仕方ない、とにかく前を向いて歩こう。そう決意して、『(株)プラス思考』という個人会社を作りました。その外食チェーンで働いたことをきっかけに外食のコンサル業をはじめて、それで生計を立てていました。

 

飲食店の仕事を手伝ううちに、やっぱり自分でもう一度お店をやりたいという気持ちが強くなってきました。そこに、10年の秋に知り合いの不動産業者が「もともと小さな鮨屋だったところが空いたから、料理屋をやってみないか」と声をかけてくださったんです。

湯木尚二さん

大阪・難波に、6坪、カウンター6席の、本当に小さな店を開きました。もう一度心を改めて、やりなおそう。一生懸命、初心に戻って働きました。そうすると、少しずつ、お客様が来てくれるようになったんです。吉兆時代のお客様も、足を運んでくれました。

『あの時は大変だったね。でも、この味をみると、君の気持が伝わってくる。絶対にまたやり直せるよ』と声をかけてくださる方もいて。それが嬉しくて嬉しくて…。

次第に商売も軌道に乗って、おかげさまで現在、3店舗を構えるまでになりました(北新地の『日本料理 湯木本店』『日本料理 湯木新店』肥後橋『ゆきや』)。吉兆時代のスタッフも、何人か戻ってきました。みんな、もう一度やり直そう、と意欲に燃えています。

 いつかまた、家族で…

先日、昔懇意にしていただいた食器屋さんから、連絡がありました。

「昔、吉兆さんで使われていた器を見つけました。この器は、湯木さんに使ってもらいたいんや」

涙が出ました。同時に、船場吉兆はこんなに多くの人に支えてもらってたんやな、と改めて気づきました。

北新地「湯木」の個室

7年前の事件は、絶対に忘れてはいけません。我々の慢心が、あの事件を招いたのですから。でも、だからといって船場吉兆のすべてを否定することは、私にはできないのです。

祖父から受け継がれる、料理の味と食への探求心、それは引き継いでいきたい。『船場吉兆』と聞くと、いまでもいいイメージを持たれない方もいらっしゃるでしょう。そうした方々にも、いつかは『湯木』に足を運んでいただけるように、これからも精進していきます。

お話した通り、父も母も、現在は年金暮らし、飲食業にはまったく携わっていません。ただ、時々お昼に私のお店に食べに来ます。先ほど申し上げた通り、兄はまったく別の仕事をしていますが、いつかはまた兄弟で店をやることができれば…そんなふうに思っています。

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自宅に引き籠もり生活 “号泣県議”こと野々村竜太郎氏は今

全世界に泣きじゃくる姿をさらし、地方議会の政務調査費の闇を世間に知らしめたのが、野々村竜太郎元兵庫県議(51)だ。2016年7月に、詐欺罪で懲役3年、執行猶予4年の判決を受けた。現在は、大阪市に住む「ののちゃん」に会いに行ってきた。

「ウワーん。ワァーん、ビェーん、ワァーん」

 14年7月、大の男、それも地方とはいえ、れっきとした政治家が子どものように泣きじゃくる様子は、当時、日本中を凍りつかせたものだ。

 この“キレ芸”を炸裂させた野々村元兵庫“号泣”県議は、結局、「カラ出張」で政務調査費を詐取した罪で、有罪判決を受けた。

 彼は今、大阪市住之江区の集合住宅に住んでいる。その自宅を直撃したのだが、何の返答もない。しばらく自宅前で待っていると、警察官がやって来た。

 

「あの? 住民の方から連絡が来まして。どこの社の方でしょうか?」

 通報主は野々村氏のようだ。警察官に事情を説明すると、心なしか半笑いで、「分かりました」とだけ答えて去っていった。

「野々村さんは事件以来、ずっと自宅で引き籠もっていますが、その足音で家族、団地の住人、警察官、営業マン、マスコミ……と聞き分けられるそうです」(地域住民)

 これまでにも5回ほど、野々村氏の自宅を直撃している。

 その都度、チャイムを鳴らし、ノックをし、名刺をドアに入れているが、一度も反応することはなかった。明らかに人の気配がするにもかかわらず、だ。

 確かに野々村氏は在宅しているのだろう。自宅前で待ち伏せていると、必ず警察官がやって来る。そして「どこの社ですか?」と問いただされるのだ。

 

「夜中なら運がよかったら会えるかもしれへんで。でも、どうもマスコミさんが来ていると分かるみたいやな。そういうときは、絶対、表には出はらへんみたいなんや。深夜でも帽子にマスク姿で歩いてはるから、近所の住民からしたら余計目立つんやけど(笑い)」(前出の地域住民)

 モノは試しと近隣住民にドアをノックしてもらい、ドアに記者の名刺と手紙を入れてみた。すると、中からこれを取り出す様子が分かった。

 きっと、野々村氏本人に間違いないだろう。

 やはり、マスコミ関係者とそれ以外とは音と気配で区別できるようだ。

「ご両親の年金で暮らしてはると聞いています。事件があったにしても一度は“先生(議員)”だった方ですから。結構、おカネも持ってはるのとちゃいますか」(前出の地域住民)

詐取した公金はすべて返金。これにより「執行猶予を勝ち取った」(弁護士)という声もある。

 事件後の裁判では、その弁護士費用についても取り沙汰されたものだ。

「国選弁護人なので無料ですよ。弁護士は記者団に揉みくちゃにされ車を傷だらけにされたと激怒していました。政調費の使い道だけではなく、マスコミ報道のあり方にも一石を投じた地方政治家として名を残しています」(地元紙記者)

 政治家とは実績だ。これだけの実績と名前もある。もしかすると政界復帰も、射程圏内かもしれない。自宅のドア越しにこのことについて聞いてみた。

「……」

 やはり無反応だった。

「もう追い回すの。堪忍したりいな」(住民)

 やはり政治家、今でもがっちり住民の心を掴んでいるようだった。

(ジャーナリスト・秋山謙一郎)

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