信じるか信じないかはあなた次第
(漫画)あの大物司会者の妻が超絶ヤ●マンだった件(マンガでわかる)
立川 志らく
(本名・新間 一弘〈しんま かずひろ〉、男性、1963年8月16日 - )は、日本の落語家、映画評論家、映画監督、コメンテーター。
落語立川流、ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。出囃子は『花嫁人形』。日本映画監督協会にも所属。
初婚は大学生在籍時、バツイチ。
現在の妻は女優の酒井莉加。血液型O型。身長168cm。東京都世田谷区出身。
来歴
父親がギタリスト、母親が長唄という芸人の家庭で育ち、中学生の頃から落語と映画を好きになる。
落語については、小学校高学年の頃から父親が落語好きで家にあった落語の本とレコードで親しみ始めたという。
祖父は昭和の名灸師である深谷伊三郎。
世田谷区立山崎小学校、世田谷区立山崎中学校を卒業後、日大三高から日本大学芸術学部演劇学科に進学、落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属する。
1985年10月、4年生の時、同サークルのOB高田文夫の紹介で7代目立川談志に入門し、前座名立川志らく(師匠の談志がフランスの政治家、ジャック・シラクにちなんで命名したという。)を名乗る。
大学はその後中退。
1988年3月に二つ目、
1995年11月に真打昇進した。
2001年彩の国落語大賞受賞。
1990年代には兄弟子朝寝坊のらくと立川談春とともに立川ボーイズを結成、深夜番組『ヨタロー』に出演、その後、真打昇進までは古典に打ち込み、真打昇進後はシネマ落語等の分野を開拓。
1992年、彼を筆頭とした落語家らで「“超”放送禁止落語界」と題した寄席を開催。
皇室罵倒、差別用語連発の演目を披露「9月にも開催予定だが、もし無くなったら何者かのクレームにより演者が危急に陥ったと云々」と笑いを取っていたが、会場に居合わせていた部落解放同盟関係者が演目を全て録音、同団体からの糾弾を受ける。
2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動している。
2014年現在まで16回の公演を数えている。
2015年1月から独演会「立川志らく落語大全集」を開始。
16年かけて203席を演じる予定。
一門
2019年5月20日、自身のTwitterアカウントで、自分が主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことを嘆くツイートを投稿。
その上で「全員、破門にするか前座に降格するか、である。どうせ師匠は優しいから謝れば許してくれると連中はなめている。
数年前、同じ騒動が持ち上がった時、破門通達したが皆泣いて詫びたから許してしまった。あの時、破門にしとけばよかった」と、二つ目の弟子全員を降格もしくは破門にする考えを明らかにし、翌21日のツイートで二つ目全員を前座に降格させたことを投稿した。
その後、同年7月1日付で志獅丸を真打に昇進させ、志奄、らく兵、らく人、がじらの4名を二つ目へ戻した(志ら門、志ら鈴は「二つ目に昇進したばかり」との理由で、この時点では二つ目に復帰させなかった)が、翌2020年1月1日付で志ら門、志ら鈴も二つ目に復帰させた。
なお、後述する「↓」印はこの騒動により前座に降格した者を表す。
真打
立川志らら
立川志ら乃
立川こしら
立川らく朝
立川志ら玉
立川らく次
立川志らべ
立川志獅丸↓
二ツ目
立川志奄↓
らく兵↓
立川らく人↓
立川がじら↓
立川志ら門↓
立川志ら鈴↓
前座
立川志ら松
立川らくぼ
立川らくまん
立川志らぴー
卒業
立川らく坊(一番弟子)
立川らく丸(三番弟子)
立川らく吉(四番弟子)
立川こらく
立川らくみん
立川らく葉
立川怒志
立川らく者
らく塾(一般人)
上記の者以外にも、志らくのファン向けの落語教室「らく塾」受講生で、志らくから名前をもらったものがいる(家元存命時の「Cコース」に相当する)。
また、志ら乃・らく朝・らく次・らく兵など、らく塾受講生から正式に入門した者もいる。
立川らく生(粉川真一、MRTアナウンサー)
なお、
今回の主役は「立川ウォルター」の模様
アシタノワダイは見つかりましたか?