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【侍ジャパン】イチローVS星野仙一。イチロー「彼が監督なら出場しない」と言った理由を漫画にしてみた【WBC】

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「野球の厳しさを教えないと」2009年のWBC日韓戦でイチローが“普通はやらない”プレーを行った理由

 MLBで驚異的な成績を残し、野球の世界一決定戦WBCでもチームの中心選手として注目され続けたイチロー。2009年大会の決勝戦で、緊迫する試合展開の中、優勝を決める決定打を放った瞬間が記憶に焼き付いている野球ファンは多いだろう。しかし、彼が真骨頂を見せたのは、その直後のワンプレーだった……。

 ここでは、25年以上にわたって野球記者として活躍する小西慶三氏の著書『イチロー実録 2001-2019』(文藝春秋)の一部を抜粋。殊勲打を放った直後にイチローが見せた、韓国代表への思いを込めたワンプレーについて紹介する

 

もう一度、本気で世界一を奪いにいく

 イチローが怒っていた。

 2008年10月18日、彼の自宅でのインタビュー。テーマは、混迷を極めていた第2回WBC日本代表の監督選考だった。

「『最強のチームを作る』という一方で、『現役監督から選ぶのは難しい』では、本気で最強のチームを作ろうとしているとは思えない。矛盾した行為ですよ」

 WBCの価値は出場する者たちがつくっていくべきだ。そこで戦う日本代表も、選ばれることが名誉なものにしなければならない―。イチローの考えは2006年第1回大会参加から一貫していた。

「もう一度、本気で世界一を奪いにいく。WBC日本代表のユニホームを着ることが最高の栄誉である、とみんなが思える大会に自分たちで育てていく。シンプルなことなんですけどね」。その口調は、秋の穏やかな夕暮れには似つかわしくない熱っぽさだった。

©文藝春秋

 

五輪はアマチュアのもの、WBCはプロで戦うもの

 第1回大会は、“失点率”という特殊ルールに助けられての優勝だった。それがフロックでなかったと証明するという点でも、日本代表にとっての第2回大会は大きな意味を持っていた。しかも1回目と比べものにならないほど国内での注目度は高いというのに、結成前からなぜこうも難航するのか……。イチローの疑問といら立ちは、当時の日本の野球ファンとそう変わらなかっただろう。

 WBC日本代表監督選考会議は9月から数回招集され、10月半ば時点までには北京五輪で指揮を執った星野仙一氏の就任が既定路線となっていた。

「大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなんて不可能でしょう」

 星野監督が北京五輪準決勝での韓国戦に臨む前、「リベンジしますよ」と語っていたことで、このイチロー発言が“星野外し”を意図したものと一部では受け止められた。しかし以前から「五輪はアマチュアのもの、WBCはプロで戦うもの」と線引きしていた彼は、そんな狭い視野でこの問題を考えていなかった。

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あの激戦をもう1度 2009年・第2回WBC™ 連覇をたぐり寄せたイチローの決勝打

2023年3月に開催が予定される「ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)。2017年に行われた前回大会に出場した16チームには自動的に参加資格が与えられており、野球日本代表「侍ジャパン」トップチームも栗山英樹監督の下、最強の侍ジャパン結成を目指し、着々と準備を進めている。

写真提供=Getty Images

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第2回大会は原辰徳監督が指揮、メンバー28人のうち5人がMLB選手

 2023年3月に開催が予定される「ワールド・ベースボール・クラシック™」(以下WBC)。2017年に行われた前回大会に出場した16チームには自動的に参加資格が与えられており、野球日本代表「侍ジャパン」トップチームも栗山英樹監督の下、最強の侍ジャパン結成を目指し、着々と準備を進めている。

 秋にも動きが本格化する見込みの栗山ジャパンだが、その前に毎月第1月曜に、過去のWBC4大会で日本代表/侍ジャパンが見せた勇姿をプレーバック。今回は2009年に開催された第2回大会の熱戦を振り返りながら、第5回大会に向けて期待を高めていこう。

 2006年に開催された第1回WBCで優勝し、初代王者となった日本。ディフェンディング王者として臨む第2回大会に向け、王貞治前監督から指揮官のバトンを渡されたのは原辰徳監督(読売)だった。この時もまだ「侍ジャパン」として常設化されておらず、原監督の就任が決まってから第1ラウンド初戦までの期間は約4か月と短かった。

 直前の代表候補合宿を経て、選ばれたメンバーは28人。第1回大会と大きく異なったのは、メジャーリーガーの数だ。前回参加者はイチロー外野手(シアトル・マリナーズ)、大塚晶文投手(テキサス・レンジャーズ)の2人だったが、この時は松坂大輔投手(ボストン・レッドソックス)、城島健司捕手(シアトル・マリナーズ)、岩村明憲内野手(タンパベイ・レイズ)、福留孝介外野手(シカゴ・カブス)、そしてイチロー選手の5人が参加。メジャーリーガーたちによる海外選手に関する“生きた情報”は貴重だった。

 東京ドームが舞台となった第1ラウンド。日本は初戦に中国を4-0で下し、さらには2戦目の韓国戦も14-2で7回コールド勝利。2連勝で早々に勝ち抜けを決めた。続く順位決定戦では再び韓国と対戦。この時は0-1で敗れ、グループ2位で第2ラウンドに駒を進めた。

第2ラウンドで敗者復活戦へ回るも、キューバに快勝して準決勝へ

 第2ラウンドの舞台となったのは、米国・サンディエゴのペトコパーク。初戦を戦ったのは、第1回大会決勝の相手でもあるキューバだった。日本は前回対戦と同じ、松坂投手が先発マウンドに上がり、6回無失点の好投を披露。一方、キューバの先発は現在ニューヨーク・ヤンキースに所属するアロルディス・チャップマン投手だったが、日本打線は3回に3点先制し、6-0の完封勝利を収めた。

 2回戦の相手は、今大会3度目の対戦となる韓国だった。勝てば準決勝進出が決まる大一番。原監督はダルビッシュ有投手(北海道日本ハム)を先発マウンドに送ったが、初回に3点を失う苦しい立ち上がりとなった。日本は5回に1点を返したが、8回に1点を追加されて1-4で黒星。敗者復活戦からの準決勝進出を狙うことになった。

 敗者復活戦では再びキューバと対戦。岩隈久志投手(東北楽天)と杉内俊哉投手(福岡ソフトバンク)による完封リレーで5-0と快勝し、準決勝進出を決めた。韓国と4度目の対戦となった順位決定戦では、初回に1点先制を許すも、2回に内川聖一外野手(横浜)のソロ弾などで逆転。15安打6得点と打線が爆発し、今大会での韓国戦を2勝2敗の五分に戻した。

準決勝からダルビッシュを守護神起用、米国を破って悲願へ王手

 第2ラウンドを1位通過で準決勝・決勝の舞台となる米ロサンゼルスのドジャースタジアムに乗り込んだ日本。目標の連覇まであと2勝と迫ったところで、チーム内には2つの大きな変化があった。1つは、ここまで7試合で打率.320、2本塁打、7打点と好調だった村田修一内野手(横浜)の負傷離脱だ。直前の韓国戦で右太もも裏を肉離れ。代替選手として栗原健太内野手(広島東洋)が急遽、日本から招集された。

 もう1つは、ダルビッシュ投手のクローザー起用だ。第1ラウンドから抑えを任されていた藤川球児投手(阪神)の状態がいまいち上がらず、原監督は準決勝からダルビッシュ投手を守護神とする大胆な策に打って出た。

 準決勝で対戦したのは、開催国でもある米国だった。WBCでの対戦は、第1回大会で“世紀の誤審”となった第2ラウンドの一戦以来。雪辱を期す日本の先発マウンドには松坂投手が上がった。松坂投手は初回、ブライアン・ロバーツ内野手(ボルチモア・オリオールズ)に先頭打者弾を許したが、両チーム1点ずつを加えた4回に日本が猛攻を仕掛けて5点を挙げて逆転に成功。9回にはダルビッシュ投手が危なげなく無失点で締め、9-4で決勝進出を決めた。

大会5度目となる韓国と決勝、接戦の末に1点リードで9回裏を迎えるも…

 悲願の連覇に王手をかけた日本が決勝で戦ったのは、5度目の対戦となる韓国。ここまで2勝2敗の両チームは、決勝戦でも互いに一歩も譲らず。拮抗した展開の末、日本は3-2と1点リードで9回裏を迎えた。だが、抑えのダルビッシュ投手がまさかの失点。試合は延長戦へともつれ込んだ。

 10回表、1死二塁から岩村選手の左前打で一、三塁と好機を広げたが、代打の川崎宗則内野手(福岡ソフトバンク)が初球を打ち上げてショートフライ。2死一、三塁で打席に向かったのは、イチロー選手だった。稀代のヒットメーカーとして知られるイチロー選手だが、この大会は調子が上がらず。準決勝まで打率.211と奮わなかった。

 だが、第1回大会でも勝利のカギを握るタイムリー安打を放った男は、ここでも魅せた。岩村選手が盗塁し、2死二、三塁。2ボール2ストライクからの8球目、真ん中に甘く入ってきた球を鮮やかなライナーでセンターへ弾き返し、2点の勝ち越しに成功した。

 10回裏は再びダルビッシュ投手が登場。イチロー選手の1打に応える気迫で、最後の打者を空振り三振に斬った瞬間、悲願の連覇達成に日本中が沸いた。マウンド上で雄叫びを上げるダルビッシュ投手に、歓喜に沸く選手たちが次々と駆け寄る。試合後、決勝打を放ったイチロー選手が「僕は持っていますね、やっぱり。神様が降りてきました」という言葉はあまりに有名だ。

 最優秀選手には3戦3勝、防御率2.45の松坂投手が2大会連続で輝き、優秀選手には松坂選手に加え、岩隈投手、青木宣親外野手(東京ヤクルト)が選出された。短い準備期間で課された連覇という大仕事を成し遂げた原ジャパン。一度は敗者復活戦に回りながらも、キューバ、米国、韓国という強豪国を破って果たした連覇は、日本で号外が配られるほどの社会現象となった。

※()内は当時の所属球団

記事提供=Full-Count
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